繰り返される日常の中。
忘れていたのは、昔抱いてたでっかすぎる夢とか。
ささやかな目標、目指す場所。

……そして、当たり前に。
おまえがいてくれること、それが。
幸せでたまらないこと……とか。





【タイムマシンで見た未来・後編】





「あれ、あのー……元春、だよ……ね?」

はい、そうです。
……と。
言っていいものか、どうなのか。
頷きかけた頭をそのままに、を見ていた。

髪の毛が長いな、とか。
化粧の色使いが明るくて暖かくて、オレ好みだな、とか。
気が緩むと少し口が開く癖は変わらないな、とか。
……ちょっと、胸がでかくなってる気がするな、とか。

こうして、目の前のにオレの知っているを重ねてみると、 明らかに、彼女は大人びていて。
実感した。
ここは、過去じゃない。
……オレのたどり着いた場所は、未来。

「元春?」

彼女の不安げな視線に、オレは慌てて「あ、ああ」とだけ返す。
確かに、オレは元春だけど。
多分、今のが知っている“元春”じゃない。

夢なのに、目の前のはあまりにも確かで。
この状況をどうやって説明しようかと、オレはない頭を必死に動かすのに忙しい。
ああでもない、こうでもないと考えていると。
が急に、声をあげた。

「あっ、そっか、これ……」
「え?」

顔を上げて、を見ると、笑顔。
そして、「なんでもないの、気にしないで」と。
オレの手を取り、アパートの扉の前まで引っ張っていく。

「ね、部屋入ろ?」
「えっ、や、でも」
「ふふっ、分かってる、大丈夫」
「分かってるって、おまえ……」
「だーいじょうぶ! ね、“真咲先輩”、入ろ?」

は、の持っていた鍵を取り出し、差し込む。
がちゃり、と、聞きなれた音がして。
オレの部屋の扉が開いた。

「どうぞ」
「あ、ああ……」
「元春、まだ帰ってくる時間じゃないから。大丈夫」

まるで、オレが乗ってきたタイムマシンのことを知っているかのように。
はオレを“真咲先輩”、そして未来のオレを“元春”と、呼び分けた。





未来のオレの部屋に入る。
お邪魔します、と小声で呟いたら、が笑った。
笑うときに、首を右に傾ける癖は、オレの知ってるのと同じで。
安心したらオレも笑いたくなった。
だから、つられて笑った。

「ごめんね、先輩。今ね、ちょっとごちゃごちゃしてるの」

についていくと。
たくさんの茶色が目に入った。
部屋中に重なったダンボールの山。

「なんだこれ。引越しか?」
「うん、そう。あさって、引っ越すんだよ」
「へぇ〜……それはそれは」

見慣れない、雑然とした風景に。
居場所を見つけあぐねていると、がクッションを差し出してくれた。
迷った挙句、オレはクッションを部屋の隅に置いて座った。
そして改めて眺めた。
と、部屋を。



「あの、全てを聞いちまうのはさすがにもったいない気もするんですが」



壁にあった、オレも知っている小さい傷に触れる。
は台所にある口の開いたダンボールから、やかんを取り出し水を入れていた。
オレの知らないやかんだった。

「いくつか、質問してもいいか?」
「どうぞ? でも、答えられないこともありますけど」

その、知らないオレンジのやかんを火にかけて。
はダンボールをはさんで、オレの向かいに座った。

「今って……いつ?」
「うーん、それは内緒です」

なんでだよ。
突っ込むと、は肩を揺らして笑った。

「じゃあ、おまえはさ、ここに住んでるのか?」
「はい、そうですよ。でも、あさってにはお引越しなんですけどね」
「え、だけ?出てくのか?
「やだ、違いますよ、二人でお引越し。ちょっと広いところに移るんです」
「へぇ……そうなのか」

「オレ、元気?」
「はい、元気ですよ。ふふ、ヘンなの」
「元春って呼ばれてんのな」
「そうですね、もう敬語も使わなくなったんですよ」
「オレは?相変わらずって呼んでんの?」
「そうですよ。って呼んでます」

