暑い室内に、冷蔵庫の唸るような音が低く響く。
さっきからずっと首を振り続けている扇風機は少し立て付けが悪く、たまにキッと鋭く鳴く。

また、泣かした。

大事にしようって、喜ばせよう、笑わせようって思ってるのに。
どうしてオレは、こうなんだろう。






【真夏日を乗り切る方法】






ことの始めは、ジグソーパズル。
昨晩、やっと完成するぞと思ったら最後の1ピースが足りなくて、今日帰ったらピースを探して完成させようと思っていた、ジグソーパズル。

このジグソーパズルは、オレの些細な、だけどすっげえ重要な楽しみだった。
だって、真夏日が続く最近は、毎日が本当にしんどくて。
まず、暑い日のアンネリーの仕事がとにかくきつい。とくに配達なんて、地獄。
車のエアコンが壊れてるもんだから、最近遠くへの配達注文が入ると、本気で泣きたくなる。
加えて、財布もピンチ。
先週、櫻井とちょっとコンビニまで行くはずが、気づいたら海まで行ったときの、ガソリン代がかなり痛かった。
そんなオレの、些細な楽しみ、ジグソーパズル。
些細な、だけどかなり熱のこもった待ち遠しい、楽しみだった。



バイトはやっぱり配達ばっかりで、つくづく運が悪いなーなんてウンザリしつつも、
終わって部屋の前まで着くと、やっとジグソーパズルが出来るって嬉しくて、鍵を開けるときにわくわくした。
いや、分かってる。小さい幸せだってことは、痛いほど。
世の中には、今旅行中で夏を満喫してる夫婦とか、遊園地に行ってはしゃいでる子どもとか。
仕事で今正に正念場を終えて大成功した奴もいるだどうし、もしかしたら、宝くじなんか当てちゃって、人生変わってる人もいるかもしれない。

でも、大多数の人は、所詮日常の中。
もちろんオレも、その一人。
上を見ればキリがないけど、でも、ほとんどの人は、オレみたいな些細な幸せでこんな真夏日を乗り切ってる。
いいじゃん、って思うわけです。
ジグソーパズル1つで、今日一日の楽しみができるなら。
それはそれで、幸せじゃんって、思ったりしてるわけです。

……が。

そんな些細な楽しみが、崩れたとしたら。
もし、だ。
オレの知らないうちに、ジグソーパズルが勝手に完成してた、なんてことになったら、だ。
今日一日の暑さとか、膨れ上がる食欲に反比例して、底を突きそうな財布の中身だとか。
どうやってしのごう、どうやって、消化したら、いいだろう。

鍵を差し込んで回したときに、手ごたえが無かったときにはもう、嫌な予感はしてたんだ。
だって、あのジグソーパズルを気に入ったのは、アイツだ。
きっとこの鍵を開けて中に入ったであろう、だ。



部屋に足を踏み入れて、目に入ったのは。
扇風機の風に髪をなびかせて、グラスを持っている

「あ、おかえりー」
「おう、ただいまー……って、え?」
「え?」
「……はっ?!」

……、と。
テーブルの上に上がった、真四角のジグソーパズル。
朝までは確かに、はまっていないピースでちょっとかけていたはずなのに。

例えば、例えば、だぜ?
やっとのことでドミノを並べ終わったときに、隣にすずめが飛んできて。
えいって、ドミノの端っこをつつかれたら、その人はどんな気分だろう。
トランプタワーを積み立てたマジシャンの隣で、扇風機のスイッチをオンしたら、マジシャンはどんな気分だろう。

「……、何やってんだ?」
「何って? 麦茶飲んでるけど」
「違う、その前」
「え、あっ、これ? そうそう、パズル! 完成したよ!」
「……あの?」
「ピース1個なかったんでしょ? クッションの下にあった! はめといたよー」

きっと、こんな気分なんだろうな。
ドミノを並べた人も、マジシャンも。

「おーまーえーなあ……!」
「え? なに?」
「オレがどんだけその1ピースのために時間をかけたと思ってんだよ!」
「ど、どうしたの」
「オレがどんだけ、その最後の1つをはめるのを、楽しみに……ああ、もう!!」
「え、ダメだった? まずかった?」
「なんで分かんねえかなあ!! ああ、もう! しかも暑い!! 最悪だ!」
「ちょっと先輩、わけ分からないよ。暑さで頭オーバーヒートしちゃいました?」
「おまえのせいだっての!」
「わ、わたし?」

だって、さすがにこんなのはないだろ。
分かるよな? 普通。
ジグソーパズルをやったことある奴なら、最後の1ピースの重みくらい。
例えばやったことなくても、想像くらい、簡単につくよな?

