吐く息が白く染まる季節。
雪が降るまであと何日だろうな。
アンネリーの配達の車窓から見える裸になった木々を見て、オレはふと物思いにふける。
――冬。
本当は、あんまり得意な季節じゃない。
アパートのすきま風は辛いし、花屋の水仕事もきつくなる。
雪が降れば道路は渋滞するし、街中も歩きにくくなる。
けれど、ここ数年、冬が少し待ち遠しい。
その原因は、だ。
といると、寒い季節にもいいことが起こる。
まず。
雪が降ると、が嬉しそうに笑う。
息が白いですね、空気がさらさらしていますね、なんて。
にこにこされると、なんだかすげー得した気分になる。
そして。
手を繋ぐ口実ができる。
の小さなかじかんだ手を、ぎゅっと握ってオレのポケットに引き込む瞬間。
あれは、オレの幸せな瞬間ベスト5に確実にランクイン。
だから、と過ごしたここ二冬、オレはいつもより楽しい気分で過ごすことができた。
そして、今年は……今年は、の受験の冬。
【2人の願掛け】
――…ぎぎっ……――
配達先の羽ヶ崎学園に着いて、オレはサイドブレーキを引く。
そして、扉を開けて外に出る。
(うわ…さっみー…)
早く校舎に入ろうと、荷台の鉢植えを持ち上げる。
今日の配達は、応接室の花。
大切に抱えて、放課後の人気のない校舎に、半ば駆け足で向かう。
(来賓用入り口か…)
いつもの事ながら、生徒用昇降口が懐かしくて、少し羨ましい。
(ちょっと先に生まれただけで、入り口まで別だもんな。)
ため息混じりに、校舎に入る。
「こんにちはー、アンネリーです。お花の配達に来ましたー」
受付を済ませ、スリッパを履いて応接室へ向かう。
外より少しだけ暖かい校舎には、吹奏楽部の練習の音、運動部のかけ声。
そんな音が響いて聞こえてきたけど、校舎内に人気はなかった。
(、もう帰ったよな…)
そう思いながらも、ついつい遠回りで教室の前を通っちまうのは、いつものこと。
もしいるなら、少しでも早く会いたくて。
少しでも長く、言葉を交わしたくて。
重い鉢植えを抱えたまま、オレはスリッパを鳴らして階段を上る。
どうか、いますように。
柄にもなく願掛けしてから、教室をのぞく。
(うわ…いた……)
それだけで、うるさくなる鼓動。
20歳にもなって、こんなことでドキドキしている自分が少し恥ずかしい。
植木鉢を下に置く。
そして、ゆっくりと扉に手をかける。
そこは思った以上にひんやりとしていて、オレは自分の手が熱いことに気づく。
(緊張してるよ、オレ…)
なんだか急に照れくさくなって、いったん手を引っ込めて、中の様子を窺う。
そして、そこでオレが見たのは。
(…えっ?)
泣きながら、懸命にノートに向かう、の姿だった。
「ど、どうした?!」
ただならぬの様子に、オレは慌てて扉を開く。
「ま、真咲先輩!どうしたんですか?!」
驚きながら振り返ったの目は、やっぱり赤い。
鼻の頭も、赤い。
「オレは配達だ。お前いるかなぁと思ってちょっと顔出してみたんだー…けど、どうした?」
「えっ?」
「泣いてた…じゃなくて、泣いてるじゃねぇか。何かあったのか?」
そう言いながら、急いでの前まで歩みを進める。
これは大変なことだぞ。
コイツが泣くなんて…オレが知ってる限りじゃ、お化け屋敷くらいだ。
バイトで失敗して、店長に怒られても。
注文を勘違いした、お客さんに怒鳴られても。
泣いたりなんかしない。
ぐっと唇をかんで、懸命に、相手の話を聞く。
不安や不満をもらすことすら、一度も聞いたことがない。
それが、こんなに。
目と鼻をうさぎみたいに真っ赤にするまで泣くなんて。
なにかあったに違いない。
「…話したくないことならいいけど、話せることなら言ってみ?案外楽になるかもしれねえぞ」
しゃくっているの頭に手を乗せて、オレはゆっくりと手を動かす。
が落ち着けるように。
そして、さっきから少し慌てているオレも、少し落ち着くために。
「さ、さっき…進路指導があって…」
「うん」
「それで、一応合格圏内って言われたんですけど、ちょっと模試の成績落ちちゃって…」
「うん」
「……ふ、不安で…っ……」
の声はどんどん小さくなって、最後は涙で聞き取れなかった。
の志望は、オレの通っている大学。
これを聞いたときオレは心底嬉しかったから、よく覚えている。
そしてもう1つ、間違いなく覚えていることがある。
それは、少なくとも1ヶ月前まではの成績は順調だったということ。
よく勉強を教えている有沢から、一流大も目指せるんじゃないかって話を聞いたんだ。
それなのにどうして二流大なのかと不思議に思ったから、印象に残っている。
そんなことねぇよ、なら大丈夫だろ?
