私のちょっと前を歩く、大きな大きな、背中。
大好きなのに、たまに。
その大きさに、もどかしさを感じてしまうんだ。
【薬指に魔法をかける】
一歩、二歩と歩みを進めると、さく、さく、と音を立てる砂浜。
秋の海風は、少し冷たい。
夏の間、あんなに青く輝いていた水面も、今ではすっかり灰色になってしまった。
これから冬が来て、もっと寒くなって、と、そう考えるとなんだかちょっと物悲しい。
でも。
「寒くないか?」
「うん。マフラーしてきたから、平気」
こうしてちょっと微笑を浮かべながら、振り返ってくれる大きな背中があるから、心だけはぽかぽかと暖かい。
一歩半。
ほんのちょっと
前を進む志波くんに、手を伸ばす。
冷たい風を遮るみたいに前を歩くその背中は大好きだけど、でも、隣を並んで歩けたらいいのに、と。
手を、繋いだ。
きゅっと握ると、私を見下ろした志波くんと目が合って、なんだか照れくさかった。
数ヶ月前を思い出す。
握りたくても、どうしても自分からは握れなくて、触れそうなところ、ぎりぎり。
手を伸ばしては引っ込めて、同じことを何度も何度も繰り返したっけ。
こうして、自分の手を寒さに擦り合わせるみたいに自然に握れるようになるなんて3ヶ月前は想像もつかなかった。
ちょっとずつ、慣れていくんだろうか。
例えばこうして手を繋ぐことだって、触れ合うことだって、包みあう、ことだって。
当たり前に温もりを分け合うことができるようになることは、きっと。
失うのが怖くなるほど、幸せなことなんじゃないかな、と、思った。
「寒いな」
「マフラー、貸す?」
「いや、いい」
立ち止まって、並んで見る海。
引いては押してを繰り返す波は白んで、やっぱり少し物悲しい。
繋いでいた手が、ふと、解かれた。
私が寂しくなって隣を見るよりも早く、ふわりと暖かくなる背中。
「志波くん?」
「マフラーはいいから、貸してくれ」
「……どきどきするんですけど」
「オレもだから大丈夫」
私の前に伸ばされた腕の中。
うそつき、と、頭だけちょっと捻って、志波くんの胸に耳をくっつけてみる。
どく、どく、と響く鼓動。
少し早いような、やっぱりいつもどおりのような。
自分の胸に手を当ててみると、やっぱり私の方が早くて、なんだか悔しい。
「いいだろ、もう。聞くな」
「なんで?」
「相当早い自覚があるから」
「そんなことないよ、私のほうが早いもん」
ほら、と、さすがに志波くんの手を自分の胸にはもっていけないけど、変わりに首に。
導いたとき、志波くんの鼓動が、私のそれを追い越していくことに気がついた。
「確認終わったんだろ、ホラ、前向け」
「わ、ちょっと待って、なんか早くなったよ」
「いいから」
「すごい、どうして?」
照れてそっぽを向こうとする、その顔を覗き込む。
いつも、からかわれるのは私の方だから、仕返し、と、そう思っていたんだけど。
やっぱりどうしても、いつだって志波くんの方が、一枚上手。
私が自分の首に導いた彼の手は、ぐん、と後頭部に伸ばされて。
引き寄せられた。
キス、だった。
「……ずるいよ、志波くん」
何事もなかったように、志波くんと私はまた、歩き出す。
手を繋いで。並んで。
大きな背中、大きな手のひら。
いつだって、一枚上手、私をからかう、志波くん。
ずるいよ。
だって、
私の目一杯の爪先立ちで伸びる十数センチの身長、それだけじゃ。
志波くんの唇に、届かない。
キスが、できない。
隣に並びたいときに、手を伸ばすように。
キスしたくなったらどうすればいいのかな?
悩んで、悩んで。
繋いだ手、薬指を握って、きゅっと引っ張った。
立ち止まった私に志波くんが振り向いて、目が合って。
(でも、言えない。まさか、キスして、なんて)
見上げて、うつむいて。また、見上げて。
繰り返していたら、不思議そうにかがめられた、大きな背中。
高い高い目線が今、私の前に、下りてくる。
この、高さなら、と。
ちゅ、と。
ちょっとだけ、背伸びをして、唇を合わせた。
速さを増す、鼓動。
照れくささに、にへっと笑って。
今度は私が、一歩半、志波くんの前を歩く。
「……ずるいのはだ」
「え?」
「心臓が早く動くなんて、おまえのせいに決まってる」
後ろから、伸ばされた大きな手を。
今度は私が、そっと、受け止める。
手を繋ぐ方法、キスをする方法。
そして、志波くんの鼓動を動かす方法。
そんな魔法を、私はもう、知ってしまった。
冬の海、冷たい風。
でも、こうして、君がいるだけで。
もどかしい、大きな大きな身長差を、縮めたくて。
色鮮やかな世界、私は何度も、薬指に魔法をかける。
END
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