「おまえだよ!」

むしゃくしゃしたから、着替えもせずにベットに向かう。
暑さも、貧乏も、ふっ飛ばしてくれるはずだったジグソーパズルはもうなくなっちまった。
こういうときは、アレだ。寝るしかない。

「腹立つ! 寝る!!」
「ちょ、なんなんですか? 私?」
「知らねえよ! 自分で考えろ!」
「なっ…! 何それ、ちょっと先輩、何なんですか」
「………」
「む、無視?」
「……」
「ひ、ひどっ」
「どっちがだよ!!」

オレの腕を掴むを無視して、目を閉じた。
ぶんぶんと腕がゆすられるのを感じる。

「先輩?!」
「…うるさい。寝ます、オレ」
「ちょ、先輩! せっかく来たのに!」
「……」
「…わ、わたしだって怒りますよ? 腹立っちゃってますよ?」
「そうですかー」
「そうですよー……って、ちょっと先輩!」

知らねえよ、もう。
勘弁してくれ。






……と、そんな感じで、ケンカをしちまったわけですが。
暑い、寝苦しい、むしゃくしゃすると思いながらも一眠りすると、随分気持ちも落ち着いて、
目が覚めた頃には、ああ、実家から送ってもらった乾麺のそうめんがあったから、
茹でてと食おうかな、なんて、はっきりしない頭の片隅で考えていた。

汗で湿って気持ち悪いTシャツを、指でつまんで起き上がる。
耳には、やっぱりさっきと同じ冷蔵庫の低い唸り声と、不規則に鳴る扇風機がきしむ音。
ぼやける視界を擦って、夕日に染まる部屋の中にの姿を探す。

ー?」
「……」
?」

は、部屋の隅っこで、膝を抱えて座っていた。
額をその膝に預けるようにして、小さく小さく丸まっている。
ピクリとも動かないから、変だなと思って、ベットから立ち上がりのとこに向かう。
顔は見えなかったけど、のぞきこむみたいに目の前にしゃがんだ。

「おい、どした?」
「……」
「寝てるのか? おい、ー」

反応がないから、肩をつかんでそっとゆすってみた。
すると、ぴくり、との体が動く。

?」
「……起きてます」

まるで、乾かしておいたホースから、水を押し出すような声。
の声は、かすれて、ちょっとだけ水気を含んで。
え、なんで?と思って、慌てて肩を両手で掴んで、身を起こそうと力をこめた。
抵抗されたけど、力はやっぱりオレのほうが強くて、あっさり顔が上に上がる。
その顔を見て、オレは、焦った。

「え、おい、な、なんで泣いて…」
「泣いてません!」
「泣いてんだろ」
「泣いてな……」

言いながらも、は目からはボロボロとしずくが落とす。
真っ赤に腫れあがった目に、いつから泣いていたんだろう、と思う。

「ほれ、泣いてんだろ」
「……うー……」
「どした?」
「どした? じゃない……先輩が」
「オレ?」
「先輩が……怒って寝ちゃうからー…っく…」

後になれば、なんであんなに下らねえことって、いつも思う。
テレビのチャンネルだとか、車の運転の仕方だとか。
ちょっとからかうつもりだったのが、なんだか止まらなくなって気づいたらにらみ合ってる、なんてこともしばしば。

オレたちの間に、そんな下らないケンカは多い。
でも、いつだって、したくて始めたケンカなんてなかった。
今回だって、もちろんそうだ。

「わ、悪かったよ」
「先輩、私のせいって言った……」
「ご、ごめん」
「何、って聞いてる、うっ……のに、無視した……うっ」
「わ、悪かったって」
「寝ちゃうん、だもん……」
「ごめんごめん」

