少し荒っぽく私の頭を撫でるその手とか、呆れたみたいにでもすごく優しく笑うその目だとか。
下らない会話、苦すぎるブラックコーヒー、大きな大きな靴のつま先。
そんな先輩の全てを、例えば、独占できたとして。

それでも私は、きっと思ってしまうのだろう。
足りない、まだ、足りない。
次から次へと増えていく先輩の愛しい部分とか、優しさだとか、そういう新たに生まれるものを、欲しいと思ってしまうのだろう。

感情にきりなんてあるはずがないし、いつまでたってもきっと、自信なんて持てない。
先輩の気持ちを分かっていても、嫉妬したり、泣いたりわめいたり、意地を張ってみせたり。
その度、私は自分を嫌いになるかもしれないし、先輩は少し、困った顔をするかもしれない。



でも、それでも未来を想像したときに、必ず幸せな気分になるのは。



まるごと受け止めてくれる大好きな人が、ここにいるから。






【喩えるならば木漏れ日のような】






振り返ってくれた先輩の笑顔に、追いかけていた私の足が止まる。
嗚咽なのか息切れなのか分からない、荒い呼吸の中。私は心の底から、ほっとしていた。

愛想を尽かされたかと思った。
もう、振り返ってくれないんじゃないかと思った。
こんなに優しい笑顔は、見られないと思った。

人の気持ちが、誰に信じられようともそうじゃなくとも、自然と変化するように。
私ももう、戻れないところまで来てしまったのかもしれない。
きっともう、真咲先輩なしでは、私はうまく笑うことも泣くこともできない。
それを、分かって、しまった。

「真咲先輩、ごめんな、さ……」

涙で化粧はぐちゃぐちゃかもしれない。
安心に緩んだ顔はきっとぶさいくだろうし、声だってすごくかわいくない。
それでも私は、もう、うつむく気にはなれなかった。

「っ……まさきせん……」
「うん」
「ごめんなさい……っ」
「うん、いいよ」

先輩が、ゆっくりと近づいてくる。
夕日に伸ばされた先輩の影は、きっと私の足元を覆っているのだろうけれど、さっきと違って、私の視界には。
私の視界には、先輩が、いる。

「いいよ、大丈夫」

ちょうど正面、真咲先輩は少し腕を伸ばせば届くような位置で立ち止まって、私の頭を撫でた。
最初は何かを振り落とすみたいに、激しく。次第に、優しく。

その動きに、思う。なんで真咲先輩の手はこんなにも、私に添うのだろう。
先輩がとても、柔らかい手をしているからかな。
それとも、先輩と一緒にいると、私が柔らかくなれるのかな。
どっちだとしても、それはすごく幸せなことだと思うからかまわないけれど。

でも、思うんだ。
私も、少しでも変われたらいいな、って。
真咲先輩を好きになって、真咲先輩に好きって言われて、
それでも満足できなくなってしまった私は、なんだかすごく嫌な生き物になったような気がしていたけれど、
もし間に合うなら、今からでも、柔らかく、暖かくなれたなら。
真咲先輩みたいに、優しく、なれたら、と。
そう思うんだ。





撫でてくれたその手に、間近の先輩を見上げようとしたとき。
その手は私の後頭部をすっぽり覆って、私を引き寄せた。
少し荒っぽいその仕草だって、私を安心させるには十分すぎたから、なんだか益々泣けてしまった。
先輩は口を開く。

「……例えばさ、王子だったら」
「王子……?」
「ああ、王子だったら、ちゃんと15分で迎えに行くんだろうなー、とか」
「……?」
「姫を泣かせたりしねえよな、とか」
「まさき、先輩…?」

言葉のつなぎめ、手が背中を叩く間隔が、狭くなったり、広くなったり。
それがまるで、先輩が戸惑ってるのを知らせているみたいで、私はどきり、とした。
戸惑わせてしまっているとしたら、間違いなく犯人は私だ。
心配に少し身をよじって先輩を見上げると、片眉だけを寄せて苦笑する顔が目に入った。

