熱が出た。
よりによってこんな日に、熱が出た。






【いつでも、いつまでも】






昔から、風邪はひきやすいほうだった。
寝不足が続いたり、寒い所に長時間いたりすると、すぐに体調を崩しちゃうの。
けど、最近ではあんまりなかったし。
第一、今夏だし。
確かに、昨晩寝たのは2時過ぎだけど、高校生にもなって、まさかそれだけで熱出すなんて思わないじゃない?
っていうかね、うん。そう、油断してた。
完全に、忘れてた。自分が風邪ひきやすいとか、そういうこと。


仕方ないと思うんだ。うかれてたし。
だから、寝るのも2時頃になったの。
そりゃ、うかれるでしょ?
例えばさ、高校に入学してから1年半、ずっと好きだったモテるかっこいい人に花火大会とか誘われちゃったりしたら。
うかれるよね?うかれるって、絶対。
少なくとも、私はそう。
一週間前、姫条まどかに花火大会に誘われてすっごいうかれてて、今日がその当日。


熱は38度5分。
身体もなんとなく重くて、寒気がする。
今日が学校だったら喜んで親に報告するんだけど、今日に限ってまさかそんなことしない。
言ったら最後、絶対花火大会になんて行けなくなる。
とりあえず、親には風邪だってこと絶対に気づかれないようにしないと。
鏡で顔を見るとほんのり赤かったから、鋭い母親に悟られないように、私は自分の部屋にこもって準備をすることを決意した。



はばたきウォッチャーって、すごく便利。今日、あらためて実感した。
今日のために準備していた浴衣を相手に悪戦苦闘していた私を救ったのは、葉月くんが表紙の「夏・花火大会特集!」の雑誌だった。
47ページ、「一人で簡単!浴衣」の企画を見ながら、私は浴衣を着ることに成功した。
ついでに、昨日何度も試しながら決めた髪型のセットにとりかかる(もちろん、これもはばたきウォッチャー)。
少し頭がクラクラしたけど、なかなか上手にできた。
仕上げに、浴衣の色に合わせて準備していたマニキュアを塗る。
準備は完了。

!浴衣着せなくていいの?」

1Fから呼びかける母の声に、私は浴衣姿を披露しに下に向かった。
このまますぐに出られるように、カメラとかハンカチとかを入れた巾着も持って。
どう?と言わんばかりにくるっとまわってみせると、お母さんは「ジブンで着たの?あんた」と嬉しいほど驚いてくれた。


チェックしてあげる、としつこいお母さんを振り切って、私は少し早めに家を出た。
なんていうのかな、出ちゃったモンがち?
そう、なにがなんでも今日は行かなくちゃいけない。
そういうもんでしょ?好きな人と花火大会って。
しかも、それだけじゃないんだ。
実は去年、私は姫条くんを花火大会に誘って、断られている。
今年も、断られるだろうなって思って、ずっと怖くて誘えなかった。
そしたら、なんと姫条くんから誘ってくれた。
1年越しの、しかも姫条くんからの誘い。
なにがなんでも行かなくちゃ。



はばたき駅に着いたのは、待ち合わせの15分前だった。
もちろん姫条くんはまだ来ていなくて、私はどこかに座って待とうと椅子を探した。
でも、今日は花火大会。そこら中に浴衣の人たちがごった返していて、どこのベンチも開いていなかった。
仕方なく端っこに行き、壁により掛かった。ひんやりとして気持ちいい。

「すまん!遅れてしもた!」

私が駅に着いてから5分もしないうちに、姫条くんは走ってやってきた。浴衣を着ている。

「んーん、遅れてないよ。私も今着たばっかりだし」

寄りかかっていた壁から離れ、姫条くんに近づく。ちょっと足下がふらついてしまった。

「そか…。あ、浴衣、着てきたんやな…」
「うん!姫条くんも、だね」

お互いがお互いの浴衣姿を見る。なんだかちょっと照れくさい。

「え…と、その浴衣、かわいいやん」

姫条くんは、めずらしく照れくさそうに、私の浴衣をほめてくれた。嬉しいのと照れくさいので、

「…え〜と、浴衣、だけ?」

と、ちょっと意地悪く返事をする。
すると姫条くんは、思いっきり顔をそらした後、恨めしそうにちらりと目だけを向け、

「…アホ、言わすなや」

と言った。
姫条くんの一言に、私は熱い顔がますます熱くなるのを感じた。

「んじゃ、行こっか」

私たちは並んで歩き出した。






花火大会会場付近に着くと、ますます人は増えていた。特に、出店やトイレの付近は身動きがとれないほどだ。

「うわぁ〜…エライ人やなぁ。動くんだるいわ」

げぇ、といった表情で姫条くんは辺りを見回した。

「あは、ホントだね。早めに場所決めちゃおうか」

姫条くんの姿に少し笑ったあと、私もきょろきょろと周りを見て、空いている場所を探す。
早く座りたい。
なんだかさっきから寒気がする。そして、たまに視界が歪む。きっと熱が上がってきたのだろう。

