居間のテーブルの四辺。
いつもなら元春は、定位置の窓際の一辺に、どっかりとあぐらをかいている。
でも、彼にはちょっとした癖があって。

(…ほら、また。)

彼はその定位置を、たまに少し後ろにずらすことがあるのだ。
窓の隣の壁に背中がくっついて、立てた膝が大きく開いたら、それが合図。
膝に投げ出すように腕を伸ばし、膝頭の間に首をたらして、彼は考え事を始める。
大きな背中を持つ彼が、まるでいじけているかのように部屋の隅っこに移動する、
それは、悩み事を抱えた彼の癖で、考え事を始めた彼の合図なのだ。



最近はご無沙汰だった、その二番目の定位置。
彼がそこに座るようになって、もう数週間になるのだろうか。
今度の悩みはなんなんだろう。
仕事のことかもしれないし、実家の家族のことかもしれない。
友達のことかもしれないし、もしかしたら、私のことかもしれない(身に覚えはないから、たぶん、違うと思うけれど)。

でも、聞けずにいるのは、こうして悩み始めてしまったら最後、彼は口が堅くなるのを知っているから。
年上で、兄貴肌で、元春はとっても頼れるしっかりした人だけど、何年も一緒にいて分かったことがある。
大らかな彼は、実はとても繊細で、柔らかい部分も持ち合わせている。
悩みに触れられるのを怖がる節があるのだ。
わりとウジウジ、一人で頭を抱える癖が、あるのだ。

「ね、元春」

試しに私は名前を呼んでみた。
案の定、元春は「なんだー?」といつもどおりの視線で私を包む。
その顔には笑顔まで浮かんでいるもんだから、なんかもう、参ってしまう。
もし、私がここで、「何かあった?」、なんて聞いたとしても、さらりと受け流されてしまうんだろう。
あの膝の上に投げ出した彼の大きな手で、私の頭をわしわしとなでて誤魔化す彼が頭に浮かぶ。
埒が明かないんだ。
元春は、甘えさせるのは上手なくせに、甘えるのは下手。
少しくらい頼ってくれてもいいのに、きっとプライドの高い彼はそれを好まない。

頑固でかっこつけで、でも、甘え下手で不器用で。
彼のそういうところが、私は大嫌いで、そして、大好きだ。
何かに悩んでるのなんてバレバレなのに、それでも私を気遣って笑ってくれる彼は、もどかしいけれど、憎めない。
苦笑しながら、悩み事を聞きだそうと開いた口を閉じると、元春は言った。「何だよ?」



「…やっぱりなんでもなーい」
「なんだそれ」
「ううん、いいの」



励ましになるか分からない。
それでも何かがしたくて、私はこんなとき、決まって彼の膝の間に無理やり入り込む。
身を縮めて、ふざける素振りで。

「おいおい」
「なにー?」

ちょっと呆れた声を上げながらも、両膝を少し開いて私のスペースを作ってくれた彼の前。
私はすっぽりとそこに納まって、ぎゅっと膝を抱える。
ふりかえってにへらっと笑うと、彼はちょっとだけ眉を寄せて、口角を上げた。
まるで、甘えた私に、仕方ねえなとでも言うように。

「なんだよ、どうかしたのか?」
「…そんなの、こっちが聞きたいよ」
「あ? 悪い、背中向けじゃ聞こえないんだけど」
「なんでもないでーす」

それは、一緒に過ごした何年かの経験で生み出した、私なりの元春応援法。
私は元春みたいにうまく悩みを聞きだすことも、さり気なく助言することもできないから。
せめて、傍にいようと思う。弱った彼に気づかないふりをして、くっついていようと思う。
心細いとき、抱きしめてくれる元春の体温が私を落ち着けるみたいに、私も私の体温で元春を暖めたいと思うから。
何があっても味方だと、そう、伝えたいから。

「おまえ、甘えんぼだよな」

なんともすっとぼけた、元春の言葉が聞こえたな、と思ったら。
私の体は元春の腕にきゅっと抱きしめられる。
うなだれる頭が肩にあたって、ああ、なんだか私はアレみたい。
小さい子が手放せない、お気に入りのタオルみたいだな、と思った。



「…どっちが甘えんぼかなあ……」
「………聞こえないなあ」



窓の外は、春の日差し。
私の背後には、私に寄りかかる元春。
タオルになれたらいい。
元春にとって、手放せない、タオルみたいな存在になれたらいいのになあ。

目を閉じる。
(答えが、見つかるといいね。)
そんなことをこっそり唱えながら、まわされた腕を、指先で。
そっと、そっと撫でてみた。





(あーあ…結婚してくれ、なんて、今更どのツラ下げて言おう…)





END(やっぱり悩みはデイジーのことでした。)