目を開くと辺りは暗くて、私は自分がまだ眠っているのかと思った。
でも、実際はそんなことはなくて、ただ、今が夜の始まりというだけ。
目をつむったときは、まだ太陽は高かったはずなのに。
自分がどれだけ眠っていたのだろうと考えて、私は苦笑した。
すごくいい夢を見た。
幸せな、夢。
そこには、まだ、私が彼を“真咲先輩”と呼んでいた頃の元春がいた。
【タイムマシンで向かう未来】
時計を見ると、10時を回っていた。
そろそろ、元春が帰ってくる時間だ。
ちょっと一眠りのはずが、こんな時間まで眠ってしまうなんて。
疲れていたとはいえ、自分の眠りの深さに驚いた。
立ち上がり、電気をつける。
暗く、時計と冷蔵庫の音だけが響いていた室内は、たちまちに明るくなって。
まだ、夢に片足突っ込んでいた私の頭は、現実の感覚を取り戻した。
そうだ、ご飯を作らなきゃ、と。
途端にあせり始めて、ダンボールの合間を飛ぶようにして台所に向かう。
昼間に買ってきて冷蔵庫に入れておいた、4分の1カットのキャベツを取り出した。
それを洗って、切りながら、さっきの夢のことを考えた。
そして思い出したのは、遠い日の記憶。
『もし、ある日突然、過去のオレに会ったら。
伝えて欲しいんだ。“元春は今、幸せです”って』
いつだったろう。
元春に言われたその言葉。
その、日常の何気ない会話の中の言葉はもう、たくさんの記憶に紛れて曖昧だけど。
『そして……お前の気持ち。素直に、伝えて欲しいんだ』
夢の中でタイムマシンに乗ったと言ったあの日の彼は、確かにそう言った。
そして私は、さっき見た夢の中で、本当に会ってしまった。
過去の、元春……真咲先輩に。
奇跡だ、と思った。
タイムマシンに乗った彼に、出会えたこと。
そして何より、遠い、記憶が曖昧になるほど遠いあの日に。
彼が言っていたこと。
未来のオレは、幸せです、と。
あんなにも確かに。
嬉しそうに、幸せそうに。
私に伝えてくれていたということ。
キャベツを切り終わって今度はお肉を取り出すと、
冷蔵庫は中身は空っぽになった。
私は冷蔵庫のコンセントを抜いて、部屋を見渡した。
明日私たちは、籍を入れに行くことになっている。
そして明後日、少し広いアパートに引っ越すことになっている。
すっかり幸せボケの私は、マリッジブルーなんてものは無縁だけど。
もし、不安があるとすれば、一つ。
そう、たった一つ。
ずっと前、元春が、夢で会った“真咲先輩”だった頃から。
あんなにも、私を上手に愛してくれる元春を、私は上手に愛せているの?
過去に、彼が見たといっていた、幸せな未来は。
本当にこの場所で、合っているのだろうか。
私が社会人になって、休みが合わなくなると分かったとき。
「じゃあ、一緒に暮らそうぜ?」と言ってくれたことが嬉しかった。
仕事が辛くてどうしようもないとき。
「なんなら養ってやろうか?」その言葉に、肩の力が抜けた。
ケンカした日の翌日。
必ずイチゴのタルトで機嫌をとってくれる単純さが、愛おしかった。
それはまるで魔法みたいと、ずっと思っていたけれど。
私はもう、知っている。
彼の使う魔法は全部、彼の努力でできているということ。
辛いことがあるたびに、未来のためだ、と口癖のように言っていた彼のこと。
毎日、10時を回ってもなかなか帰ってこない元春に、不満を持ったことだってあったけど。
一緒に暮らすのも、私を養ってくれると言った覚悟も、イチゴのタルトも、全部。
彼の努力の積み重ねでできている。
彼はいったい、どれだけの身を、心を。
私のために、この日のために、削ってくれたのだろう。
そんな彼に、私はいったい、どれだけのものを返せるんだろう?
私は、携帯電話を手に取った。
そして、履歴に並ぶ元春の番号の上で、通話を押す。
どうしても、今。
元春に、伝えたいことがあった。
長い呼び出し音の後。
ぷつっと短い音が聞こえて。
『もしもし? どした?』
彼の声が聞こえた。
「あのね、幸せな夢を見たの」
私は話し出す。
遠い記憶の彼が、話し始めたように。
『夢?』
「私がね、いつもみたいに、会社終わってね、疲れて家に帰るとね、真咲先輩が来るの」
『え、オレ?』
「ううん、もっと若い、タイムマシンに乗って来た、真咲先輩」
「ね、元春?」
「元春は今、本当に幸せ? 元春が望んだ未来は、ここで合ってるの……?」
電話の向こう側からは、外の音が聞こえる。
車の音、風の音。
靴音、少し弾む息遣い、すれ違う人の声。
「……今、どこ?」
私は聞いた。
なんだか、無性に。
早く会いたくて会いたくて、たまらなかった。
がちゃり、と言う音が、二重に聞こえた。
そしてその後に、『ここ』「ここ」という、やっぱり二重の声。
慌ててあたりを見渡すと、玄関に元春が立っていた。
いつものように、ネクタイをくたびれさせて。
今日も一日を頑張ってきた姿が、そこにあった。
「……おかえり」
「ただいま」
いつものやり取りの後、元春は言った。
疲れた顔を、ふんわりと和らげて。
「ここだよ。幸せに決まってんだろ?」
そう言った。
私は思わず力任せに抱きついて、元春は小さく「うわ」と言って、抱きとめてくれる。
「あの夢、正夢だったってことか……?」
「分かんない、でも」
「ん?」
「ありがとう」
「今日のこと、幸せな未来だなんて言ってくれて、ありがとう」
その日、私たちはダンボールに囲まれて、手を繋いで眠った。
布団を敷くスペースを作るのが面倒で、クッションの上に、掛け布団だけをかけた。
「ね、なんか、こうして寝ると、またタイムマシンに乗れそうじゃない?」
私が笑うと、彼も笑った。
「もし乗れたら、お前、どこに行きたい?」
「そうだなあ……」
恋を始めたころもいい。
思いが通じたときもいい。
でも、それよりも、何よりも。
「明日がいいかな」
今まで、元春が私にくれたもの。
これからいっぱい、返していこうと思った。
彼が削ってくれたものを、補って行きたい。
疲れた元春が帰ってくる場所を、精一杯、居心地のいい場所に。
明日になら連れてってやれそうだな、と元春が呟いて。
おやすみ、と短いキスをして、私たちはゆっくり目を閉じる。
私たちはいつだって、タイムマシンに乗れる。
行き先は、明日。
そして、その明日は、いつだって幸せな未来。
夢が覚めても、幸せがずっとここにあり続けるように。
「幸せに、なろうね」
夢の中の私は、元春に笑いかけた。
やがて、夢から覚めて、タイムマシンから降りれば、明日がやってくる。
そして、私は。
私は、真咲になる。
END
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