空色の傘は、私の最近のお気に入りだった。
雨の日は、湿気で髪の毛が広がるし、靴下はなんとなく湿っぽくなるし。
夕立が降った日には、アスファルトの匂いが鼻について、私はどうしても雨が好きになれなかったけど。
この傘を買ってから、なんだか少しだけ、雨の日が楽しみになった気がしていた。

(…でもまさか、こんなことになるなんて)

いつもどおりの、湿気が憎らしい雨の日。
空色を天井にして帰り道を歩くのも、いつものことなんだけど。

(空色が、高い)

いつもより、お気に入りの空色が高い。
それもそのはず、傘を手にしているのは私じゃなくて。

私が片思いをしている、傘を忘れた志波くん――だからなわけであって。

雨が憂鬱だなぁとか、今日はそうでもないなぁとか、そんな感傷に浸る暇なく。
私の心臓は、ただひたすら、必死に速度を上げている。



「雨、強いね」



途切れがちな会話の糸を手繰り寄せながら、私は無意識に、まとまりのない髪の毛を押さえつけていた。

「ああ、強いな」
「嫌になっちゃうね」
「ああ」

志波くんの相槌に、「やっぱり雨の日は嫌い?」と聞いてみると。
「走れないからな」という、なんとも彼らしい返事が返ってきた。

「私もね、嫌いだったの」
「走れないからか?」
「え、違うよ」
「知ってるけど。おまえ、運動音痴だもんな」
「…意地悪」

空色の傘を心持ち私よりに傾けている志波くんは、からかうような笑みを浮かべて私を見おろす。

「そうじゃなくて、髪の毛広がっちゃうし、水溜りにはまると靴の中びしゃびしゃになっちゃうし」
「なるほどな」
「それにやっぱり、青空のほうが気持ちいい気がして」
「だから、青い傘なのか?」
「あたり。だからね、この傘使うようになってから、雨の日も悪くないなーと思えるようになったんだけど」
「へえ」

水溜りを避けながら、いつもより高い空色を見上げると。
志波くんも私と同じように、空色を見上げる。
そして、一瞬。

――それは瞬きしていたら、見逃すほど、本当に一瞬の出来事だったけれど。

志波くんは、すごく、すごくやわらかく、まるで霧雨みたいに笑って。
私よりずっと高い位置で、ぼそっと。

「…確かに、雨の日も悪くないな」

そう、呟いた。





そりゃ、髪の毛は広がってるし、靴下もわずかに湿っているけれど。
でも、いつもより高い空色に私はドキドキして、彼の一言にとても幸せな気分になる。

(だって、雨がなければ、一緒に帰るなんてできなかったわけで。)

そう思うと、雨の日も悪くないもんだと思えるし。
私は今日から、雨の日も好きになれそうだなーと、彼の大きな足を見ながら、こっそり考える。



「…雨の日も悪くないな」



彼がもう一度、確認するように言ったその言葉に。
私と同じ理由が含まれていたということ。



私が知ったのは、彼と一緒に過ごす、4度目の梅雨の季節だった。





END