「お、、あの辺りどうや?」

姫条くんの指すところを見ると、確かに人の少ない一角があった。

「うん、いいかも。行ってみようか」

私たちは、今いる所から少し距離のあるその場所へ行ってみることにした。




姫条くんが先導してくれて、私はその後に続く。
人の波をかき分けて、なおかつ私の歩調に合わせてくれて、姫条くんは忙しそうだ。
ちらちらと振り返ってくれる彼に、私は「大丈夫だよ」と笑いかける。
本当は、寒くてふらふらして全然大丈夫なんかじゃないけれど、彼の気遣いだけで元気になれる気がした。
5分くらい歩いただろうか、ふと前をいく姫条くんが歩みを止める。

「あ〜、アカンわ、トイレの前、めちゃめちゃごった返しとる…ココ抜ければすぐそこなんやけどなぁ」

彼の言葉につられて前方を見ると、本当にすごい数の人が行き交っていた。

「あー…ホントだね。すごい…気合い入れていかないとね」

しかめっ面の姫条くんと顔を見合わせて、苦笑する。

、足とかダイジョブか?草履、イタない?」

気遣ってくれる姫条くんに、にっこりと笑ってみせる。

「大丈夫だよ」
「ほんなら、あとちょっとやし、頑張ろか」

意を決したように、姫条くんが声を上げる。私は大きく頷く。

「あ、はぐれんように、手」

差し出された手に、一瞬躊躇する。
手…めちゃくちゃ汗掻いてるんですけど、私。
気づかれないように、お端折を直すフリをしながら手をふいて、私はそっと手を合わせた。
瞬間、姫条くんがすごく優しい顔になった気がして、私は顔が熱くなった。

「ほんなら行こ」

彼の大きな手に引かれて、私たちは人混みに入っていった。




状況的には最悪なんだけど。トイレ臭いし、人も多い。
それでも、私はすごくドキドキしながら、一生懸命彼についていく。

、手離したらアカンで」

姫条くんくらい大きかったら、ちゃんと返事もできるんだけど。
私の身長じゃ、人混みにもまれてそれどころじゃない。
彼の声に、私は手を握りかえして返事をする。
夢にまで見た状況なんだけど、私の浮かれ元気もだんだん限界に近づいてるみたい。
人混みの息苦しさに、だんだん吐き気がしてきた。

、もうちょっとや、頑張り」

励ましてくれる彼の声も遠くなってくる。
なんとか人混みを抜けたときには、立っているのがやっとって感じになっていた。

「… 、大丈夫か?」

うつむいてぼーっと立っている私に、姫条くんが心配そうに声をかけてくれる。

「あ…う、うん!大丈夫、大丈夫!ちょっと息苦しかったけど、やっと抜けたね!」

はっと我に返り、目一杯元気に返事する。せっかくのデートだもん、心配なんてかけたくない。

「ホントか?ジブン、今めっちゃしんどそうに放心しとったで。気持ち悪ない?足とか、腕とかも大丈夫か?」

そう言うと、姫条くんは私の顔をのぞき込んだ。顔が近くて、ものすごくドキドキする。

「だっ!大丈夫!大丈夫!」
「ならええけど…。ん? 、ちょい待ち、めちゃくちゃカオ赤いやん!のぼせたか?!」

みるみるうちに、彼の大きな手が私のおでこに向かってくる。
ダ…

「ダメ!」

そ、そんなことしたら!熱があるってばれちゃうじゃん!
触れるか触れないかの彼の手をよけようと、私は焦って、思いっきり飛び退いた。

「…え?」

姫条くんは不思議そうに私を眺める。

「あ…えーと、ね、そう、ホラ!ひ、人混みで汗掻いちゃったし、汚いから!ね!」

しどろもどろに弁解しながら、私は無意識に2歩3歩と後ずさりをしていた。
すると、急に視界がぐるりとまわって、よろけてしまう。

「あっ…と!おい!」

とっさに、姫条くんが繋いでいた私の右手を引っ張り、身体を支えてくれる。
目の前に、姫条くんのたくましい胸。私はまた慌てて離れた。

「ご、ごめん、ごめん」

私は笑って姫条くんを見上げたけど、彼はの表情は厳しいものだった。

、ちょいこっち来いや。とりあえず座るで」

とっさに離してしまった私の右手をとり、姫条くんは脇の土手に向かう。
そして、その土手にたたんだままのシートを置くと、私に座るように促した。

「広げようよ、これじゃ姫条くん座れないじゃん」

そう言って、シートを拾い上げようとすると、姫条くんは私の腕をつかんでそれを制止した。

「ええから、早よ座り」

彼はそのまま草の上に座り、私は腕を引かれるがままシートの上に座った。

「… 、正直に言うんやで。ジブン、熱あるやろ」
「えっ…」

姫条くんの言葉に、私は驚く。
うそ、ばれてたの?なんで…?

