どうしようもないことって、世の中にはいっぱいあるんだって、思う。
お天気とか、人の気持ちとか。

そして、産まれてくるタイミング、とか。






【difference】






私はいつも、学校帰り、付き合っている益田さんのバーに寄る。
お客さんとしてではなくて、開店前にちらっと顔を見せに行く。
本当はもっと一緒にいたいけど、でも、私は本当にたまにしか「お客さん」にはならない。

だって。
本人には言えないけど、私はマスターの時の益田さんを見るのが辛くて。

私の目にうつる、マスターの益田さんは、私だけの益田さんではなくてみんなの益田さん。
プライベートな益田さんではなくて、お仕事中の益田さん。
――そして、子どもの私にはつり合わない、大人の顔をした益田さん。
そんな益田さんを見るたび不安になって、嫉妬でいっぱいになる。

お酒も飲めなくて。
飲めないどころじゃなくて、名前も味も知らなくて。
もちろんタバコも吸えなくて。
自分で吸わなくても、漂うタバコの香りに吐き気がして。

どうしようもなく、私は子どもだから。
益田さんと私の間には、大きな年の差があるから。



「どうしたの?」

出してもらったウーロン茶をカウンター席で飲みながら、私はぼーっとしてしまっていた。
最近、不安で眠れない日が続いている。
益田さんが私と付き合っているのは、気の迷い何じゃないかとか、同情なんじゃないかとか…色んなことを考えてしまう。

「あ、すみません。なんでもないです。ちょっとぼっとしちゃって」

慌てて笑顔を作ってウーロン茶を一口飲むと少しむせてしまった。
本当にお子様な私は、実はウーロン茶すら苦くて苦手だったりする。

「大丈夫?顔色もよくないみたいだけど。
そういや昨日零一がやけに浮かれてここに来たけど…もしかしてテスト近いのかい?徹夜とか」

カウンターの奥でグラスを拭いていた益田さんは、心配そうな表情を浮かべて隣に来て座った。

「そんなところです」

私は曖昧に笑って見せた。本当はテストまでまだ1ヶ月以上ある。
でも、子供じみた嫉妬心とか、不安な気持ちを益田さんに出すのはイヤで、ウソをついた。

「頑張るのはいいけど…無理するなよ」

益田さんはそういって、お客さんに見せる営業スマイルとは違う、とっても優しくて暖かい笑顔を私に向けてくれた。
私は、ちょっとだけほっとして、微笑みを返した。
好きです、益田さん。大好きなんです。



開店ぎりぎりの時間になって、私は益田さんのお店を出た。
益田さんを独占できたのは、3時間。
コレが授業だとものすごく長く感じるけど、益田さんと過ごす3時間は、私には足りない。
だって、私と益田さんが会えるのは、私の学校帰りのこの3時間と、日曜日の昼間くらい。
益田さんのお店が休みなのは平日で、私の学校が休みなのは日曜日。一日中一緒にいられる事はない。
それに、益田さんは完全に昼夜逆転の生活。
だから、日曜日の昼間は、益田さんの家でまどろむ彼を見つめたり、2人で作ったご飯をつついたりするくらい。

私は…私は、本当は、学校帰りに手をつないで商店街や公園通りを歩きたい。
休日は、一緒に映画を見たり、たまには遊園地や水族館にだって行きたい。
でも、きっと、現状に不満を持って、こんな幼稚な願望を持っているのは私だけ。
益田さんはいつだって余裕のある大人だから。
今、一緒に過ごしているちょっとの時間さえ、私が押しかけて成り立っている。
益田さんが、お店や家に私を呼ぶ事は…ない。



家に向かって歩く私の周りは、放課後の学生であふれていた。
その中には、制服を着て歩くコイビト同士の二人もいる。

(いいなぁ)

私だって益田さんと一緒に制服を着て肩を並べて歩きたかった。
自転車の二人乗りだって、ずっと憧れていた。
叶わないのは分かっているけど、やっぱり羨ましい。
不意にあふれ出しそうになった涙を止めるために、私は下を向いてぐっと唇をかんだ。
こんな事で、こんな事で泣いちゃいけない。早く、早く大人にならなくちゃ…。

