そんなに多くの恋愛をしてきたわけじゃないけれど。
経験半分、友達の体験談半分で、思っていることがある。
それは、“男の人は、2種類に分けられる”ということ。
その2種類は、“彼女を甘やかすタイプ”と、“甘やかさないタイプ”。
この分類によれば。
私の彼、真咲元春は間違いなく後者。
彼は私を、甘やかしてはくれない。
【ビター・スイート】
腹が立ったから、狭い部屋の中、元春に思いっきり背を向けてやった。
元春はといえば、大好きなホラー映画のDVDを再生したままだから、そんな私のことなんか気にしちゃいないんだろうけど。
「……バカ元春」
呟くみたいに言ったけれど。
10ヶ月も二人で暮らしてきたから、この部屋で独り言なんてできないこと、私は当然知っていて。
それなのに、こんなことを言う私は、かわいくないかな?
でも、どうせ元春は顔色一つ変えやしない。
きっと、また言ってるよ、くらいに思ってるんだから。
「バカ元春。バカバカ。バーカ」
悔し紛れに、何度も言ってみた。
ホラー映画の不気味な効果音に混じって、私の声も鈍く飛ぶ。
「……元春なんて、だいっきらい」
話の始まりは、今からだいたい1時間前になる。
二人で夕飯を食べて、食器を洗った後のこと。
「…元春、私、仕事やめたい」
私は元春に、相談を持ちかけた。
私にしてみれば、それは深刻な相談で。
だってもう、少なくとも半年はずっと考えていたし。
悩んで眠れないことだっていっぱいあった。
泣くほどつらかったことだって、1度や2度じゃない。
でも、元春は言ったんだ。
「なーに言ってんだ」
まるで、冗談をかわすみたいに。
駄々をこねた子どもを、叱りつけるみたいに。
「なーに言ってんだ」と、そう言ったんだ。
就職して1年。
毎日毎日、何時間も残業した。
偉い人からのセクハラにも必死で耐えたし、先輩からの嫌味も堪えて笑顔で返した。
でも、そんなことはまだいいの。
一番つらいのは、“何のために仕事をしているのか分からない”ということ。
もっと、やりがいのある仕事だと思っていた。
誰かのために。社会のために働けるんだと思ってた。
でも、少なくとも、今の私はそんなこと実感できない。
感じるのは、会社の利益のためだってこと、それだけ。
同期の子も、もう何人も辞めていった。
われながら、頑張ったほうだと思う…んだけど。
「ちょっと、元春?!私、真剣に言ってるんだよ」
反射的に返した私の言葉は、思った以上に強い声だった。
でも元春は、全く動じることもなく、ちらりと横目で私を見る。
「んなこと分かってるよ」
「じゃあ何?今の。すごくどうでもよさそうだったじゃない」
「そうかー?」
「そうだよ!ほら、今だってそうやって…」
思わず、私は前傾姿勢になる。
すると元春は、私の髪の毛の中に指を差し入れるようにして、すっと頭を1回撫でた。
まるで、小さい子をあやすみたいに。
そして、言う。「だって、まだ1年だろ。そんなんじゃ分かんねーって」
言葉まで上から言われてるみたいで、私は益々腹がたった。
「…分かってないのは元春だよ」
「…は?」
「分かってないのは元春だよ!私がどれだけ悩んだと思ってるの?!」
感情にまかせて言葉を吐き出すと、頬に涙が流れた。
それは、まるで堤防が崩れたみたいに、次々に。
言葉も、涙も、崩れて、溢れる。
「元春はいいよね?!」
「何がだよ」
「希望通りの、いいところで仕事できて。やってることだって、役に立つような仕事だし」
「………」
「仕事楽しそうだし。男だもん、昇進もできるし」
「私なんて…」
「“私なんて?”」
「お茶いれとか、お酌とか、雑用とか、そんなんばっかりで」
こぼれる涙を力任せにぬぐう。
手の甲はもうびしょびしょで、もしかしたら逆効果かもしれなかったけれど。
「…こんなはずじゃなかった」
「こんな仕事だと思わなかった!」
私の様子に、元春はため息をついた。
―なーに言ってんだ―
最初と違って言葉にこそならなかったけど、明らかにその態度はそう語っている。
「…もういい」
「何がだよ」
「もういい!元春なんて、分かってくれなくていい!バカ元春!」
叫ぶように言って、手元にあったクッションを投げる。
そして私は、彼に背中を向けて――
――で、最初に戻るわけなんだけど。
何を言っても、結局元春は動じない。
こんなとき、思う。
元春は甘やかしてくれない人だって。
だって、そうでしょう?
