しとしと、しとしと。

静かな、ささやくような音を立てながら。
朝からずっと、雨が降っていた。

せっかく出かける予定だったのに、そんなのは全部ダメになっちゃって。
私は霧のように空から降りてくる雨を、窓越しにずっと、眺めていた。



どうしてだろう。
雨はいつも、私をとても切ない気分にさせる。



こうして眺めていると頭に浮かぶのは、幼い頃に買ってもらった、ピンクの長靴だとか。
淡い黄色のレインコート、細かいドットの水色の傘。
どれもすごくお気に入りで、それらはかつて私を楽しい気分にしたけれど。
今はもう、ここにはないものたち。

幼い頃は、大切なものがたくさんあったのに。
あの、きらきらした、まるで小さな宝石みたいな宝物は、いつの間に。
どこへ、消えてしまったんだろう。

いつもは、こんなことを考えたりはしないけれど。
やっぱり雨は、私を感傷的な気分にさせる。





静かな、閉ざされた空間に、がちゃり、という少し荒げた音が聞こえた。

「……はよー」

その声に振り返れば、寝癖をつけて、まだ眠そうにあくびをしている彼。
私は急に、現実に引き戻される。

「早くないわよ、お寝坊さん」

そう言って少し笑って立ち上がると、窓に背を向けてキッチンへ向かう。
彼はといえば、スウェットからのぞくきゅっと締まったおなかを、ボリボリと引っかいていて。
これが、世界が認めたハリウッドスターかと思ったら、情けないような呆れるような。
反面、そんな姿もやっぱり綺麗で、さすがだと思ってしまうのも事実。

「…今の要さんの姿を知ったら、ファンはがっかりね」

悔し紛れに私が言うと、彼は不機嫌な寝起き顔を更に不機嫌にする。

「いんだよ、別に」
「ファン、いなくなっちゃうわよ?」
「いんだよ、ここには明里しかいねーんだから」

「そうかもしれないけど」と、返事をしながら。
冷蔵庫に入っているオレンジジュースと、作っておいたサラダを取り出す。
時計を見れば、もうお昼も近くて、「どうせならブランチにしちゃう?」と聞いてみる。
でも、要さんは聞いているのかいないのか、「…それに」と、あくびを噛み殺しながら話を続ける。

「誰にがっかりされようが、明里ががっかりしないならそれでいんだよ」

その口ぶりが、まるでわがままな、小さな王様みたいだから。
私は呆気にとられて、その後で思わず噴出した。





かちゃかちゃと音を立てながら、要さんが朝ごはんを食べる脇で、
(結局返事はなかったから、ブランチは取りやめにした。でもこのままじゃ、直後に昼ごはんを食べることになる。)
私はまた、窓の外を眺めた。

雨はさっきより、少し強くなっている。
しとしと、しとしと。
やっぱり、私の頭の中いっぱいに、寂しさの音は広がっていく。

…今ある大切なものも、いつか、気がついたら、跡形も消えてなくなる?

頭をよぎるのは、やっぱり取りとめもない切なさ。
目の前で、しゃくしゃくとレタスを食べている要さんを見る。
あの頃みたいに、今の私には、たくさんの大切なものがあるわけじゃないから。
この人を失ったら、どうなってしまうんだろう?
思わずこぼれた涙を隠したくて、窓の外に目を戻した。

「ねえ、要さん?」
「うん?」
「ずっと、がっかりしたりしないから」

「がっかりしないから、ずっとそばにいてね」
「はぁ?」
「要さんがこれでもかってほど太っても、つるっつるにハゲても、ありえないくらい腰が曲がっても」
「…おい、俺そこまで最悪にはならねえ予定なんだけど」
「でも、絶対にがっかりしたりしないから、だからずっとそばにいて?」

「…当たり前だろ。んなもん、頼まれなくたってしてやるよ」
「ほんと?」
「ああ。明里が干からびた梅干みたいにしわしわになっても、目が3倍のでかさになるくらいきつい老眼鏡かけるようになっても」
「…私だって、そこまで最低にはならない予定だけど…」
「それでもずっと、そばにいる」



「死ぬまで、そばにいてやるよ」



涙声で、ありがとう、とつぶやいた私に。
彼は「うわ、今部屋の湿度がちょこっと上がった」とおどけて笑ってみせるから。
「今日は雨だもん」と、ちょっとふてくされて、薄いカーテンをめくってみせる。
でも、気づけばいつのまにか、雨は上がり始めていたみたいで。

「あ、虹」

思わずつぶやけば、彼はまぶしそうに目を細めて空を見る。

「昼飯、どこに食べに行こうか?」

なんて、朝ごはんをもそもそやりながら。



本当に、だらしないハリウッドスターだなと思うとやっぱり可笑しくて。
…その分、愛おしくて。
私の涙も雨と一緒に、もう上がりかけていた。





END





お題サイト・リライト様の「組み込み課題・台詞」の1つをお借りして書きました。
お借りした組み込み課題:「うわ、今部屋の湿度がちょこっと上がった」