恥ずかしかったのは、ただの口実だったから。
後悔したのは、志波くんを困らせてしまったから。

バレンタインだから、なんて、そんなの嘘。

ただ私は、好きな人に会いたかったんだ。
それだけだったんだ。






【ハッピー・バレンタイン 2】






数回しか通ったことのない、長い並木道を歩く。
規模の大きい大学だからバレないことは分かっていたけれど、
それでもつい端っこを歩いてしまう私は、筋金入りの臆病者だと思う。
一週間前、やっぱりいいと言ったのは私。
聞きわけのいいふりをしたのは、私、なのに。

(結局、来ちゃった……)

今日は2月14日。バレンタインデー。
志波くんは部活だって言ってたのに、忙しいって言ってたのに、私は来てしまったのだ。
何の連絡も入れずに、彼の大学まで。






卒業後、一流体大に進んだ志波くんと、別の地域の一流大学に進んだ私は、思うように会うことができなくなっていた。
メールはほとんど毎日、電話は週に数回。
あまり細かいことが好きじゃない志波くんがそれだけのことをしてくれるのは本当に嬉しかったし、
少なくとも1ヶ月に1度は会う時間を作ってくれようと考えてくれている、だから不満なんてなかった。
浮気を疑うような状況もないし、私たちは順調に付き合うことができていると思う。
頭ではそう、理解している。

でも、気持ちは、と考えると、そう簡単にはいかないから厄介だ。

できればもっと会いたい。
同じ大学の友達を見ていると、特にそう思う。
私だって毎日会えるなら会いたいし、いつでもふらっと立ち寄れるくらい近くにいられたら、どんなにいいだろうと思う。
それに。
こうして違う場所で、違う人間関係の場所で過ごすことに、不安がないといえば嘘になる。
信じていないわけじゃないけれど、もしかしたら、という考えが頭をよぎるのはいつものことだ。
人の気持ちなんていつ変わるか分からないのだから、 やっぱりこうして離れた場所にいるのは不安だし、寂しい。

きっと、バレンタインだから会いたいだなんて、そんなのただの口実で。
本当は、ただ会いたかっただけ。
この日なら、志波くんももしかしたら融通を利かせてくれるんじゃないかって、勝手に期待して、口に出してみただけだった。

でも、多分彼は忘れていたのだろう。
忙しいとやんわり断る彼の様子に、私は恥ずかしくなった。
イベントにかこつけて、我がままをかなえようとする自分は、なんだか腹黒い気がして。
「やっぱりいいや」と、思わず取り繕って電話を切った。
少し困った彼の様子に、無理に会いに行こうとしたこと自分の行動を、後悔した。



本当に、会いに行くことは、そのとき諦めたつもりだった。
だけど、こうしてやっぱり来てしまうなんて、何をしているんだろうんだろうと自分でも呆れるけれど。
やっぱり、頭で理解することと、気持ちは別物だと思う。
会いたいと思ってしまったら最後、その気持ちは膨らんで、たまに制御不能になる。
こんな自分は、自分勝手ですごく嫌いだ。



彼の住む寮は家族以外の女子が上がることを禁じられていた。
だから私は夕方には自分の部屋を出て、寮の前で少しだけ待ってみることにした。
久しぶりに野球をしている彼を見てみたかったから、グラウンドに行ってみようかとも考えたけど、
せめて練習の邪魔だけはしないようにしようと、それは我慢した。
少しでも会えたらそれで満足だった。
終電までに会えなかったら、持ってきたチョコにカードを差して郵便受けに入れて帰ろうと思った。

その数時間は、長いような短いような。
ストーカーみたいじゃないかとか、守衛さんに見つかったらどうしようとか色々とぐるぐる考えたけど、
もう、冬休みに入っているせいだろう、隅っこにある寮の周辺に人の気配はなく、私は少しほっとした。
大量に持ってきたカイロを握って、志波くんを待った。
会えたらなんて言い訳しようかと考えたけど、それはどうしても思い浮かばなかったから、笑ってごまかしてしまうことにした。






