狭いアパートの一室、そのベランダ。
うんっ、と背伸びをして顔を上げると目に飛び込むのは、明るい、でも深みのある空と。
そよぐ風に乗って飛ぶ、雪のかけら。

「いい天気だなぁ」

私がそう呟くと、背後から聞こえる低い声。

「だなぁ」

今日の主役のその人は、まだ頭に寝癖をつけている。
「先輩、ねぐせ」と笑うと、彼はあくびを1つ。
ついつられてあくびをすると、「うつったな」と笑顔が返ってくる。

「そういえば、あの日もこんな空だったな」
「え?」
「私が高校1年生のときの、1月24日」

きっと、真咲先輩は覚えていないと思うけど。
私が初めて先輩のお誕生日を祝った日も、空は青くて、たまに雪が飛んで。



ブルーとホワイトのコントラストが、とても綺麗な日だった。





【ブルーホワイト・コントラスト】





気まぐれに吹く風が、頬に当たってぴりりと痛む。
思い出したように飛んでくるのは、小さな雪の破片。
寒い日だった。
でも、快晴だった、5年前の1月24日。
あの日、私は鞄に鮮やかな薄いブルーの包みを潜ませて、陽のあたる道を歩いていた。

買ったものじゃ味気ないし。
だからといって、手作りのものをプレゼントして「怨念こもってそーだな」なんて、笑われた日には再起不能になりそうで。
悩みぬいた末に選んだ包みの中身は、映画のサウンドトラック。
……と、一生懸命描いた、バースデーカード。

勇んで家を出て、アンネリーまで続く道を歩きながら。
緊張で体は震えているのに、なぜだか顔は緩みっぱなしで。
変な顔だったらどうしようって、お気に入りの白いマフラーで顔を隠したっけ。



同じところでバイトしてるんだから普通に渡せばいいのに、私はアンネリーの裏口で、しゃがんで真咲先輩を待っていた。
すごく寒かったはずなのに。
凍えた記憶なんて全然なくて、覚えているのは、アンネリーの店内から漏れていたメロディー。
あの曲、歌ってたの誰だっけ?
細かいことは忘れちゃったけど、なんだかウキウキした、暖かい曲だった。
そう思うのはあのときの私が浮かれていたせいかもしれないけど、口ずさんだメロディーが白く染まるのさえ、楽しくてたまらなかったな。

白い息を視線でたどりながら、私はプレゼントを渡すときのシチュエーションを繰り返し考えていた。
私の、頭の中のシミュレートだと。
バイトが終わって裏口から出てくる先輩に、私は『おめでとうございます!』ってブルーの包みを差し出して。
先輩は、目を見開いてビックリするはずだった。

そりゃ、プレゼントだって悩みすぎるくらい悩んで選んだけど、それを喜んでもらうだけじゃなんだか物足りない気がして、
不意打ちで驚かせようって思った。
来年も、再来年も、できれば10年後も。
あんなこともあったよなぁって、少しは思い出してもらえるような誕生日にしたかったから。
いっぱい喜ばせて、いっぱい驚かせて。
そして、いっぱい笑ってもらえるような誕生日にしたいって思ってた。



でも、真咲先輩はバイトが終わる時間になっても、なかなかあのドアから出てこなかったよね。
だから私はおかしいなと思って、表に回ってこっそりアンネリーをのぞいた。

そして、そこで目に飛び込んできたのは、女の人と話す真咲先輩の姿と、その手に持たれた見覚えのある一枚のCD。
……私がプレゼントに用意したのと、同じCD。
一瞬で頭が真っ白になって、先輩と女の人が、まるで一枚の絵みたいに止まって見えた。

ショックだったなあ。
プレゼントが無駄になっちゃうんじゃないかってことはもちろん。
真咲先輩の趣味を知ってる人が他にもいるってことや、おめでとうの先をこされたこと。
そして何より、真咲先輩とその人が、お似合いに見えたこと。

後でこのことを話したら、先輩は「バカだなー」って笑っていたけど。
笑い事じゃないよ。
あの女の人、スラッとしてるのにでるとこはしっかり出てて、笑ったときの唇なんて、ぷにっとしててすごくセクシーで。
今でもちょっと、悔しい気持ちになることがあるくらい。
成長したらどうにかなるって思ったけど、結局私の胸はこんなんだし、やっぱり先輩も色気のある女の人のほうが好きでしょ?



