幸せで涙が出る、なんて。
ありえへんと思ってたのに。

いや、そもそも。

幸せなんて信じてなかったのに。






【暖かな涙】






その日がどういう日やったか、と聞かれたら。
おそろしく穏やかで、限りなく日常に近くて。
でも、素晴らしく劇的な日やった。
きっとそう、答えると思う。

その日。
それは、オレが高校を卒業した日。

太陽の光っちゅーのは、こんなにもきらきらと色を変えるのかと感心した。
空の色の鮮やかさも、空気が素晴らしく澄んでいることも。
鼻先を掠める、わずかな、本当にわずかな春の香りや、
聞こえてくる鳥のさえずり。遠くの笑い声。

今までだってここにあったものが、全部。
一瞬で特別に変わって、俺の脳裏にしっかりと焼きついた。
何があっても、絶対に消えないと確信できるほど、強く、確かに。



「なぁ、ホンマ?」



やっとのことで捕まえた柔らかい手を、ぎゅうぎゅう握って。
オレとは、高校最後の帰り道を並んで歩いた。

「ホンマに、オレの隣におってくれる……?」
「うん」
「ホンマ?」
「うん!ってば。もう、何回目?」
「せやって、なあ」

どうしても、信じられへんくて。
思い描いた幸せが、形になること。
形になったものを、腕の中に抱えられること。

オレが、オウムみたいに、何度も同じ事を繰り返すから。
はずっと、笑っていた。
うん、うん、と頷きながら。



初めての片思いだった。
もっと言えば、初めての恋だった。

3年前のオレは、その日と同じ道を歩きながら思っていたはずなのに。
例えば、考えただけで顔がニヤけるとか。
何をしていなくてもそいつの顔が浮かぶとか。
食えんかったり、眠れんかったり。

恋をした奴は、みんなそんな経験があるらしいけど。
そんなん、ありえへん。
恋なんて自分には関係ないもんやと。
信じて疑わなかったはずなのに。

「3年間で、全てやってしもたなあ」
「え? 何を?」
「ありえへんこと、や」

オレの言葉に、は不思議そうに首をひねった。
もちろん、オレはニヤけながら。
隣にいるにも関わらず、のことを考えながら。
ありえへん、いや。
関係ないと思っていた幸せをただ、感じて頬を緩めていた。






の家の通りの角で。
オレは、名残惜しさに歩みを緩めた。

今日でお別れやと思っていた、大好きな女の子。
でも、オレの手の中に、当たり前に小さな手がおさまってるって事は。
明日も明後日も、会えるっちゅーことなのに。
見たい映画を必死に探さなくても、ライブのチケット予約に失敗しても。
もう、理由なんてなくても、会えるのに。

「な、夢じゃないー……よな?」
「夢じゃないよ」
「よな」
「もう、信じてよ」

私はここに、いるよ。
いつまでも手を離したがらないオレに、はそう言って。
オレの手を両手で包んで、そっと。
そっと、まるで壊れ物のようにさすってくれた。

のその動作に。
オレの手は熱くなって。
そして、熱が広がるように、腕が、肩が、身体が。

そして、目が、熱くなって。
涙が零れた。

幸せなんてもんを信じてなかったオレが。
幸せで、泣けて泣けてたまらなかった。

「……姫条くん?」
「……堪忍。かっこ悪いわ……」
「大丈夫? どうしたの?」
「……ちゃうねん」

この気持ちには、どんな言葉が似合うんだろう。
オレがもつ、どの言葉を使えば伝わるんだろう。
どう言えば? 何を言えば……?

考えても、もちろん分からなかった。
何を言っても伝わる気もしたし、何を言っても伝わらない気もした。

「……おおきに」
「え?」
「ここに居ってくれて、ホンマ、ありがとう」

欲張っても、しゃあないことは確かやったから。
オレはそれだけ。
にその言葉だけを贈って、おでこに1つ、キスをした。

「私こそ、ありがとう」
「うん、ありがとう」

そしてオレたちは、そっと、そっと手を離した。
また繋げるように。
永遠に離れてしまわないように、静かに、そっと。






その日がどういう日やったか、と聞かれたら。
おそろしく穏やかで、限りなく日常に近くて。
でも、素晴らしく劇的な日やった。
きっとそう、答えると思う。

でも、ホンマは違うんや。
それだけじゃない。

その日は、が、めっちゃ可愛くて。
暖かくて、柔らこうて、そして。
そして、言葉に出来ないほど、愛しくて、幸せで。

でも、言葉になんかできひんから。
言葉にして、逃がしてしまうなんて、勿体ないから。
ずっと、オレの心の中。
焼き付けて、大切に守っている。

あの日の、手の優しさ。
緩んだ頬の気恥ずかしい感覚。
そして、暖かな涙。



壊れやすい宝物のように、ずっと、ずっと――。





END





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