腕組みをして、ため息をついてみた。
そんなの、見せ掛けの威厳ってやつで、本当は余裕なんて微塵もなかったけど。

「…先輩?」
「なんっすかね」

わざとらしい敬語を使って、そっけない態度。
目の前のおまえが困るのを知っていて。

「あの、怒ってるの?」
「怒ってねえだろ」
「怒ってるよ」
「じゃあ、怒ってるんじゃねえの」

恋をすると、女の子は可愛くなるって聞く。
じゃあ、男は?
男はどうなる? オレは?



オレは、どうなってる?






【0-game】






「先輩、感じ悪い」

狭くて古い、アパートの部屋。
ふてくされるように壁に寄りかかったオレに、
まるで尋問でもするかのような勢いで身を乗り出しているのは、彼女の

「はっきり言ってよ、何?」
「何でもないって」
「じゃあなんで怒ってるの?」
「怒ってない、って。さっきから言ってんだろ」
「うそ! 絶対怒ってるよ」

堂々巡り。
すっかり収集の着かなくなっちまったやり取りに、どうしたもんかなーと思うけど。
でも、きっと自業自得だからしょうがないって、そう考えるのはきっと、後ろめたいことがあるからだ。
昨日、オレは見ちゃいけないもんを見て、聞いちゃいけないことを聞いた。
アンネリーのバイト中、が一人の客に声をかけられる、のを見て。
その二人が、オレが聞いちゃまずいような話をしている、のを聞いてしまった。



『じゃあ、 はあそこに見えるでっかい人と付き合ってるんだ』
『付き合ってるっていうか…うん、まあ、そうだけど』
『そっかー。……あーあ、なんってか、複雑だな、元彼としては』
『も、元彼って!』
『あれ、違うの?』
『違わない、けど…そんなこと、口に出さなくたって』
『でも、事実。だろ?』




“元”なんだから、何も気にすることねえんだ、って。
そんなの昨日から何回も考えて、でもうまくいきっこなくて。
だって、気にならないわけがない。
オレは聞いてねえよ? まさか昔付き合ってたやつがいたなんて。
質問したこともねえんだから、わざわざ言うことじゃないと思ったのかもしれねえし、
まあ、なんだ、オレもオレで、そんなこと話されたらいい気しねえに決まってるんだから、
聞いてないのも当然っちゃ当然で、に非がないのなんて、そんなの百も承知だけど。

でもよ。
でも、あんな風に見ちまったら、聞こえちまったら、オレはどうしたらいい?
オレの見える場所で、あんな風に、そんな奴に、笑いかけんなよ。
聞こえるような場所で、話すなよ。

付き合い始めて半年、オレは精一杯を大事にしてきたつもりだし、オレだって大事にされていると思っていた。
テレビを見てあははって笑う声だとか、こそっと耳打ちするとき、いたずらっ子みたいにオレの袖をつまむちっこい手だとか。
そういうのが信じられないくらい、大事で、大切で、オレにとっちゃ宝物で。
そんな宝物を分けてもらえるのは、きっと、オレだけだって。

「先輩ってば」
「なーんだよ」
「私、何かしたの?」
「身に覚えでもあんのか?」
「ないけど」
「じゃあ、してねえんじゃねえの?」

苛立ちに任せて、もう一度。
ふうっと大きく息を吐いた。

(バカみてえ…オレだけだなんて、そんなの、勝手な思い上がりだっつーのに)

目の前にあるだろう、のふくれっ面が妙にうっとうしくて。
オレは目を閉じて、顔をそらした。






せんぱい、と。
もう一度だけ呼ばれた名前は無視をして、寝たふりを決め込んだ。
なんでだろう、と考える。
なんで、はオレが不機嫌だって気がついて、こうしてしつこく追求してくるんだろう。

(だって、別にオレ、冷たくしたりしてねえ、よな?)

昨日の電話も、今日の待ち合わせも、そして、部屋に来てからも。
オレは不満なんか一言も漏らしてないつもりだし、遠まわしに攻めたりもしていない。
こんな険悪なムードが流れ始めたのは、むしろ、の「元春怒ってる?」の一言のせいだ。
何もねえっつってんのに、やたらと突っかかってくるから、だからオレも、むしゃくしゃしてくるわけであって。

(どうして女の子っつーのは、こういう気持ちの変化に敏感なんだ?)