「お、サエちゃんやん。どうしたん、こないなとこ立ち止まって」

ふっと、足下が暗くなり、関西弁の声が聞こえた。私は驚いて顔を上げた。その拍子に、左目の涙が一筋流れた。

「あ、姫条くん。今帰り?遅かったんだね」

慌てて目をこすり、ほほえみかける。私の目の前には、友達の姫条くんが立っていた。

「おう、ちょっと氷室センセにつかまってもうて…っちゅーかジブン、どうしたん?泣いとったやろ」

心配そうに、私の顔をのぞき込む。

「あは、ちょっとまつげ入っちゃって。大丈夫、多分とれたから」

泣きたい気分を無理矢理に押さえ込んで、なんとか笑顔を作って答えた。

「ホンマか〜?ジブン、めっちゃ苦しい顔しとんで?なんぞあったんちゃうの?」

私の頭に大きな手を乗せて、心配そうに私を見てくれる姫条くんはとても優しくて…。
私はとうとう堪えきれずに、泣き出してしまった。

「ごっ…ごめん。…っく…あは、泣くつもりじゃなかったのに…困るね、急にこんな…」

止めようと思っても、後から後から流れてしまって…。そんな私に、なおも姫条くんは優しくほほえみかけてくれる。

「大丈夫や。無理、せんでええよ。近くに公園合ったな、そこで休も?な?」

しゃくり上げてふらつく私の背中をそっと押して、姫条くんは公園まで連れて行ってくれた。



「…おし、だいぶ落ち着いたみたいやな」

公園に着くと、申し訳ない事に姫条くんは私に缶ジュースまでおごってくれた。
それを飲み終わる頃には私の涙もだいぶ落ち着いていた。

「ごめんね、突然泣き出した上に、こんな…」
「ええよええよ、どうせ家帰っても一人やし、暇やったから」

姫条くんはにっと笑って、「泣いてる女の子ほっといたら姫条まどか失格やで」と付け足した。
その様子に、私もつられて笑う。

「そや、サエちゃんはそうやってわらっとったほうがかわいいで」
「あは…ありがと」
「…んで、どうして泣いとったん?せっかくやし、ため込んどかんとはき出してまうほうが楽になるで?」

姫条くんは、さっき背中を押したときの優しい手つきとは違う、少し荒っぽい手つきで私の背中をぽんぽんとたたく。
私はその心地よい振動に、今まで喉につっかえていた物をはき出すように、ぽつりぽつりと益田さんの事を話した。



「…っていうことなの。下らないよね。思いが通じる前は、ちょっと会えるだけで、ちょっと話せるだけで満足だったのに…。
 付き合う事になったときだって、私、それだけでいいって思ってたのに…。つくづく子どもで嫌になっちゃう」

ずっと背中をたたきながら黙って聞いてくれた姫条くんが、手の動きをとめた。

「そんなことあらへんよ。みんな、そんなもんやて」

私は姫条くんを振り返る。

「大人とか子どもとか、多分関係あれへんよ。誰だって、同じや。
 最初は話すだけで満足出来る。でも、話せたらもっと一緒にいたくなる。
 そいで、一緒にいられるだけで幸せーって思ってたはずなのに、
 いつの間にか自分の事好いて欲しいって思うようになんねん」
「…姫条くんも?」

私の問いかけに、姫条くんは困ったように赤くなって頭をかいた。

「あー…んまぁ、たまには、な。…あかん。こんなこと、他の奴には言わんといてや。絶対やで」

私は微笑んで頷いた。

「とにかくやな、本気で恋愛しとったら、わがままになんのはあたりまえやねん。
 だってな、考えてみてや、サエちゃん。出会ったときよりも、彼氏の事思う気持ち、でっかくなっとるやろ?
 いっぱい話して、いっぱい一緒の時間過ごして、相手を知って、もっと好きになったやろ?」

姫条くんの問いかけに、私は考えてみる。
初めて益田さんに逢ったとき、私はかっこいい人だなぁと思って。
話すうちに、優しくて、少し意地悪な人なんだって分かって。
一生懸命仕事をしている姿を見て、責任感の強い所を見て…そっか、私の中の気持ちはどんどんふくらんでいったんだ。

「うん…そうだね」
「せやろ?せやからな、絶対相手だってそうやねん。
 サエちゃんのこといっぱい見て、サエちゃんといっぱい話して、どんどん気持ちはふくらんで、苦しかったりするはずやねん」

