もっと、すらすらと話すことが出来たら。
うまく言葉を選べたら、いちいちためらわずに口を開けたら。
きっとこんな風に話がこじれなかったし、それ以前に、誤解されることなんてなかったのかもしれない。

友達とケンカをした。
仲直りの方法が、見つからない。






【大切なのは、気持ちだけ】






いつものとおり、朝は6時半に起きて、食べたくない朝ごはんを無理やり詰め込んだ。
通学路はバスで片道20分。いつも座る右側の前から5番目の席に座って、いつもと変わらない景色を眺めた。
朝の昇降口も、特に変わった様子はなかったし、授業中も、休み時間だって何も変わらなかった。
全部いつもどおり。
なのに、いつもと違う気分なのは、きっと、隣にあの子がいないからだ。

ケンカをした。
それは、あの子誤解がきっかけで、私がうまく説明できなかったせいだ。

「佐伯のこと、好きなんでしょ」
「え、なんで……ち、違うよ」
「じゃあなんで? なんで一緒のところでバイトしてるの、教えてくれなかったの?」
「それは……」
「話して、くれたってよかったじゃん。バイトしてるのも、好きなのも」

あの子は、泣きそうな顔で、笑っていた。

「私が、佐伯を好きだから。だから、言えなかったんでしょ?」





隣にあの子がいない。
その1つを除いたら、おかしなことなんか1つもなかった1日が終わろうとしている。
教室の電気を消したら、あたりを照らすオレンジ色が、一層濃くなった気がした。

小さい頃からずっと、口下手だった。
自己紹介や何かの当番のときは、言うことを考えてカンペを作って、人一倍準備をした。
それでもいつも、人前に出ると頭が真っ白になってうまく言葉が出てこなくて、
手元に置いたカンペの字さえ、どこを読めばいいのか分からなかった。
急かされれば焦ったし、焦れば焦るほど、何も言えなくなった。

昨日もそうだった。
バイトのことは、隠していたわけじゃない。ただ、佐伯くんのほうが隠していただけで。
言わないでと佐伯くんから言われて、それは困るって私は言った。
そしたら佐伯くん、あいつには俺からいうから、ってそう言ったから、だから私は黙っていただけなのに。

きっと、佐伯くんがあの子のことを好きだって知っていた。
それに、私が好きなのは佐伯くんじゃなくて、違うクラスの志波くんなのに。
ただ、それは叶いそうにないから、怖くて口に出せないけれど。
説明したいことは、山ほどあった。言いたいことも、聞いてほしいこともいっぱいあったのに。
なんで私は、大切なことがいえないんだろう。

私以外、誰もいない教室で、今日一日、話しかけることも、笑いかけることもできなかったあの子の机にそっと触れてみた。
これっきり、なんて嫌だ。どうしたら誤解が解けるんだろう。
私が好きなのは佐伯くんじゃないよって、それだけ、伝えたいことはそれだけなのに。
こんなにシンプルなことなのに、どうしてだろう、口に出そうと思った瞬間につっかえるし、
出せたら出せたで、それは相手にとって単純なことじゃなかったりするもんだから、厄介だ。



ため息を吐く。
すると、教室の後ろの入り口から、延びている影が目に入った。
その影をたどるようにして、私は振り返った。

「志波、くん」

部活帰りなのだろう、いつもより着崩した制服のシャツの肩には、スポーツタオルがかかっている。
汗なのか、それともそれを流すためにかぶった水なのかは分からないけれど、髪が濡れていた。
どきり、とする。
いつも以上に、志波くんが男の子に見えた。

か。随分遅くまで残ってるんだな、お疲れ」
「志波くんも、部活、お疲れ様」

志波くんが、教室の中に入ってくる。
入学直後、私が落とした生徒手帳を拾ってもらったのがきっかけで喋るようになって、それから好きになって。
無い勇気を振り絞って何度か遊びに誘って、一緒に帰ったりして、もう随分仲良くなれたと思う。
最近では、一緒にいても緊張しなくなったし、その辺ですれ違ったとき、ためらわずに笑って手を振れる。
でも、なんでだろう。
いつもは違う教室にいる志波くんと同じところにいると思うと、なんだかそれだけで緊張するんだから不思議だ。