ちょっと話を出してみたとき、友達はみんな言ってくれる。
それはひどいね、とか、辞めてもいいんじゃないか、とか。
でも元春は、そんなことは1度も言ってくれたことがない。
泣いても。わめいても。
なんだか心底悔しくて、「…だいっきらい」と、もう一度確かめるみたいに言ってみた。
すると諦めたようにため息をはいた元春が、私の頬を大きな両手でぐっと挟む。
「あのなぁ、いい加減にしろよ」
出てきた言葉も、その声も、いつもよりちょっと低くて。
思わず私は身を縮めた。
「言っていいことと、悪いことあるだろ」
「…だって元春が」
オレがなんだよ?
元春は言う。
「冷たいよ。もっと親身になってくれてもいいじゃん…」
「なってるだろ」
「じゃあなんで、なんで分かってないとか言うの?まだ1年とか言うの?!」
涙で語尾がかすれた。
元春は軽く、私の両頬をパチンと挟み直す。
「じゃあ、辞めちまえって言えばいいのか?」
「え……」
「そうだな、辞めちまえよ、って?大変だな、ひどいなって言えばいいのか?」
それまで厳しかった元春の顔が、ふんわりと和らぐのを、涙で霞む視界で見ていた。
そして、その大きな手の親指が。
私の涙を、暖かくぬぐうのを感じた。
「…オレだって、同じだったよ。ずっと、辞めたくて辞めたくてたまらなかった。仕事」
「…うそ……」
「本当だぜー?今でも、たまに思うよ。情けないけどさ、由真が思うほど、オレは立派な仕事してない」
そう聞くと、大きな手のひらがすっと私の後頭部に移動して。
私の顔が、元春の胸にぐっと押し付けらる。
その後に聞こえてきたのは、最近で一番、優しい元春の声。
「なんなら養ってやろうか?」
「…は?」意外な一言に、思わず素っ頓狂な声が出た。
でもすぐに、元春が「いいぜ、いつでも。そのために働いてんだし」なんて、とんでもないことをサラッと言うから。
私はバカみたいに口をあけたまま、顔に血が上るのを感じていた。
「あのさ、本当はどっちがいいのかなんて、そんなことオレだって分かんねえけど」
「…うん」
「でも、やっぱり勿体ねえと思うんだよな。あんなに頑張って就職して、辛くても1年やってきたのに」
「やっぱり1年じゃ分かんねーと思うんだよ。オレの乏しい経験談だけどな?」
「……うん」
「お前が選んだ道だろ?今はまだ雑用係かもしれねーけど、いつか、何かはできるかもしれないだろ?」
「うん…」
「だから、とりあえずやってみろよ。だめだと思ったら、いつでも養ってやるからさ」
「うん」
顔を上げて、彼を見た。
元春は、すごく、すごく優しい顔をして、私を見て。
そして、鼻先に一つ、小さなキスをくれた。
「おまえが頑張ってるの、知ってるよ。だから、無駄にすんなよ」
元春も辛い思いをいっぱいしてるって、本当は知っていたのに。
私より早く仕事に出て、私より遅く帰ってくるのに、グチ1つこぼさないこと、分かってたのに。
どうして私は、あんなにひどいことをいえたんだろう?
ストレスが溜まってたとか、寝不足だったとか、言い訳はいくらでも浮かぶけれど。
ただじっと怒ることもしないで、私の話を聞いてくれた元春に、誰がそんなことを言えるだろう?
「…ごめんね、ありがとう」
後悔を告げるように、やっとの思いで、それだけ。
私が呟けば、彼は私の頭をぐしゃぐしゃと撫でてくれる。
そして、にっこりと、私の大好きな顔を見せてくれる。
「だから、だいっきらいなんて言うなよ?オレの働く意味がなくなっちまう」
その言葉にどうしようもない幸せを感じて、私は笑って。
そして、さっきの言葉を言い直す。
「元春、だいすき」
「うん」
「…ありがとう、だいすき」
男の人は、2種類に分けられる。
“彼女を甘やかすタイプ”と、“甘やかさないタイプ”。
元春は、やっぱり私を簡単には甘やかしてくれないけれど。
それでも、見てくれる。
ちゃんと、地に足をつけて愛してくれる。
「…でも、セクハラだけはちゃんとかわすように」
抱きしめながら、彼が漏らした言葉に、私は思わず噴出して。
はい、と返事をしてから、背伸びをしてキスをした。
元春との、未来のためなら。
頑張るのも悪くない。
そんなことを考えながら。
END
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