「そうなのか」
「はい、そうなんです」

ぴーっとやかんが音を立てて。
が立ち上がる。
未来なんて意外な場所だったけど。
来てみたら、聞いてみたいことはいっぱいあって。

仕事は続けているか、とか。
は何をやってるんだ、とか。
後悔してることはないかとか、逆によかったことはどんなことかとか。

オレは、その後も立て続けに質問をした。
でも、が答えてくれたのは本当にわずかの質問だけだった。

「なんで答えられねえの?」

聞くと、は言った。
元春から、言われているから、と。
オレの目の前には、日本茶の入った湯のみが置かれた。
オレは、冷えた手をそれで暖めた。
猫舌のは、ふーふーと吹いていた。

「オレが? 言うなって言ったのか?」
「うん、そう。いつか、“真咲先輩”がここに来たらね、私がここにいることと、みんな元気だって事、それ以外は言うなって」
「へぇ〜……」
「あとね、伝えて欲しいことも言われてるの」
「なんだ?」

の息が、ふうっと湯のみの水面を揺らして。
湯気の色が、薄くなった。

「元春は今、幸せですって伝えてくれって。そして……」



「……私も、とっても、幸せです。元春が、幸せにしてくれてます」



それも、オレからの伝言?
聞くと、は笑って首をかしげた。いつものように、右側に。

「私の、今の気持ち。伝えて欲しいって言われたんです」

肩下に伸びた髪の毛を、は左手で耳にかけた。
そのとき、オレは見たんだ。
薬指に光る、シルバーリング。
綺麗に、きらきら光るそれには、小ぶりの石がついていて。

ああ、婚約指輪なんだろうな、なんて。

なんとなく、ぴんときたのは、直感なのか。
もしかしたら、願望なのかもしれない、と思った。

「……分かった。頑張るわ」
「先輩?」
「全ては、この日のためなんだな」

呟くと、目の前が真っ白になった。
なんだか、全てが分かった気がした。
今のオレの、日常が目指す先。
遠のく意識の中、頑張って、と、の声が聞こえた。





はっと気づくと、電車の中。
相変わらず、腰に当たる椅子のスプリングは硬くて、
車内は酒の臭いに満ちていた。

残っていたのは、湯のみの暖かな温度と。
が息で揺らした水面の残像。

タイムマシンに乗る前と、車内はなんら変わっていないのに。
見える世界が、変わった気がした。

それはきっと、全てが。
――失敗や、後悔を重ねて生きることが。
タイムマシンで見た未来に、繋がっていると分かったから。

できる限りをつくして。
オレが今、ちょっとずつ積み重ねているものは、きっと。
あの日のに、全てを捧げるためなんだ。



おかしな、だけど、最高に幸せな夢だったな。
こみ上げてくる笑いをかみ殺して、ホームに降りる。
ふわふわと、白いものが目の前に落ちてくる。

雪だ。

いつもは憂鬱なそれさえ、なんだか輝いて見えて。
鼻歌交じりで、改札を抜けた。



後悔のない人生なんてないと思う。
それはきっと、誰でも同じ。

でも、大好きな、がいるから。

きっと、オレの人生、後悔ばかりじゃない。
後悔さえ、幸せの糧になるときがくる。



携帯電話を取り出す。
に、伝えなくてはいけない。
幸せなあの未来が、変わらないように。

いつか、今日のオレに会う未来が来たら。
『元春は今、幸せです』、と、伝えて欲しいと。
そして、そのときのおまえの気持ちを、伝えて欲しいと。



「あ、? オレ。あのな、驚くなよ」



今日、オレはタイムマシンに乗ったんだ。
行き先は、未来。



最高に、幸せな未来だったよ。



電話の向こうでは笑った。
きっと顔を、少しだけ右側に傾けて。



ずっと先の未来でも、きっと変わることのない。
オレの大好きな笑顔で。





END





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