「そ、そんなことないよ!ホラ、至って健康!元気だよ!」

慌ててガッツポーズを作って、健康をアピールしてみる。
それでも彼の厳しい表情は変わらなかった。

「正直に言え、言うとるやろ?」

穏やかだけどなぜか迫力のある声で姫条くんが繰り返す。
向けられたまっすぐな視線に、私はガッツポーズの手を下げた。

「…うん」

私の返事に、姫条くんが大きなため息をつく。

「で!でもね、大したことないの!本当に!」

一生懸命話しかけるけど、姫条くんの様子はやっぱり変わらなかった。
どうしよう、あきれたかな?
浮かれるだけ浮かれて、無理して、はしゃいで、迷惑かけて…あきれるどころか、嫌われちゃったかも知れない。
うつむく姫条くんの表情が知りたくて、伺うようにちらっと顔を向けると、視線がぶつかった。

「…帰んで」

そう、一言。
つぶやくと彼は静かに立ち上がった。
私も、黙ったままで立ち上がる。
これ以上、嫌な子だって思われたくない。






あんなに楽しみにしてたのに。
一緒に写真が撮りたくて、カメラだって用意してたのに。
浴衣だって、少しでも姫条くんにかわいいって思ってもらいたくて、何件もお店をまわって探したのに。
髪型だって…マニキュアだって……。
全部、全部1年越しだったのに。
花火が始まって、人の流れもおさまった道を、黙ったままでとぼとぼ歩く。
私の手を引いて前を歩く、彼の背中がすごく遠い。
川沿いから少し離れた見物客もまばらな場所に出ると、悔しさと切なさで涙がこぼれた。
目をこする左手の先の、マニキュアの淡いブルーが霞んで見える。
泣いている私に気づいたのか、私を先導する姫条くんの歩みが止まる。
そして、彼はしゃがんで私の頬に手を当てた。

「しんどいか?」

涙をぬぐうその手は、ひんやりとして気持ちがいい。
きっと、私の顔が熱いからだろう。

「ち、違うの…ごめ、んね?ごめ…なさい、姫条く…迷惑、かけちゃっ……」

しゃくり上げる私の背中を、姫条くんがさすってくれる。

「何言うとるん?迷惑なわけあらへんやろ。泣くなや」

目の前で優しく微笑んでくれる彼の顔は、なぜか寂しそうにも見える。

「怒って…ない、の?」

おそるおそるそう訪ねると、姫条くんは両手で私の顔を包み込んだ。

「怒ってへんよ。けど…オレって にとって、そんな頼りない存在なんかなとか思って…
 ちょい寂しかっただけや。ごめんな、黙ってここまで引っ張ってきてもうて」

彼は顔に触れている手の片方を離して、私の頭をポンとなでた。
頼りない?そうじゃない。そうじゃなくて、私は…

「ち、違うの!」

こみ上げる涙をぐっと飲み込んで、私は話し始める。

「頼りないとか、そういうんじゃなくて…どうしても、どうしても一緒に花火見たかったから…っ!
 ずっと、ずっと楽しみにしてたから、だから………奇跡の、1年越しの願い、なんだもん。
 二度とないんじゃないかって、そう思うんだもん…」

視線の先の姫条くんの顔が、涙でどんどんぼやけていく。
その瞬間、私の身体が、ぐんっと引き寄せられる。
信じられないことに、私は姫条くんの腕の中にすっぽりと収まっていた。

「そんなことあらへん!お前が望むなら、来年も再来年も、いつでも、いつまでも、連れて来たる!」

腕の力が少し緩められて、姫条くんと目が合う。

「…好きや」

ちゃんと顔が見たくて、私は涙をぬぐった。
その先には、信じられないほど赤い顔をした姫条くんがいた。

「私も、大好き…っ!」

嬉しくて嬉しくて、愛おしくて、私は思いっきり抱きついた。






「ねぇ、本当に来年連れてきてくれる?」
「おう!約束や」
「絶対だよ?去年みたいに断ったりしないでね?」
「うっ…も、もちろんや!去年は、その…まだ、自分の気持ちに気づけてなかったっちゅーか…。堪忍な!
 その分、来年も、再来年も、毎年連れて来たるから。これから、オレの方がいっぱい愛したるから!」
「…それ、ハードル高いよ?」
「なめんな?楽勝やで」






end






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