“それ”が始まると。
私の心臓は、早く強く動いて。
体温はどんどん上がって。
指先は、小刻みに震えて。
そして、私の心の、とても深いところが。
信じられないほど、優しく、柔らかく。
甘く、とても暖かくなる。
【海の底の静かな合図】
志波くんは、私と“それ”をするのが好きだという。
正しくは。
「……おまえとキスするの、好きだ」
彼はそう言う。
志波くんといえば、野球が上手で。
好きなことと言えば、
走ることとか、筋トレとか、そういうので。
だから正直、驚いた。
女の子と、必要以上に親しくしない志波くんが。
付き合ってからも、人前ではほとんど手をつながない志波くんが。
キスが好き、だなんて。
そしてそんなことを、私に言うなんて。
「どうしたんだ? 変な顔して」
「び、びっくりして」
「意外か?」
「……その、かなり」
正直に話したら、彼は笑った。
そうでもないと思うんだけどな、と。
私の唇に1つ、キスを落としながら。
彼の好きなキスは、とても深い。
深くて、長くて、熱い。
私の呼吸は、彼の呼吸に比べて浅いから。
“それ”をすると、私は必ず苦しくなる。
でも、その苦しさはきっと、口がふさがれて、息ができないだけじゃなくて。
なんだか、全身の私に必要なものが、彼に吸い取られるような。
でも、もしかしたら、私も彼のものを全部吸い取って、溢れているから苦しいような。
とにかく全部が彼の中で、私は溺れてしまう。
……それはもちろん、“それ”が嫌いということじゃなくて。
波に乗って、漂う魚みたいに。
もしかして、こうしている方が、自然なんじゃないかなって。
朦朧とする意識の中、ぼんやり考えたりするということ。
私が志波くんのキスを、“それ”と呼ぶのもそのせいで。
彼が別れ際に人目を忍んでする、唇に唇で触れるものは、キス。
あの、深くて、長くて、熱くて、私が魚になっちゃうのは“それ”。
全然、別のものだと思う。
だからといって、しっくりくる名前もないから。
何か、大きくて、柔らかくて、体温とちょうど同じ温度のイメージの、“それ”。
そう、呼んでいる。
彼は“それ”を大好きだと言う。
そして、本当に、本当に愛おしいという仕草で、表情で、温度で。
繰り返し、する。
まるで波のように。
私はなんだか、嬉しいような、恥ずかしいような気持ちになって。
そして、志波くんが、大好きだと思う。
外に、雨の音が聞こえた。
2人きりの志波くんの部屋で、私たちはそっと、そっと手をつなぐ。
そして、志波くんの大きくて骨がごつごつした手が、私の指先を、きゅっとつまんで。
反対側の手が、私の耳のうしろの髪の毛と絡まる。
その、静かな合図で。
私たちは今日も、“それ”を始める。
彼が……私、も。
大好きな、“それ”。
やっぱり、私の心臓は、早く強く動いて。
体温はどんどん上がって。
指先は、小刻みに震えて。
そして、私の心の、とても深いところが。
信じられないほど、優しく、柔らかく。
甘く、とても暖かく。
部屋中が、まるで海の底の魚のベットのようになる。
抱えきれないほどの、大きな、大きな感情の波が揺らめく、碧く透明なベット。
「……やっぱり、好きだ」
彼の声が、聞こえた。
「どうしようもないほど、おまえが好きだ」
大好き、と返す変わりに。
私は海の中、呼吸を1つ、彼に贈る。
外の、雨の音が。
まるで、遠い海面に響く、波の音みたいに聞こえた。
END
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※志波くんはキス魔な気がする