【左手の都合】



とある秋晴れの休日。
オレはアパートの部屋でを膝の間に抱え、中古車雑誌をめくっていた。

「先輩、車買うんですか?」
「あー、悩んでんだよなぁ。今の車、もう大分ガタが来てるし……」
「大学入学したときからあの車ですよね? じゃあ、もう6年ですか」
「おう、そうそう。貯金もそれなりにたまったし、そろそろ〜とは思ってんだけど……」

……いざ買おうと思うとなかなか決めらんないんだよな。
そう唸ると、は小さく振り返って微笑む。
さらさらと後ろに流れる髪の毛は、出会った頃よりもだいぶ長くなった。

「どういうの買うんですか?」
「そうだなあ、とりあえず今回はオートマにしようかと思うんだけど」

ページをめくる手を止めずに何気なく呟くと、の表情が不思議そうに変化するのを感じる。

「え? マニュアルじゃないんですか? 真咲先輩、マニュアル好きなのかと思ってました」
「あー、うん。運転してる分には、メカっぽくてマニュアルのほうが好きなんだけど」



……でも、マニュアルだと不便なこともあるんだ。



が当たり前にオレの助手席に座るようになって、2年。
ギアチェンジに忙しい左手を、たまに恨めしく思うようになっていた。

「やっぱり疲れますか? マニュアル」
「え、も教習所で運転しただろ? あ、おまえオートマ限定だっけか」
「そうです。家の車もオートマですし、マニュアルは大変かなあと思って」
「そっかー、やっぱ今の主流もオートマだよなぁ」
「でも、いいと思いますよ、マニュアル」

そう呟くは、オレの”運転中にもの手を握りたい願望”なんて微塵も気づかない様子だ。

……なんだかな。
いつまでたってもこのお姫様はぽやーっとしてるんだよな。
のオレを好きな気持ちは、オレのを好きな気持ちよりでっかくなることはないような気がする。

「……なあ、なんでオートマにこだわるか、聞かねえの?」

少し拗ねた気持ちになって、オレは中古車雑誌を目の前のテーブルに置いて問いかける。
そして膝の間のの向きを180度回転させて、向かい合わせに座り直した。

「え? 今の主流で、運転が疲れるからじゃないんですか?」

はそう言って、ちょっと首をかしげる。
その仕草が愛おしくて、オレは思わず小さな両手を握る。

「あのさぁ……手。オートマだったら繋げると思いません?」

――そういう願望なんですけど。

顔に熱を感じながらそう伝えると、はぽかんと口を開けた。
そしてその後、おもむろにぷっと吹き出した。

「あはは、なんだ、真咲先輩そんなこと考えてたんですか?」
「……悪いかよ」
「そ、そんなことないですよ。嬉しいです」

はくすくす笑いながら、面白そうにオレの頭を撫でる。
その仕草はなんだか子どもをあやすそれのようで、オレは眉を寄せる。

「なんだよ。バカだなあとか思ってるんだろ?」
「うーん、お茶目だなあ、くらいは……少し?」
「お茶目……」

ちょっとかわいいです。
そう言ってまた吹き出すから、オレはますます拗ねた気分になり、口を開く。

「いーですよ。どうせかわいくないおっさんの茶目っ気ですから」
「拗ねないで下さいよー。なんですか、おっさんって!」
「おっさんですよ、どうせ……」

そう言ってオレは、後ろの壁に寄りかかった。





はそれからしばらくオレを面白そうに眺めた後、キッチンに向かった。
そして間もなく、コーヒーのいい香り。
ペアのマグカップを両手に持って、今だ拗ね続けるオレの隣に戻ってくる。

「はい、真咲先輩、機嫌直して下さい」

にっこり笑って、オレにカップを差し出す。
そして隣にちょこんと座ると、脇にあった中古車雑誌を手にとってぱらぱらめくり始めた。



「……真咲先輩?」

視線は雑誌に向けたまま、は小さく口を開く。

「私がマニュアルが好きな理由、聞かないんですか……?」

ぱらぱらぱらぱら。
そのページの進みの早さからすると、雑誌はめくっているだけで読んでいないんだろう。

「なんか理由があるのか?」
「はい」

の手の中の雑誌のページが、いっそう早く進んでいく。

「マニュアルを運転する真咲先輩、すごくかっこよくて、大好きなんです」

……え?
その言葉にオレは慌ててを振り返る。
読んでないなんてもんじゃない。
は真っ赤な顔をして、まるで顔に風を送るかのように雑誌をぱらぱらやっていた。

「ず、ずっとこっそり見とれてたんですよ? 高校生の頃から」

その言葉が嬉しくて。
うつむいて懸命に言葉を吐き出すがとても愛おしくて、オレは思わず抱き寄せる。

「わっ」
「直った」
「え?」
「今ので機嫌、直った」

かわいいこと言いやがって、コノヤロウ。
照れ隠しにそう告げた後。
オレはの唇に小さなキスを落とす。
腕の中で微笑むは、やっぱりどうしようもなくかわいい。

きっといつまでも、がオレを好きな気持ちよりも、オレのを好きな気持ちのほうが大きいけど。
それでもいい。
むしろ、の気持ちが追いつかないほど愛してやろうじゃねえか。

現金なオレは笑顔を見て、心からそう思った。




1ヶ月後。

オレの買った車はマニュアル車。
相変わらず左手は忙しくて、少し寂しいけど。

隣から感じる、大好きな視線。

それだけでもう、オレの心は十分なほどに満たされる。

「真咲先輩、今日も安全運転でお願いします!」
「任せとけ。お姫様」

どうか、次の車にも。



助手席にはがいますように。



END





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