「知ってたよ」
「え?」
「新歓コンパの日も、今日も、おまえがアイツのこと気にしてたの」
「え、あ、あの、」
「知ってたよ。知ってた……のに、なあ」

語尾を詰まらせた先輩が、私の頭をもう一度包んで、今度はさっきよりも力強く、ぐっと引き寄せた。
息が詰まる。
鼻先が先輩の鎖骨の下にごつん、とぶつかって、少し痛かった。

「ごめんな、嫌な思いさせたな」
「……そんなこと、ないです。放っておけるはずないって、知ってるし。放っておいて欲しかったわけじゃ、ないです」
「そうじゃなくて。おまえのことだから怒りの対象は自分自身だろ?」

先輩が息を吸うのを、身体に感じた。





「もっと早く、話聞いてやればよかったんだよなー、と。思ったんだ」





もしも、あの新歓コンパの日。
私が行かないで、と言ったら、真咲先輩はきっと、そうしてくれただろう。
今日のかくれんぼだって、私が嫌だ、と言ったら。
真咲先輩はどうにかして鬼を変えてくれたと思うし、そんなこと先輩には簡単なことだったと思う。
さっき櫻井先輩言ってたように、きっとすんなりと。
本当に笑って、そんな我儘、軽々と受け止めてくれたんだろう。

でも、それは違う。
私の我儘で、傍にいることを選んで欲しいんじゃない。
真咲先輩が、真咲先輩の意思で、私の隣にいてくれないとなんの意味もないんだ。

怒りの対象が私自身、なんて、そんな綺麗な感情とはかけはなれたものだけど。
私の怒りの対象はたしかに、あの子でも、真咲先輩でも、運命を決めた神様でもなくて。(しつこいようだけど、私は乙女だ)
平気なふりをして、“信じる”努力をしなかった私自身。
素直に“さみしかった”と言えなかった、私自身。

真咲先輩の、優しさを、“信じられなかった”私自身。

真咲先輩は、こんな私の全てを分かってくれているのに、どうして“信じる”なんて言葉が薄っぺらいと思えただろう。
信じるべきものが、信じられるものが、手を伸ばせばすぐに、届くところにあるのに。
どうして向き合うことが怖いなんて思ったのだろう。

選ばれることと、他の全てを切り捨てることの間で、混乱している私のことを。
先輩は全部承知で、ずっと向き合おうとしてくれていたんだ。



「真咲、先輩」



うん?と、先輩は腕の力を少し緩めてくれる。
私は抱きしめられたまま、形にならない気持ちを探し始める。

「私、誰にでも好かれちゃう真咲先輩が、好きで」

  誰にでも優しくできる真咲先輩が、好きで。
  ちょっと仕草が荒っぽいところも好きで、ぐしゃぐしゃって頭を撫でるその手が好きで。
  声が好きで。視線が好きで、笑顔が、大好きで。

「全部、好きで。だから、全部欲しいなって思って……でも、そんな我儘で、独占したいわけじゃないんです」

顔を上げた。目が合った。
思えば、振り返ったときはいつも、わずかに細められた優しい視線にぶつかっていた。
本当にずっと、こんなにも優しい目で見ていてくれたんだ。

「ずっと、好きでいてくれたらな、と、思うんです」
「……おう」
「傍にいたい、と思う女の子が、私だったらいいな、と思うんです」

どんな言葉を使ったら、伝えたい形ができるのか分からなかったから。
拾える気持ちを全部拾って言葉を続けようとしたら、口をふさがれた。
「照れるから勘弁しろよ」、と一言呟いた後の。その、先輩の唇で。
唇が離れた後に、眼前にあった先輩の顔は、怒るみたいなからかうみたいな、なんとも不思議な表情だったから、
思わず噴出したら、先輩も笑った。

「その顔は、もう一回して欲しいってことですか?」
「……」
「……おい、否定しとけ」
「いえ、別に」
「おいおい……頼むから否定してくれよ」

そういうの、殺し文句って言うって知ってますかね?

