玄関のドアを開けた瞬間、思わず笑ってしまった。
だって、もう大分暖かくなってきたのに、その深いニット帽。
なんと、薄手のマフラーまでぐるぐるして、彼女は、そのニット帽とマフラーの合間から覗く目で力なく俺をにらむ。
「…まだ笑わないで下さいよ」
「は、ははっ! だってよ、なんだそれ、なんでんな怪しいカッコしてんだよ」
「だ、って〜……。絶対、切りすぎたんだもん…」
彼女はそう言って、襟足から覗く明らかに短くなった髪の毛を、名残惜しそうに引っ張る。
「や、引っ張ったって伸びねえから」と、笑いながら思わず突っ込むと、彼女は真っ赤になって、ため息を吐いた。
先週末、クローゼットの奥から、思い出したように出てきたアルバム。
少し幼い自分たちを見て、笑ったり、笑われて怒ったりしながら、ああ、そういえば髪短かったんだよな、なんて話して。
「春だし、そろそろ切ろうかなあ」
ふと、明里がそうつぶやいたのが始まり。
なら、思いっきりイメチェンしちまおうかって、久しぶりにカラーだのパーマだの、二人で雑誌を眺めて、
あれがいい、これが似合いそうだって盛り上がって、1週間。
休日にと、今朝明里は美容院に出かけて、そして、今に至る。
「なあー、早く見せろって」
本当は美容院まで着いていって、あれこれ口出ししたかったのに。
「驚かせたいの!」なんて明里がかわいい言い訳で俺を止めるから、俺は大人しく部屋で待ってたわけであって、
だからこうして、変身した明里を前に、もうできる我慢なんて、残っていないわけであって。
「ほーら、帽子取る取る!」
「…やだー……いやです」
「なんでだよ、見せてみろって。楽しみにしてたんだぜ、俺。それ取り上げんのかよ」
「だって…なんか、こんなの、思ったの違う」
まあ、わからなくはない。
俺は職業柄、髪型だの服装だの、場合によっては体形までころころ変えるから、見慣れた自分なんてものは存在しないけれど、でも。
初めてもらったドラマの仕事で、ずっと長めだった髪の毛をスポーツがりにしたときのショックのでかさは半端じゃなかったから。
なんっつーか、見慣れちまえば、案外良かったりするんだけどな。
毎日鏡で見ていた姿が、ある日を境にがらっと変わるのは、やっぱりちょっと、恥ずかしいし、照れくさい。
それは、分からないでも、ない。
ただ、こんなに楽しみに待っていたのに、焦らされちまうと余計に見たくなるよな? 普通。
しかも、明里だぜ? 俺の、明里。
本人はこう言ってるけど、どんなんだって、かわいくないはずないんだ。絶対かわいいんだ、マジ。
だから、後悔なんてすることないし、こうして春先にマフラーぐるぐるする必要もない。
「なあ、じゃあずっとそのままでいる気?」
「……それは…」
「寝るときも? 休日あけた仕事でも?」
「………」
「…な? 早いほうがいいって。見せてみ、ぜってーかわいいから」
いやいや、と、明里がうつむいて首を振る。
隙あり! ってね。
必死に帽子を押さえてるその手の力なんて、俺に比べりゃ大したことないのなんて、もう百も承知。
容赦なくニット帽を掴んで引き上げると、明里の柔らかな髪の毛が、ふわり、と揺れて、そこに現れる。
まろやかな、明るい色。
肩のラインで切った髪の毛に、緩いウエーブ。
なんだ、なんだやっぱり。
やっぱり、すげえ。
「い、いやっ! ちょ…」
「かわいい!」
「…え?」
「やっぱ、かわいいじゃん。すっげ、似合う」
俺の一言に、明里の頬が桃色に染まるから。
その可愛さに、キスを一つ。
「あー、なんか、違う女抱くみたいで、すっげドキドキしてるぜ、俺」
「…それって、どうなの? (ってか、抱く、って?!)」
「いやでも、抱きたいのは明里だけだし、うーん…なんっつーか、」
「…?」
「明里が違う女みたいで、ドキドキする、っつーか」
そう言って、抱きしめちまったらもう、止まれるはずなんてなくて、俺は何度もその髪の毛に鼻先をうずめた。
「…つまり、あれです。惚れ直しちゃいました、ってことです」
春、新しい季節。
何かが変わって、何かが始まる季節。
髪型を変えた明里に、俺はもう、何度目になるか分からない恋をはじめる。
そわそわ、わくわく。ちょっと照れくさくなったりしながら。
「…でも、やっぱ、前髪ちょっと短い? ははっ」
「……ひどい、笑った」
「や、なんかまぬけだけど、そこもかわいーなーって、うわ、イテッ」
END