その言葉に、私はちょっと悲しくなる。

「それは…そんなことないよ。
 益田さ…じゃなくて、彼、ぜんぜんわがまま言わないし、不満も言わないどころか、態度にも全然見せないもん。
 きっと…私と付き合った事、後悔してる」

下を向く私の背中を、姫条くんはまたぽんぽんとたたいた。

「そんなことあらへん。自信持って、前向いてみ?サエちゃんの彼氏は、ちゃんとサエちゃんのこと見てるはずや」
「…」
「”大人”はな、厄介やねん。わがままもっとっても、不満におもっとっても、正直には言われへんねん。
 傷つくのしっとるから、怖なって足がすくんでしまうんやて、あっちにいたとき先輩がいっとったわ」
「…そうなのかな…」
「まぁ、俺もガキやしよう分からんけど、でも、相手の事信じなあかんねん。
 信じられへんくなったら、声にだして聞かなあかんねん。
 だって、サエちゃんやって別れるんは嫌やろ?どんどんおっきくなった気持ち、なくすなんてできひんやろ?」

私は考える。益田さんがいなくなったら…そうだね、耐えられない。私、益田さんと一緒にいたい。

「うん…私、益田さんの側にいたい」

姫条くんの表情が、みるみる優しい物に変わる。

「なら、言うてみ?思ってる事、ちょっとずつでいいから口に出すんや。言わな、なんも伝わらんよ」

言わなければ何も伝わらない…そうだよね。そんな当たり前のことを、なんで忘れていたんだろう。

「ありがとう、姫条くん。今度会ったら、私話してみる。益田さんのこと信じられるように、ちゃんと向き合ってみる」
「そやそや、大丈夫や。うまくいく」

私たちは顔を見合わせて笑った。

「さて、もう大丈夫やな。ほな、いこか。家まで送るわ」

家までの道、私は何度も姫条くんにありがとうを言った。






悩みをはき出してすっきりしたものの、やっぱり、今日も眠れなかった。
AM1:00。ベットに入ってから1時間。明かりを消した暗い部屋で寝返りを繰り返すばかりで、一向に眠れる気配がない。

益田さんは、どうして私と付き合ってくれたんだろう。
こんな、子どもで、わがままな私の告白を、どうして受け入れたりしたんだろう。
私があまりにも必死だから、かわいそうになった?
もしかしたら、他に本命の彼女がいるの?
不安が重なる。どんどん、どんどん不安が重なる。重くて、苦しい。



PPP PPP…



いつもはならない時間の携帯の着信音に、私は驚き、起きあがった。
誰だろう、こんな時間に。なっちんとかかな…?
私は携帯に手を伸ばし、ディスプレイを確認した。

うそ…益田さん?だって、お仕事中じゃ…。

慌てて通話ボタンを押す。

「もしもし?益田さん?」
『あぁ、遅くにごめんね、起きてたかい?』
「えっと…はい、起きてました。どうしたんですか、こんな時間に」

ふーっと益田さんの息が聞こえる。タバコを吸っているのかな?お店の外からかけているのか、電話の向こうは静かだった。

『ちょっとね…休憩なんだけどタバコをきらしちゃって外にでたもんだから。
 最近勉強で遅くまで起きてるって言うし、もしかしたらつながるかなぁと思ってね』
「あ、そうなんですか」

もう一度、ふーっと息が聞こえる。その音だけで、私の頭にはタバコを吸う益田さんの姿が鮮明に浮かぶ。

『どう?勉強。進んでる?』

勉強なんてしてないけれど。私はちょっと間をおいて、曖昧に返事を返した。

「えっとー…。はい、まぁ」
『ウソだ。』
「え?」
『ウソ。勉強なんて、してないだろ?』

私は驚いて、黙ってしまう。ウソ、だけど。確かにウソだけど、なんで分かるの?
私って、そんなに不真面目だって思われているの?