喉まで出かかって、慌てて飲み込む。
こういうときに、それを言ったら逆にプレッシャーかもしれない。
弱音を吐かない頑張り屋のが、こんなになってるんだ。
相当悩んでるに違いない。
(なんて言ったらいいもんかな…)
手だけを動かしたまま少し悩んで、オレはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「それで泣きながら勉強してたのか…」
コクリ。小さくが頷く。
「あー…でもよ、模試は気にすることないぞ?オレ、ずっとC判定だったし」
本当ですか?鼻声で、が小さく呟く。
「あぁ、ホントホント。いっつもボーダーぎりぎり。だから、と同じ。ずっと不安だった」
の表情が、少しだけ緩む。
「でもな、本当に案外大丈夫だから。受かるもんだよ」
「……そうなんですか…」
「あぁ、こんなオレでも受かるんだぞ?だからむしろ、必死に勉強するより、適度に息抜きしながら、ペースを守った方がいい」
手を、頭から頬に移動する。
こぼれた一筋の涙をぬぐうために。
「なら大丈夫だ。あんまり思い詰めるな?」
ずっ、ずっ、と。
不規則に聞こえるの鼻をすする音の感覚が、だいぶ広くなるまで。
オレはずっと、の頭をさすって、涙をぬぐっていた。
(頼むよ、神様。を合格させてやってくれ)
祈りながら。
(頑張ってるんだ、コイツは。だから、叶えてやってくれ)
強く、思いを込めながら。
の気が少しでも楽になるように、オレは手を動かし続けた。
そうしていたのは、10分くらいだったろうか。
「…真咲先輩、配達は?」
だいぶ落ち着いたが、そう切り出す。
「あっ…!うわ、そうだよな、オレは配達に来たんだよな…」
廊下に置いたままの植木鉢を思い出して、チラリと目を向ける。
すっかり忘れてた。
「ごめんなさい、引き止めちゃって…」
「いや、大丈夫大丈夫。置いてくるだけだから」
じゃあ、私はもう大丈夫ですからお仕事してきて下さい、とが笑う。
その笑顔を見て、オレは少しだけ安心した。
本当にわずかかもしれないけれど、の気が軽くなったように見えて。
「じゃあ、ちょっと行ってくるな。あ、お前どうする?そろそろ帰るか?」
帰るなら乗っけてくぞ、と言うと。
はお願いします、と、もう一度笑った。
その笑顔を確認してから、オレは仕事に戻る。
廊下にある植木鉢を、丁寧に抱えて。
やっぱり半ば、駆け足で。
応接室に向かう。
帰り道の車の中。
はやっぱり少し浮かない表情をしている。
はれぼったい目が痛々しい。
「…、大丈夫か?」
無口な彼女に、そう話しかける。
するとはゆっくり笑顔になって、口を開いた。
「少し楽になりました。大丈夫ですよ」
「そか。…あ、でもな、オレにできることがあったらいつでも言うんだぞ?できる限り力になる」
「本当ですか?」
「モチロンだ。っつっても、応援ぐらいしかできないけどな」
教えられればいいんだけど、と苦笑いをすると、は声を出して笑う。
「あはは、十分です。ありがとうございます」
の家が見えてくる。
あと少しで、着いてしまう。
(この瞬間が、一番寂しいんだよな…)
そう、いつもなら。
この瞬間に、ついデートなんかに誘っちまうんだけど。
(今はさすがにダメだろ)
受験を思って、ぐっと飲み込む。
「じゃあな。今日は暖かくして寝るんだぞ」
「はい!ありがとうございます」
笑って、シートベルトに手をかける。
「そんじゃな」
次会えるのはいつだろうな、そう思った…
…その時だった。
「あ、あの……」
が遠慮がちに、声を上げる。
「ん?どうした」
扉を開けかけていた手を引っ込める。
「あ、あの。早速なんですけど、お願い聞いてもらえますか?」
さっきまで涙を流していた、潤んだ目を少し上目遣いに。
(無意識なんだろうな…だからこそ、やばい)
「お…おぉ、なんだ?」
赤くなる顔を手で覆いながら、オレはに向き直る。
「その…次の日曜日。ちょっとだけ…一時間だけ!その、息抜きに…合格祈願に連れて行って欲しいんです」
合格祈願。
そんなの、お安いご用だ…というより、むしろ。
いいのか?オレなんかが連れてって、御利益あるのか?
嬉しくて、舞い上がりながら、オレは口を開く。
「あ、お、おぉ、おぉ、いいぞ!任せろ」
「本当ですか?!ありがとうございます!」
「じゃあ、あとでまた電話するな」
「はい!」
が降りた後の助手席。
すかすかして少し物足りないけど、思ったよりは寂しくない。
(…週末、また会えるもんな)
自然と緩む頬をそのままに、オレはアンネリーまでの道を急ぐ。
週末。
オレがの隣で祈ったことは。
――が合格しますように――
これはの分。
そして、オレの分は。
――春から、と一緒に大学に通えますように――
の願いは、オレの願い。
(オレの願いも、の願いだったらいいのにな。)
うつむくの小さなつむじを見ながら、オレは思う。
今年の冬は、多分少し辛いけれど。
どうか、いい方向へ。
よい春を迎えられますように。
願いながら、ポケットに引き込んだの小さな手をぎゅうぎゅう握った。
END
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※真咲先輩はいやらしくないスキンシップのできる人だと思います。
そして、そんな真咲先輩はとっても素敵だと思います…!
タイトルに2人の願掛けとあるように、デイジーもまた、真咲先輩と同じ大学に行くことを強く望んでいるという設定で書きました。
お読みいただきましてありがとうございます!