ああ、また。また泣かせちまった。
しゃくりあげる背中をさすりながら、後悔した。
なんでオレはこうなんだろう。つくづく、ウンザリする。



あのジグソーパズル。
買ったのは、この前に引っ張られて入った雑貨屋だった。
淡いグリーンのタオルの上で眠る、子猫の写真が完成図。

『先輩、かわいい! この猫かわいい!』
『あ、どれ?』
『これ、このパズル!』

曖昧な色が多くて、難しそうな1000ピースのそれ。
そもそもパズルが好きだったのもあるけど、完成したらが喜ぶかなと思った。

『いいな、面白そうじゃねえ? オレ買うわ』
『でも、これ大きいよ?』
『おまえんち、飾るところある?』
『え、いいんですか? 先輩がやるのに』
『組み立てるまでが面白いんだから、別にいいけど』
『ほんと?!』
『むしろ持ってってくれよ。オレには可愛すぎるだろ』
『ありがとう!』

実は額縁も一緒に買っておいたから、完成させたらすぐに糊を塗って固めて、
今日のうちにんとこに持って行こうと思っていた。真っ先に、見せたくて。

1個ずつピースをはめて、猫の形を少しずつ明らかにしながら、喜ぶの顔を考えた。
暇つぶしのパズルだったけど、いつも以上に楽しかったのは、が喜ぶだろうな、と思ったからだった。



「……泣くなよ」
「怒んないで、よ……」
「もう、怒ってねえから。ずっと泣いてたのか?」
「だ、て、先輩が怒って……うっ、寝ちゃ、から」
「ごめん、暑いし、腹減るしで、頭おかしくなってた」
「う〜……」
「ごめん、本当にごめん」

泣き止んで欲しくて、笑ってほしくて。
アンネリーのボロ車のクーラーが壊れてる話とか、櫻井とコンビニに行くはずが着いたらなぜか海だった話とか、
実は財布の中に二千円しか入ってない話とか、今晩も明日の朝も昼も夜も、そうめんしか食うものがないって話をした。
背中をさすりながら、必死に話した。

「だから、な、今日はそうめんしかねえぞ。麺つゆもすげえ薄いぞ」
「……なにそれ……」
「味噌汁や漬物すらねえぞ。本当にそうめんだけ」

オレの話は下らなくて、これは見当違いな努力だな、と思っていたのに。
気づけば、がしゃくりあげる間隔も、広くなる。
さっきまで頑なに両脇に下ろされていたの腕も、もうオレの背中に回っていた。

「ごめんな? そうめんしかねえから、むしゃくしゃしてた」
「なにそれー……」
「おまえに喜んで欲しくてパズルやってたはずなのに、何がなんだか分からなくなってた」

本末転倒でした。
呟いたら、身体に振動を感じた。

「だから、薄い麺つゆとそうめんしかねえけど、お詫びに一緒に食ってくれませんか?」

やっと、が笑ってくれた。






「いいですよ」






完成したパズルを前に、2人でそうめんをすする。
扇風機がキイキイうるせえから、2人で並んで座ることにして、首振りを止めた。

「やっぱり麺つゆ薄すぎるな……」
「先輩、だから薄めすぎって言ったじゃないですか」
「だってよー、明日も3食そうめんなんだぜ? このくらい薄めねえと、最後は味なしそうめんだぜ?」
「でも不味い……」
「……もうちょっとくらい、濃くてもなんとかなったかもな」
「気づくの遅い」
「うるせえ」

相変わらず暑いし、そうめんは不味いし、明日もバイト。
パズルは知らないうちに完成しちまって、些細な楽しみさえ、なくなっちまった。
……けど。

「おいしくない、不味いー」
「ああもう、うるせえ! 黙って食っとけ」
「無理でーす」

こうしてと一緒に、笑ったりしながら飯を食うだけで。
結局のところ、オレは幸せだな、と、思ってしまったりするわけで。

「明日は、うちから麺つゆ持ってきますね」
「おー、助かる」
「ついでにお漬物も持ってきますね」

普通の麺つゆで、またと飯が食える。
いや、分かってますよ?
宝くじに当選した奴も、夏休みを満喫する子どもも、わんさかいる。

でも、オレもオレなりに、幸せな毎日を送ってる。

天気予報は、真夏日だそうだけど。
明日もなんとか、幸せに乗り切れそうです。



「ついでに肉も……」
「無理でーす」



真夏日を乗り切る方法は、人それぞれ。





END





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