当たり前だけど、彼には私の知らない過去があって。
それは例えば、高校時代。
私が通っていたのと同じ校舎で、彼はどういう風に過ごして、どういうことを考えて。
どんな顔で、どんな声で、どんなことに笑ったのか。
そこには、どんな人たちがいたのか。

彼より遅く生まれた私が、その場に居合わせなかったのは、仕方のないことで。
でも、頭で理解することと、気持ちが納得することは、やっぱりまったく別のこと。



真咲先輩の、今までが。
気にならない、と言えば、もちろんうそになる。






【足跡をたどるように】






電車の窓から見える景色が、ビル街から住宅街に変わった。
道端には大きな楓の木が整然と並んでいて、手入れの行き届いたその並木道はとても綺麗だった。
将来、こういうところに住んでみたい。
隣で、私と同じように窓の外を眺めている真咲先輩に言おうとすると、目が合った。
彼は、少し照れたような、緊張したような顔で、口を開く。

「次、降りるぞ」

私は二回、短くまばたきをした。

「この辺なんですか?」
「おう」
「いいところですね」

まあ、静かなところだ。彼は言った。

電車が減速を始める。
私は膝においていた紙袋を掴みなおした。

今日、初めて、真咲先輩の実家にお邪魔する。
ご両親もいらっしゃるらしいから、私は生まれて初めて箱菓子なんてものを準備して、よそ行きの服を着て。
大学受験とはまた別の緊張感で、向かっている。





降りた駅は、小さな、でも綺麗な駅だった。

「かわいい駅ですね」
「そうか? さて。ここから結構歩くぞ」
「はい」

駅前の駐輪場。
歩道のタイル、ガードレール、整然と並ぶ家や、街頭。
どこにでもあるものだけれど、それらは新鮮な風景に見えた。
真咲先輩がずっと過ごしてきた場所だと思ったら、全部が特別のような気がした。

「高校生のときは、ここ通ってたんですか?」
「ああ、そうだな。自宅からこの駅まではチャリだったんだ」

この道を自転車で走る、今よりも幾分幼い真咲先輩の姿を思い浮かべようとしたけれど、うまくいかなかった。
真咲先輩は、出合った頃にはすでに大学生で、私よりもずっと大人だったから。
先輩にも高校生だった頃があって、その前には中学生だった頃があって……それは、ごくごく当然のことなのに。
なんだか信じられなくて、変な感じがする。

「高校時代は、どんな感じだったんですか?」

少しでも手がかりが欲しくて、たずねてみる。
先輩は右の眉だけちょっと寄せて、困ったような照れたような、変な顔をした。

「どんな感じって……うーん、いたって普通、としか言いようがないな」
「遅刻とか、しなかったですか?」
「たまにはしてたかなあ。常習ではなかったぞ」
「サボりは?」
「ありません。と言いたいとこだけど、実は2回だけ」
「何でサボったんですか?」
「1回は、電車寝過ごしてああもう今日はいっかーと思ったとき」
「あ、わかる。さすがにサボったことはないんですけど、なんだか分かります」
「だろ? あと、もう1回は……は、あー、うん。やっぱ内緒」
「え、何でですか」
「いいじゃねえか」

隣を歩く真咲先輩を見上げると、さっきまでの変な顔はどこにいったのか、空を仰いで笑っていた。
真咲先輩の視線の先には、なんだか私の知らない楽しいことがあるみたいで、少し悲しくなった。





真咲先輩の隣を、真咲先輩が進むほうへ歩き続けていると、いつのまにか住宅街を抜けていた。
さっきまで敷き詰められたように並んでいた家はまばらになって、その代わりに畑とか、原っぱや木が増えてきた。

「駅まで距離あるから、寝坊すると必死だったなあ」
「あはは」
「歩いてるとあんまり感じないけど、ゆるーく登りになっててキツいんだよ、ここ」

実家に連れて行ってくれるという話になったとき、本当に嬉しかったし、せっかくだから こうして一緒に歩いて、色んな話を聞きたいと思った。
それは楽しいことだと思ったし、幸せなことだと思った。
でも。
さっきから、思い出したように顔をひょっこり出すのは、不安ともどかしさ。
先輩はこの道を、誰かと歩いたりしたんだろうか。例えば、大切だった人、と。
そんな疑問は、どんどん私の中で膨らんで、体積を大きくする。

「……たまには、」
「うん?」
「たまには、誰か。自転車の後ろに乗せたりしてた?」

聞かないほうがいい、と懸命に押し留めていた言葉が。
ついうっかり、ぽろっと、こぼれてしまった。





高校3年間、ずっと真咲先輩が好きで、高校を卒業するときに真咲先輩に告白されて。
付き合って1ヶ月。
一緒の大学に通って、たまには真咲先輩のアパートにご飯を作りに行ったり。
手を繋ぐのも、キスをするのも、抱きしめるのも触れ合うのも、全てが新鮮で幸せで。
長かった片思いが叶った幸せでいっぱいだった。

