きっとそれは、嫌いの始まりじゃなくて。
まだ言葉にならない、あいしてる、の始まりだった。






【静かなはじまり】






足元に伸びる影が、とても長い。
目の前に、私の歩く道を黒くするように影が出るのは、太陽が背中の方にあるからだ。
きっと、私の背中は、茜色に染まっているのだろう。
目の前を歩く、真咲先輩の背中と、同じ色に。

「……」
「……」

真咲先輩の背中を見ながら歩くのは、いつぶりだろうと考えてみる。
初めて、一緒のシフトでバイトに入ったとき。
片思いを始めたとき。
一緒にいたいと、心の中で願うみたいに唱えていたとき。
先輩の背中は、たくさん、たくさん見てきたけれど。

(なんだかすごく、久しぶりな気がする。)

先輩の、広い背中を見るのは、大好きだった。
遠くにある気がして切ないときもあったけれど、それでも、呼べば振り返ってくれることを知っていたから。
でも、今はとても辛い。
もしかしたら、呼んでも振り返ってくれないんじゃないかって、そう、思うから。



私はたまに、こうして後悔をする。
付き合い始めて欲張りになってしまった私を、先輩は嫌いになってしまったかもしれない。
今日だって、もう帰るぞと私に声をかけた先輩に、まだ帰りたくないって 冗談みたいに返していたら、
いつのまにか意地にになってしまって、引っ込みがつかなくなってしまって。

今度こそ、怒らせてしまった。
私が我がままを言って、先輩があきれるのはいつものことだけれど、でも、こんな風に並んで歩けないことは初めてで。
謝らなきゃ、と、そう思うのに、言葉が出てこない。
何を言っても、許してもらえない気がして。
名前を呼んでも、振り返ってくれない、気がして。



私たちの間に、言葉がないから。
近くにある公園から聞こえる、まだあどけない甘さを帯びた子どもの声が耳の中に響く。
そろそろ日は沈む。そうしたらきっと、あの子たちはさよならをするのだろう。
また明日ね、と、どこまでも続くような約束を交わして。
きっと笑顔で、当たり前のように、手を振るのだろう。

そんな些細な約束じゃ、物足りなくなったのは、いつからだろう。
どんどん、欲張りになる。
先輩と一緒にいると、また明日、じゃ、足りなくて。
笑顔で手を振ることなんて、できなくて。

また明日と、手を振ってそのまま、もうきっと二度と会うことのない人たちを私は何人も知っているから、
それだけのことなのかもしれないけれど。
確かなものが、欲しいのかもしれない。
明日だけじゃない、ずっと、見えないほど遠い未来も、先輩が私と一緒にいたいと思ってくれることを。
日が沈むと、バイバイするような、そんな友達じゃない、恋人なんんだって。
そんな確かな自信が欲しくて、駄々をこねているだけなのかもしれない。






私の家が、近づいてくる。
どうしていいのか、何を言えばいいのか分からないけれど、このままじゃダメなんだって、 焦った私の歩調が、ほんのわずか、速くなる。
早くしないと、日が沈む。
近づきたくて、並びたくて。触れたくて。

あと一歩、どうしても踏み出せなくて、手を伸ばす。
みっともないって思うのに、子どもみたい、私は先輩の服のすそを、きゅっと引っ張った。

何も。
ごめんね、の、その一言も言えなかったけれど。
うつむいた私の手が、ぐんっと、引っ張られた。
先輩の、大きな、大きな手。
気がつけば、いつもみたいに私の真横。
私が縮められなかった一歩を、先輩が、いとも簡単に縮めてくれて、そして、一言。

「あんまり、困らせないでくれねえか?」
「……え?」
「帰したく、なくなるだろ」

予想もしなかったその言葉に、こんどは背中じゃなくて、私の顔。
茜色に、染まる。
また明日、じゃない、もっと確かな。
私の心の中に、色づく何かが、少しずつ降り積もる。



わがままばっかり、ごめんね。
絞り出すみたいにそう呟いた私に、先輩は苦笑して。
わがままはオレのほう、と、私と同じ、顔を茜色にした。



また明日、その約束の先はまだ、もう少し先のことになるけれど。
足元の影が夜に隠れる頃、私たちは手をつないだまま、とても静かな。
小さな小さな、キスをした。






END






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