……ちょっと、話がそれちゃったけど。



先輩は、のぞき見してる私を見つけたんだよね。
覚えてるよ。
驚いた顔をして、私の名前を呼んだんだ。

「あれ?……?」

真咲先輩の表情は、シミュレートどおりだったのに。
シチュエーションが、違ってしまった。
私は慌てて、手に持っていたブルーの包みを乱暴に鞄に押し込んだ。

「ま、真咲先輩! お疲れ様です!!」

努めて普通の声を出したつもりだった、けど。
分かってる。
私の声、裏返ってたよね。

「何やってんだ、こんなとこで。おまえ、今日バイト休みだったよな?」

聞かれた私が、何を答えたのかは覚えていないけど。
とにかく、支離滅裂なことを言っちゃったことは確か。
だって、私に上手い言い訳が見つけられるわけないもん。
私は理由になってないような理由を説明して、真咲先輩は首をかしげてたっけ。

「とりあえず、落ち着け」

呆れた先輩がいつものセリフを口にして、私は言葉を止めた。
そして、先輩は言ってくれたんだよね。

「オレ、そろそろ上がって帰るけど。おまえは?」

私は混乱していたから。
後ろにいる女の人と真咲先輩を交互に見ながら、返事ができなかった。
でも、真咲先輩はまるで当たり前のように。

「帰るなら送るぞ? あれ片付けたら終わりだから、中入って待ってろ」

そう言って、私を店内に連れてってくれた。



アンネリーのすみっこで、あのきれいな女の人が帰ったのを気配で感じながら。
私は鞄の中の渡せなくなったブルーの包みを気にしていた。
あんなに苦労してきれいにラッピングしたのに、さっき押し込んだときに破れちゃったかもしれない。
バースデーカードまで折れてたらどうしよう、って。

渡さないんだから、もうどうだっていいのに。
おかしいよね、なんだか悲しくて。
そして、恥ずかしくて。

CDを選びながら真咲先輩の喜んだ顔を考えたり、カードを描きながらなんだか照れくさい気持ちになったり。
アンネリーの裏口で、緊張しながら、でもわくわくしたり。
そういう気持ちは全部、から回っていたわけで。
ここにいたくない。
そう思った私は、うつむいたまま、口を開いたんだ。

「真咲先輩、すみません、私買うもの1つ忘れちゃって」
?」
「か、帰ります!」

そして先輩の顔も見ないまま、その場を離れた。





来た道を、走って、走って。
青い空もたまにちらつく雪も、その景色は家を出たときと何も変わらないのに。
あふれてくる涙で2つの鮮やかな色のコントラストはかすんで見えて、大好きだったその色合いが無性に切なく見えたっけ。
泣くな、と自分に言い聞かせて、涙をぬぐった、そのときだった。

!」

先輩の声が聞こえて。
追いかけてきてくれたことに気がついた。

すごくビックリしたなあ。
だって、あのときの私は、ちゃんと言い訳してアンネリーを出てきたつもりだったから。
後から『どうして追いかけてきてくれたんですか?』って聞いたら、
先輩は『おまえの態度が不自然だったから』って言ったけど。
そんなに不自然だったかな?

でもね、驚きながらも、本当はちょっとだけ、嬉しかったの。
真っ白に息を切らしながら、私の名前を呼ぶ先輩が。
必死に走る姿も初めてで、逃げてきたくせに私は驚いて思わず立ち止まっちゃったくらい、驚いたし、嬉しかった。

「っはあ……はぁ……、どうした?」
「真咲先輩」
「急に走って行っちまって。何かあったか?」
「だ、だから、その……買い物、忘れたのがあって」
「そんなの、帰りに回ってやるよ。それより」

ごほごほっと、真咲先輩がむせて。
大丈夫ですかって聞いたら、改めて先輩が私に向き直るから。
私は慌てて涙をぬぐって、真っ白のマフラーに顔を少しうずめた。

「……おまえ、もしかして俺に会いに来たんじゃねえの?」
「えっ?」
「自惚れかもしれねえけど。その、青いの、オレにじゃねえのか?」

鞄から少しだけはみだしていたブルーに、先輩は手を伸ばして。
そしてそれをひょいっと引き抜いてしまった。



「せ、先輩!!」

宛名を書いたカードを外のリボンに挟んでいたから、必死に手を伸ばして取り返そうとしたけど。
私よりずっと背の高い先輩は、少し手を上に動かすだけで私の手をよけてしまって。

「お、やっぱりオレにじゃねえか」
「ち、ちがっ! 返してください!」

余裕がなかったから、私はムキになって言い訳をしたっけ。
後から、私はなんて素直でかわいくない奴なんだろうってすごく後悔した。
でも結局、私の抵抗なんてお構いなしに先輩はニヤっと笑って、少し破れてた包みを器用に開けたんだよね。
そして、その中から出てきたのは、さっき手にしていたのと同じCD。

「これ……」
「い、いいんです! 私が使いますから!」
「なんでだよ、くれるんじゃねえのかよ。すっげーいいな、コレ! 嬉しいぞ?」
「だって、さっき……あの女の人が渡してたのと……」
「あ、見てたのか」

悪びれる様子もなく、先輩はあっさり認めて。
そしてあっけらかんと言った。

「でも、あれは借り物だぞ?」
「えっ?」
「パッケージ、むき出しだっただろ。あー、そこまでは見えないか」
「先輩の彼女なんじゃ……」
「ばあか、違うよ。大学の先輩」

