思い出したように吹いた風に、花びらが舞う。
耳に感じるのは、春の音。
肌で感じているのは、まだ少しだけ寒い空気。

そして、目に感じるのは、一面のピンク。

いつだったろう。
こんな光景を、前にも見た気がする。




「なあ、いつだった?来たよな、ここに花見に」
「いつだったかなぁ…」

俺の質問に、隣を歩く明里も首をひねる。
頭には一片、淡いピンクを乗せながら。

「あいつが産まれる前だっけ?」
「そんなに前だったかしら?」
「前だろ。子連れで来た覚えはねーし。結婚前か…?」
「でも、桜は日本よ。戻ってきてからでしょ?」
「じゃあ、結婚後出産前?」
「うーん…そんなに前だったかなぁ…」
「いや、自信はねーけどな。はは、だめだな、最近物忘れが激しい」
「ホントね、いやになっちゃう」

だいぶ厚くなった記憶のページを、行ったりきたりしながら。
重ねた年月に、二人で苦笑した。
もちろん、笑った目じりには、同じようなしわを寄せながら。
顔を見合わせて、笑った。





寂しいもんだ。
思い出はためておけるもんだと思っていた。
でも、いつの間にか、俺たちの歴史は色あせてきて。
まるで、古い本の読めない1ページのように。
ところどころが途切れてもどかしい。

大切なものの輪郭がぼやけてしまうなんて。
生きるって、幸せなことばかりじゃない。
幸せを感じれば感じるほど、それを失ったときの寂しさは増すんだ。
…この歳になって、思う。



俺は心底寂しくて、意地でも思い出そうと頑張るのに。
明里は言う。

「人間は忘れていくイキモノだもの」

まるで、思い出せないことが当たり前とでも言いたげに。
仕方ないわよ、とさらっと呟く。

「…寂しくねえのかよ」
「もちろん。寂しいわ。でも、」
「でも?」
「幸せなことだとも思うわ」
「……?」
「ずっと一緒にいたから」



「忘れるほどの時間を、一緒に過ごしてこられたんだから」



明里はそう呟いて。
春風に髪をなびかせた。
その風に、彼女の髪についていた一片のピンクが。
そっと離れていくのが見えた。





今日の日も、きっといつか。
思い出になってしまう日が来るんだろう。
それでも。
忘れたことの寂しさに、心がきゅっと締め付けられるとき。
隣に明里がいてくれたらいい。

今日みたいに。
“幸せなこと”だ、と。
隣で笑ってくれたらいい。



桜の花が舞う。
潔く、とても美しく。

桜の花が咲き、散るように。
時間は流れている。
その時間の中を。
俺たちは一緒に生きていく。

俺たちの一生も。
潔く、美しく。



そして、幸せであればいい。



「死ぬまで、思いっきり。一緒にいような」
「うん、もちろん」



「一緒に、生きような」





END





お題サイト・リライト様の「組み込み課題・台詞」の1つお借りして書きました。
お借りした組み込み課題:「人間は忘れていくイキモノだもの」