「こんなに遅くまで何してたんだ。元気ないな」
「え? そうかな。志波くんはどうしたの?」
「忘れモン取りにきたら、おまえがいたから。何かあったか?」

私が触れていたあの子の机の傍まで来た志波くんは、私の顔を覗き込むようにしてそう言った。
笑っているわけではないけど、視線がすごく柔らかくて優しげだ。
最近よく見るようになったこの表情が私はこっそり大好きで、この顔をされると、何でも認めてもらえるような、そんなほっとした気分になる。

「あの、あの、ね」

私はゆっくり話を始めた。
昨日、友達とケンカをしたこと。
それは誤解がきっかけで、私がうまく説明できなかったことが原因だってこと。
ちゃんと話そうと思うのに、気持ちだけが先走る気がして不安なこと。

「でもね、嫌なの」
「何がだ?」
「これっきり、は、嫌。だって、入学したとき、緊張でうまく話せなくて、
 なかなか友達ができなかった私に話しかけてくれてね、“大人しいけど、どうしたの?”って」
「うん」
「話題が無いから、何を話していいかわからない、って言ったら、そんなの何でもいいんだよ、って」
「うん」
「天気でも何でも、話題はなんでも良くて、大切なのは、仲良くしたいって気持ちなんだ、って」
「うん」

私の要領を得ない、めちゃくちゃな話を、志波くんは静かに相槌を打って聴いてくれていた。
辛抱強く、たまに詰まっても、あの優しげな目で静かに、ただ待ってくれる。

「仲直りしたいって、思うのに。どうしたらいいんだろう……」

もう一度、あの子の机に目を伏せると、志波くんは、私の頭にぽん、と手を置いた。





どのくらい、そのまま黙っていたんだろう。
きっと数分だったのだと思う。
その手の優しさにこみ上げてきた涙を堪えるのも、そろそろ限界かな、と感じたとき、志波くんは口を開いた。

「そのまま、伝えればいい」
「え?」
「上手くなくていい、今、オレに話したみたいに、ゆっくりでいいから」

そして、私の顔を覗き込む。
さっきより深く覗き込まれて、私は驚いて目を見開いた。
瞬間、堪えられなかった涙が1つ、落ちた。

「大事なのは、仲直りしたいって気持ちだろう」
「……うん」
「大丈夫だ。口下手だけど一生懸命なのは、お前のいいところだから」

ぽたぽたと落ちる涙を自分の手でぬぐうと、志波くんはふっと笑った。
ものすごく優しい顔をするから、なんだかもう、何がなんだか分からなかった。
自分の鼓動についていけなくなって顔を伏せたら、後頭部に何かを感じた。
鼻先に、さっき見た少し着崩れたシャツがあるのを見て、抱き寄せられているんだ、と気づいた。

「え、志波く……」
「……オレも、口下手だから。気持ちだけ」
「あ、あの」
「いいから。黙って泣いとけ」

身をよじるみたいにして、無理やり顔を上げたら。
真っ赤な顔と目が合って、ちょっと笑ったら、もっと強く頭を寄せられた。

「いい友達持ったな」
「うん」
「大事なのは気持ち、か。確かに」

どういう意味?と首を傾げたら、彼は笑った。

「きっかけなんて、何でも良かったんだ。例えば、落とした生徒手帳でも、忘れ物でも、なんでも、な」

すぐには分からなかったその意味を、私は数分後に理解して。
真っ赤になっただろう顔で、照れ隠しに睨みつけたら、

「反応遅いぞ」

と、多分同じくらい赤い顔で笑われた。





明日、あの子に会ったら、一番に伝えよう。
きっかけなんて、なんでもいい。
おはよう、でも、天気でも、落とした生徒手帳でもなんでも。

「ねえ、私、好きな人がいるの。聞いてくれる?」

彼の一言でちょっとだけ、叶う望みの増した私の恋の話で。
あの子の誤解が、どうかどうか、解けますように。






END






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*叶ってるよ気づけよお前らとっくに両想いですよ、というお話でした。
 着崩した制服と濡れた髪の毛、優しげにヒロインを除きこむ志波を書きたかった。