そして目を白黒させる私の頭を、大きな手でわしわしなでながら、
「サンキュ、その……嬉しいです。花マルだ、花マル」
そう言って、ほめてくれた。

先輩は、十分だって笑ってくれたけど。
結局、私は一度も『お誕生日おめでとうございます』っても言えなかったから。
こういう、晴天の冬の日が来ると、何もできなかった情けない思い出が蘇って、思わず苦笑いを浮かべてしまう。








「懐かしいなぁ」
「覚えてるんですか?」
「おまえなぁ、当たり前だろ? 当然、覚えてますよ」

冷たい風が吹くベランダで、私たちはすっかり話しこんでいた。
風邪引くからそろそろ入ろうと、まだ寝巻きのジャージ姿のままの真咲先輩が言う。
そして、先に部屋に入った真咲先輩を追うように、私もベランダを後にしながら。

「忘れてくださいよ、恥ずかしいです」

そう、小さく呟く。



脱衣所のへ着替えに向かったねぐせの背中を見送って、大分慣れてきた先輩の部屋を見渡す。
コタツの上においてある腕時計は去年の誕生日にプレゼントしたもの。
テレビの脇のラックに入っているDVDホラー大全は一昨年で、台所のカフェ丼セットはその前。
もちろん、5年前のサントラCDも棚にきっちりと収まってる。

「これ、楽しいのかなぁ……」

プレゼントした本人が言うのもなんだけど、ホラーが苦手な私には、理解が苦しいそのCD。
そういえば聞いたことないし、かけてみようかと手に取り、開く。
すると、黒のパッケージからひらひら落ちる一枚のカードと、ブルーの紙。

「わわっ、ちょ、!!」

それを拾い上げようかとしゃがむと、ちょうど着替えを終えて出てきた真咲先輩が私に向かって突進してきた。
そして、私の背後から肩越しに手をにゅっと伸ばして、落ちたそれを拾い上げる。

「……見たか?」
「はい、それ、あの時の包みとカードですよね?」
「うーわー、おーまえ……目、いいのな」
「そうでもないですよ」
「そうでもありますよ……」

真咲先輩はそう言って、照れくさそうに頭をがしがしとかく。
すると、なんとかおさまっていたねぐせが、またぐにんとうねりだして。
私はもう一度、「先輩、ねぐせ」と笑って、うねっている髪の毛に手を伸ばした。

「包装まで取っておいてくれたんですね」
「当たり前です。あー……気持ち悪いなんて言うなよ?」
「言いませんよ。嬉しいです」

あんなどうってことない誕生日、覚えててくれて嬉しいです。
先輩の寝癖を触りながらそう言うと、急に体がぐんっと締め付けられる。
しゃがんだまま、私は真咲先輩に抱きしめられていた。

「本当に、嬉しかったんだ」
「CDも持ってたし、包みは破れてたし、カードも折れちゃってたし、おめでとうも言えなかったのに?」
「嬉しいに決まってんだろ。逃げるおまえを必死に追っかけてまで、欲しかったんだから」

「自惚れだったらどうしようって、内心怖かったしな」と、先輩は少し笑って。
そして、真咲先輩は回した腕の力を緩めて、私たちは向かい合う。
彼の手にあるのは、あのときの青い包みと、折れ曲がったバースデーカード。
それを見つめて、真咲先輩は口を開く。

「あのときから、もうオレはおまえのこと好きだったよ」

好きな奴に祝ってもらえた、そんな幸せな誕生日、忘れるわけないだろ。
そんな言葉とともに、小さな口付けが降りてきた。



5年前と同じ、快晴の青い空の下。
私たちは手をつないで、アパートの鍵を閉める。
ときおり、冷たい風と共に雪のかけらが飛んできて。
寒いね、と顔を見合わせて笑った。

「さてと、今年はどうやって祝ってくれるんだ?」
「まず、空中庭園のレストランでご飯食べて、その後臨海公園に行って、それから……」
「あああ、分かった分かった。目一杯驚かしてくれるんだろ?」
「はい! それはもちろん! きっと一生、忘れられない誕生日になりますよ!」

笑って彼を見上げると、当たり前のように返ってくる優しい視線。
幸せをかみ締めて、私は口を開く。

「でも、とりあえず。5年前の分も……」



「真咲先輩、お誕生日おめでとうございます」



青い空。
風に乗る、白い雪のかけら。
来年も、再来年も、10年後も、思い出してもらえるような最高の誕生日に。
きっとあなたとなら、少しくらい情けなくたって、忘れられない思い出になる。





この、ブルーとホワイトのコントラストがきれいな、冬の空の下。





END





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※真咲先輩お誕生日SS。
 2007年1月31日までフリーにさせていただいていました。
 もらってくださいました方、本当にありがとうございます! 嬉しくてたまりませんでした。

 春も夏も秋もそれぞれに好きですが、真咲先輩の生まれた季節の色は本当にきれいだと思います。
 寒くてしんどいですが、大好きな季節です。
 お読みくださいましてありがとうございました!