でも、時々感じていたのは、私が知らない昔の真咲先輩の時間。
高校1年のときに出会った3歳年上の真咲先輩は、私の高校時代を当然知っていて、でも私は彼のそれを知らなくて。
先輩も私みたいに、高校時代に誰かを好きになったりしたんだろうか。
休日には一緒に出かけたり、修学旅行で一緒にどこかに行ったり、隣の席で授業を受けたり、お弁当を一緒に食べたり。
隣にいたいと思う人が、いたんだろうか。
それを私が知らないのは当然のことだし、もう出会ったときから分かりきっていること。
でも、無理だと頭で理解していても、知りたいと思ってしまうのは。
今だけじゃ足りない、という、私のわがままだと思う。

「……やっぱり気になるか?」

思わずこぼしてしまった独占欲の恥ずかしさにうつむいていると、隣で真咲先輩がそう言った。
私は顔を上げられなくて、交互に前に出る靴のつま先に目をやった。

「昔どうだったか、とか。そのー……彼女、とか」
「……嫌ですよね。ごめんなさい」
「や、それは別に。オレも気にならないって言ったら嘘になるからな」
「え?」
「確かにお前の高校3年間、バイト先の先輩としてお前を見てきたけど。
 でも、そんなの一部だろ。学校でお前がどうしてたかとかは知らねえわけだし」

ちらりと横目で真咲先輩を見た。
先輩は前を向いたまま、右手で小さく頭をかいている。
そして、また口を開く。「それに、それ以前もあるし」
その言葉に反応するみたいに、私は目線だけじゃなく、顔も上げる。

「それ以前?」
「中学んときとか。どんなんだったのかなーって考える」
「……」
「おまえがどうやって生きてきたのかな、とか、考えるよ」

先輩は照れくさそうに笑った。
「キリねえって分かってるんだけどな」と付け足して。

「知りたいことは、全部教えてやるよ」
「え?」
「高校のときのことでも、その前のことでも。もちろん今のことでも、おまえならいいかなと思う」

何が?と聞けば、真咲先輩は大きな手で私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
それは最近気づいた、照れたときにする彼の癖。

「おまえになら、なんだって知ってもらいたいと思うよ」

私の頭をかき回し終わった手がゆっくりと下へ降りて、私の手を掴んだ。
そして「あと少しだからな」と先輩が言う道を、歩いた。
これだけのことで、さっきまでのもやもやは影を薄くして。
ああ、これが色ボケかなぁなんて、ほてった頭でなんとなく考えていた。





やがて、一軒の少し古びた家の前で、先輩が足を止める。

「着いたぞ」

その言葉に私の緊張の糸がまた張り詰めたような気がして、大きく深呼吸をした。
先輩は笑う。

「はは、別にとって食おうってわけじゃねえぞ」
「そうですけど、き、緊張する……」
「ちなみに」
「え?」
「ちなみに、親に恋人を紹介ーなんてのはオレも初めてなので、緊張してます」
「……そうなんですか」
「そうなんです」

一緒に深呼吸をして、顔を見合わせて微笑んだ。
ヘンなところない?と二人で向かい合ってチェックして、玄関の戸に手をかける。

「部屋に入ったら、アルバム見せて下さいね」
「おお、いいぞ」
「お話もいっぱい聞かせてくださいね。ご両親にも聞いちゃおう」
「ああ。でもまあ、あんま焦んなくていいぞ。ここには、これから何度も来てもらう予定なんで」
「あ……はい」
「時間はたっぷりある」

私は笑って頷いた。

「じゃ、行くぞ」
「は、はい。お願いします」

開いた扉の先には。
私たちと同じように、顔を少し緊張させて笑う、2つの顔があった。
その顔が、あまりにも先輩そっくりで。
私は思わず、笑いたくなってしまった。



このことを話したら、「失礼な奴だな」と皆が同じ反応をして、 顔を見合わせて笑うのは、もうちょっと後。



――私たちが、家族になる日の話。






END






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※24,444HITにいただいたキリリクのお話です。遅くなりましてすみません…。
 「真咲先輩の実家へ一緒に行く話」というリクエストでした! すっごく私好みのシチュで嬉しかったです。
 それなのに、なんというか、ひたすら穏やかなだけの話になってしまって申し訳ないです。ちゃんとリクに添えてるかドキドキです。
 主人公ちゃんが大学に入って初めてのGWあたりをイメージして書きました。先輩は、主人公ちゃんなら結構早く実家に連れてってくれそうなので。
 実家に行くって、連れてく側も連れてってもらう側も恥ずかしいですよねー。なぜか自分の親に向かって敬語で話しちゃったりしそうです。
 リクエストくださった桃香さん、本当にありがとうございました! とっても嬉しかったです。
 お読み下さいましてありがとうございます!