「し、してましたよ!勉強。失礼だなぁ、もう」

しどろもどろになりながらも、慌てて返事を返す。
するとその返事のあと、電話の向こうから、くっくっくと小さな笑い声が聞こえた。

「な!なにがおかしいんですか」
『いや、ね。もし君の言う事が本当なら、電気、つけた方がいいよ。目悪くなって、どっかのメガネ教師みたいになるぜ』

なおも笑いながら、益田さんはそう言った。
電気…?なんで私の部屋の電気が消えてるって……え?!もしかして!!
私はベットから立ち上がり、窓のカーテンをちらっと開けて外を見た。
――すると、そこには車に寄りかかりタバコをふかしながら携帯を持っている――
益田さんがいた。



「どうしたんですか!!」

急いで家から飛び出し、私は益田さんの元へたどり着いた。

「いや、ちょっと、ね」

初夏とはいえ、風もあるし、夜はまだ寒くて、私はくしゃみをした。

「あぁ、その格好じゃ寒いね。おいで」

益田さんは車の助手席のドアを開けて私を座らせ、自分も運転席に座った。車内は、少し暖かかった。

「零一から聞いたよ」

益田さんは車の灰皿にタバコをもみ消した。
一度も言ったはないけれど、気の回る益田さんはきっと、私がタバコの臭いが苦手だって事、気がついているんだろう。

「何を、ですか?」
「テスト、まだ1ヶ月先だってね。まぁ、向学心旺盛な君なら、勉強って事もあるかなって思ったけど」

益田さんは私に向き直って、続けた。

「ここのところ、君は元気がなかったから。ちょっと、話をしようと思って」

”話”。その言葉に、私はいわれのない嫌な予感がした。まさか。もしかして…。

「俺たち、付き合ってもう1ヶ月になるけど」

私は、相づちさえ打てずにいる。益田さんはゆっくり、ゆっくり話を続ける。

「色々…楽しかったよ。俺にとっては新鮮な事ばかりで」

”楽しかった”…なんで過去形なの?

「それで…」

益田さんはそこまで言うと、タバコを一本取り出して、くわえた。
けれど、火をつけようとライターを取り出したところで、動きを止めてしまう。くわえたタバコも、また元通りしまってしまった。

「・・・ここで、終わりにしないか?」

一番、おそれていたことだった。聞きたくない言葉だった。
車内に、居心地の悪い沈黙が続く。
どうしよう・・・このままじゃ終わっちゃう。――嫌だよ、そんなの嫌だ。
落ち着こう、落ち着かなきゃ。私は熱い目をきつく閉じた。



「あの…」

私は思いきって口を開いた。思ってたことを全部、話してみようと思ったから。
今日の、帰り道に姫条くんと話したこと、思い出したから。

「ん?」
「私、タバコを吸う益田さん、好きです」
「…どうしたんだい?急に。」
「急、かもしれませんけど、私はずっと思っていました。
 益田さんはお仕事中はタバコ吸わないから…
 私、タバコは嫌いですけど、タバコを吸う益田さんは、私だけの益田さんって感じで、大好きです」
「…」

益田さんは、私の方を向いたまま、黙ってしまった。

「聞いて欲しい話があるんです。
 私が悩んでた原因とか、最近考えてたこととか…さっき、電気を消して勉強していたこととか」

相変わらず目は熱かったけど、私の気持ちは不思議と冷静になっていた。大丈夫、ちゃんと話せる。ちゃんと話さなきゃ。

「益田さんは、大人です。私は子どもですけど、益田さんは大人です。
 高校も…とっくに卒業していて、お仕事だってちゃんとしていて・・・ううん、それどころかお店まで持っていて。
 いつも余裕があって、私の前でわがままを言ったりしない。」
「…どうかな、そんなこともないと思うけど」
「少なくとも、私の目にはそう映ってます。
 そして、私はそれが不満なんです。対等になりたいんです。
 一緒に、制服で下校デートしたい。休日には映画見たり、遊園地行ったり。
 同じ目線で物事を見て、笑って、一緒に大人になりたい」
「…」
「私だけじゃなくて、益田さんにだってヤキモチやいて欲しい。”会いたい”って言って欲しい。
 …でも、私、益田さんにそれを知られるのが嫌だったんです。子どもだって思われたくなかった。
 だって、私が大人になれば、益田さんと対等になれるから。
 そうすれば、益田さんと、ずっと一緒にいられると思ったから…勉強、なんてウソついてごめんなさい」
「…いや」
「でも、それでも私は、別れたくありません。
 対等じゃなくても…益田さんは大人で私は子どもでも、それでも益田さんじゃなきゃ嫌です」
「…」
「早く…早く大人になります。一生懸命頑張って、益田さんに似合うような女の人になります。だから……」