知らん振りして欲しいってのは、男の無駄なプライドなんだろうか。
昔のことなんて、オレが何を言おうがどうしようが、変わらないことなんて百も承知。
放っておいてくれればこの最悪な気分なんて自分で立て直すし、
だから、言ってもしょうもないことを口にして、変にケンカなんてしたくない、のに。

「…っく……」
「…?」

聞こえてきたか細い声に、どきりとして目を開く。
あーあ、と、そう思ったけどそれはすでに手遅れ。
さっきまで、ふくれっ面でオレの前に身を乗り出していたは、涙をボロボロ流していた。

「…ごめん、泣くなって」
「……うっ……っく」
「怒ってねえから。全然。ほんといつもどおりだから」

ぐしぐしと目元をぬぐう、袖をまくったの右腕を掴んで脇にどける。
近くにあったティッシュを引き寄せて、一枚。
取り出してその目元に押し付けると、はいやいやと顔を振った。

「あー、もう、ごめんって」
「…ちが、うっ。せんぱ、なん…ひっ……なん、も、なんも分かってない…っ」
「分かってるよ。オレがなんか冷たかったんだろ? ごめんって」
「そうじゃ、ない…よ」
「…じゃ、なんだよ」
「そんな、その場しのぎのっ…その場しのぎのご機嫌取り、いらない…!」

怒ったように少し声を荒げたに、オレの手は、ばっと払いのけられる。
そして、「なんで?」、と。
涙に語尾を上げながら、オレの顔を、真っ直ぐに見た。



「なんで、昨日からこっち向いてくれないの…?」



その言葉に、はっとした。
どれだけ。
どれだけは、オレを見てくれているんだろう。
だって、自分でも気づかなかった。
視線が合う合わないだとか、そんなことを意識していた片思いは、とうに卒業してたし。

「…ごめん」
「ごめん、が、欲しくて聞いてるんじゃないよ」

ケンカをするたび、どうやって機嫌を取ろうって、オレはそんなんばっかり。
が泣いてたのは、そんな理由じゃなかったのに。
機嫌を取って欲しくて駄々をこねてたわけじゃ、なかったのに。

「…昨日、アンネリーで、さ」
「…うん?」
「おまえ、の、元彼? そんなん聞こえてきて、オレ、見ちまって」

恋をすると、女の子は可愛くなるって聞く。
じゃあ、男は?
男はどうなる? オレは?

「思わず、むかっと、した」
「せんぱ、」
「面白くねえな、って、そんなんどうしようもないのも分かってるけど。でも、」

オレは、今、どうなってる?






「……めちゃくちゃ、嫌、だったわけです。ゴメンナサイ」






さっきの妙なムカムカとは違う。今度は別の理由。
目の前のの顔が見られなかったから、だからオレは手探りでの腕をもう一度掴んで、そして引っ張り寄せた。
腕は、涙にぬれていた。

「先輩、やっぱり私、何かしてたじゃない」
「…おまえのせいじゃねえよ。オレの勝手な、独占欲」
「ちがうよ、だって、」

その言葉と同時。
あごの下の小さなつむじが、ぐいっと動いて、はオレを見上げた。
なんとも、不思議な表情をしている。
泣き笑い、みたいな。

「だって、ごめんなさい、先輩嫌なのに、私、嬉しい」
「は?」
「独占されたい欲が、満たされてしまったので、なんだか、嬉しいですゴメンナサイ」

女の子ってのは、本当に敏感で、そして不思議な生き物だ、と思う。
オレも知らないオレのことを知っていたり、機嫌を損ねるようなことを言ってみたら、機嫌が、直ったり。



涙にぬれた頬をくいっと上げて笑った、そのはれぼったい彼女のまぶたは、きっと不細工だったけど。
オレの目には、やっぱり愛おしくて、大事で。
誰にも見せたくない、宝物に見えた。
オレに恋をしてくれる、大事な彼女は。
とても可愛く、見えた。

「先輩、バンバン妬いてくださいね」
「…焼肉じゃねえんだから」

恋をした、情けない自分の顔を隠すため。
急にオレをからかいだしたその口に、ちゅ、と。
やっぱり見せかけの余裕と威厳で、仲直りのキスをした。



ご機嫌取りも、ケンカも仲直りも、全部の方がうまいから。
やっぱり悔しくて、目一杯、抱きしめた。



「…あの、ためしに、今はオレが一番って言ってみてもらえませんかね」
「もちろん、これからはずっと、先輩が一番」
「……」
「わ、耳まで真っ赤」
「ウルサイです」






END






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