不自然な敬語に、にへらっと笑いなおしたら、真っ赤な顔でちょっとだけ睨まれて、すぐに。
繊細な、まるで壊れやすいものに触れるような、優しいキスが降りてきた。








「ちょっとは手加減しとけ?色々耐えられねえぞ、オレ」








それから数日。
やっぱり2人で過ごす穏やかな日々に、大きな変化はなにもない。
ぼんやり空を眺めたり、お昼には一緒にパンをかじったり、たまには櫻井先輩の気まぐれに巻き込まれたり。

ただ、ほんのわずか。
それはきっと、見た目には分からないほど些細だけれど。
私の気持ち、が。
ちょっとだけ、変わった気がする。

「って感じでさ、ちゃん、真咲これから後輩の子に呼び出しされちゃってんの!どう思う?」
「は、はあ」
「絶対告白だと思うんだよねー」
「ゼミの用事だって言ってんだろ」
「それって口実じゃないの? どう思う? ちゃん」
「まあ、ちょこっと怪しいです、かね?」
「だろー? あとつけて阻止しちゃえよ」

楽しそうにそういいながら、櫻井先輩がカフェオレに口をつける。
その隣、ブラックコーヒーが真咲先輩。ウーロン茶は私。
先輩は相変わらず、櫻井先輩の一挙一動に振り回されていて、ちょっぴり不機嫌で。
そんな2人をいいコンビだなーと思ってしまうのが、私。

「櫻井さ、前から若干、オレとのことかきまわして遊んだりして……ねえ、よな?」
「んー、どうでしょう」
「ふざけんな」
「ふざけてなんかいないです真咲くん」

いししし、と声を上げた櫻井先輩は、残りわずかのカフェオレを「はい、あげる」と私に手渡して、立ち上がった。
どうやら、日課の図書館通いに行くらしい。
すでに後姿の櫻井先輩は、ひらひらと手を振りながら声を上げた。

「安心しろ」
「あ?」
「かき回しても壊れないもんしか、俺はかき回さねえから」
「なんだそれ」
「ま、検討を祈る! 真咲くん!」

そうして2人でベンチに取り残されて。
櫻井先輩の後姿をなんとなく見送りながら、私は先輩に話しかける。

「さっきの、本当?」
「あー……まあ、詳しい用件は知らねえけど」
「ふーん」

鼻で返事をして、先輩を見た。
先輩の視線の先には、櫻井先輩――あ、振り返った。
やっぱり、私。

「……行くの?」
「行って欲しくねえの?」
「うーん……う、うん?」
「どっちだよ」
「うーん、わかんないです」

悩みはつきることはない。
だって今この瞬間でさえ、行って欲しいか欲しくないかなんて分からないし、分かったとしても言葉にできないけど。
でも、たった一つ。
それさえ揺らがなかったら、私はきっと、優しくなれる。

「行って、きたら?」
「前みたいに、妬いてくれたりは……あでっ!(ぐーで腹を……!)」
「……帰ってきて、くれるでしょ?」

真咲先輩が、こうして傍で、向き合ってくれているから。
あなたみたいに、優しくなれる。



「非常階段で、待ってます。だから、帰ってきて下さいね」



笑って見せた私に、真咲先輩は口をへの字に曲げて、立ち上がった。
そして私の手から、櫻井先輩のカフェオレを奪い取る。

「こんなもん、飲むんじゃねーぞ」
「なんでですか? もったいない」
「……オレが飲むからいいんだよ」

ぐびぐびと、上下する喉元。
まずそうに眉をしかめた先輩に、笑いがこぼれる。

「真咲先輩、嫉妬ですか?」
「うるせー」
「別にいいじゃないですか、間接チューぐらい」
「ダメに決まってんだろ」

そんなの許しません。
お父さん?と呼んだら、カレシです、と。
ちょっと痛いデコピンが返ってきた。






最近、悩んでいる。
真咲先輩の優しさについて。

「――ねえ、、それでこれは、ノロケなんだよ、ね?」
「……そう思う?」
「全力で、そう思うんですけど」

私の感情は、大好きな人の優しさで、簡単に形を変える。






  優しい君が、大好きです。






END






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