頬を、涙が伝うのを感じた。

「…だから、別れるなんて言わないで下さい……」

一気に話し終えて、私は深呼吸をした。
震えていた。こんなに言いたいことをはき出してしまうのは初めてで、ちょっと、怖かった。

「サエは誤解してるよ」

益田さんが口を開く。

「サエは、俺を誤解してる。俺は、そんなに大人じゃない。
 まぁ、君にとってはおじさんかもしれないけど…高校生だった時なんて、俺にとっちゃ昨日のことだ。
 俺は、未来が思ってるほど、俺のことを大人だと思ってない」

私は、黙っていた。涙は止まらなかったけど、黙って益田さんの話を聞いていた。

「サエは、俺がわがまま言わないっていったね。

確かに、口に出したことはない。けど、言わないのと思わないのは違うよ。

俺は、俺なりにサエにかなえて欲しいわがままがあった」

「…過去形にしないで下さい」

私は、涙の合間に声を絞り出す。

「え?」
「”わがままがあった”なんて、過去形で言わないで下さい。わがまま、かなえたいです。言って下さい…」

益田さんはやっぱり正面を向いたままで、そしてちょっと困った顔になったけど、その顔はすぐに優しい笑顔に変わった。
私の大好きな、笑顔。

「…そうだな、例えば…我慢、しないでほしい。今サエが話してくれたようなこと、もっと口に出して欲しいんだ。
 情けないけど、サエがなんにも言わないから、俺は勝手に不安になった」
「え?」
「それと、俺と対等になって欲しい…サエがさっき言ったのとは違う意味で。
 いつまでも敬語、いつまでも”益田さん”。いいかげんやめてくれないかな?俺だって、君の同級生に嫉妬する」
「…」
「そして…泣くなら俺の前で泣け。他の男の前で泣いたりするな。
 だから俺は…サエと別れようと思ったんだ。対等な奴の方が、サエを分かってやれると思った」
「…は…?」

益田さんは相変わらず笑顔のままだった。さっきと違うのは、その視線が私に向けられているということ。

「今日…もう昨日のことか。サエが帰った後、これ届けに、サエを追って公園まで行ったんだよ?サエは気づかなかったけど」

益田さんはポケットからハンカチを取り出し、ひらひらと振った。私のものだった。

「あ…!ち、違いますよ!!あの人は姫条まどかくんといって、隣のクラスの…」

必死に誤解を解こうとする私の言葉を、益田さんの声が遮る。

「なら、誤解させるようなことするな。俺の前で泣け」

益田さんはタバコを取り出して、今度は迷わず火を付けた。その仕草がとてもかっこよくて、私は見とれてしまう。
けれど、目があって、それから私は益田さんの方を見られなかった。



私は下を向いたまま、約束を実行する。

「…義人。………好き」

益田さんが煙を吐き出し、タバコの香りが広がる。嫌いなはずのその匂いは、私の身体にとけ込むようだった。

「それと…泣きたくなったら義人のところ…行くから。仕事中でも、来るなって言われても、会いに行くから」

顔が熱い。目も熱い。身体が全部心臓みたい。けれど、私は思いきって、益田さんの顔を見た。そして、最後の一言を口にする。

「だから…側にいて下さい」

私の目から涙があふれるのとほぼ同時だったと思う。益田さんはタバコを口から話すと、私の頭を引き寄せて、唇を合わせた。
タバコの味がして、益田さんの香りがして、私はどうにかなってしまいそうだった。





「今日、学校さぼれよ」
「…え?」
「サエのわがまま、叶えてやる。映画と遊園地、だろ?」
「ホント?!」
「あぁ…そのかわり、日付が変わるまで帰さない」
「え…で、でも益田さんお仕事大丈夫なんですか?!」
「………」
「な、なんですか?」
「敬語。名前」
「…あっ!」
「まぁ、明日一日で敬語なんて使えなくしてやるよ」
「え?」
「俺がどれだけわがままなガキかってこと、教えてやる」



微笑みながらタバコを吸う益田さんはとても妖艶で魅力的で、やっぱり大人の人だなって思ったけど。
明日、私たちは初めて本当のコイビト同士になれるんじゃないかって、嬉しく思った。





どうしようもないことって、世の中にはいっぱいあるんだって、思う。
お天気とか、人の気持ちとか。
そして、産まれてくるタイミング、とか。



―でも、私たちはきっと大丈夫。






END






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