終電まであと少し、そんな時間だった。
もうそろそろ諦めて帰ろうかなあとぼんやりと携帯に表示される時計を見ていると、急にその画面がピカピカと光りだしたのだ。
表示されている名前を見て、驚いた。
志波くんだったのだ。
慌てた私は思わず手を離してしまい、携帯電話は音をたてて地面に落下した。
拾い上げようとかがんだところで、私の耳に聞きなれた声が届いた。

「……?」

情けない体勢のまま、ゆっくりと顔を上げる。
そこには、携帯電話を片耳に当てている志波くんがいた。

「あ、志波くん」
「おまえ……何で、」

携帯を拾い上げて、えへへ、と笑おうと思った。
でも、かじかんだ手は上手く動かなくて、おまけに鈍くさい私の体は地面に向かって傾いていく。
転ぶ、と思ったところで、腕をぐっとつかまれた。
強い力で体を起こされて、ああ、志波くんだなあなんて、当然のことを考えていたら涙腺が勝手に緩んだ。

「あ、の、あのね、志波くん、」
「バカ」

なんて私は不器用で、我儘で、困った奴なんだろう。
結局笑ってごまかすことすらできないくせに。
いいや、なんて諦めたふりをして、聞き分けのいいふりをして、こうして来ちゃったくせに。

せめて、泣いていることだけは気づかれたくなくてうつむいた。
それでも彼はやっぱりお見通しのようで、私は間もなく抱きしめられた。
抱え込むように固定された頭の上では、彼の大きな手が柔らかに動いている。
情けなくて、恥ずかしくて、でも、嬉しくて。
私は益々泣けてたまらなかった。

「ごめんね」
「違う。謝るのはオレの方だろ。気づかなくて悪かった」
「ううん」
「バレンタインだったんだな、今日。……忘れてた」

志波くんらしいね、と、私は笑った。
彼は小さく「ああ」と呟いた。
少し身をよじると、志波くんは腕の力を緩めてくれたから、私はその隙間で鞄の中に手を入れチョコの包みを取り出した。
涙をぬぐってと差し出すと、彼は眉尻を下げて受け取ってくれた。
そして、とてもさり気ない動作で大きな背をかがめ、私の唇に自分のそれをそっと合わせた。



「……我儘言って、ごめんね」
「いや、嬉しい。サンキュ」
「困らせてばっかりで、ごめんね」
「そんなことない」



握ったままの携帯を見ると、もう時間がなかったから。
私は「じゃ、またね」と身を離した。
会えたら会えたで名残惜しくなってしまうことは分かっていたから、なんだか助かった気がした。
微妙に時間に余裕があったりしたら、私はきっと帰りたくなくなってしまったと思うから。

でも、鞄を持ち直した、そのときだった。
志波くんは、さっきの携帯を落とした私みたいに、慌てて手を伸ばして。
不自然な体勢で、私の手を握った。
引き止められてしまった。

「うん?」
「……え、帰る、のか?」

驚きに、わずかに見開いた視線がぶつかって。
私たちは、どちらからともなく笑った。

「だって、明日早いんだよね?」
「早いけど……ここまで来て、もう帰るのか?」
「終電だし」
「……まあ、そうだけど」
「私も明日、10時からバイトだし」
「…………ん」
「寮、入るわけにいかないし」

私の言葉に、志波くんは困ったように頭をかいた。
そして手を掴んだまま、一瞬難しい顔をして、その後に深く息を吐いて。
なんだろうとその様子を伺っていると、急にきょろきょろとあたりを見回して、それからはあっという間だった。
「明日、朝一で送るから」と、珍しく早口でそう言ったかと思うと、私には信じられないスピードで寮の門をくぐり、階段を駆け上がった。
いつの間にか取り出した鍵で、すばやく鍵を開けたかと思うと、私たちはもう、部屋の中だった。
初めて入ったその場所に、そして今起きた一瞬の出来事に、私はただただ驚くしかなかった。
思わず噴出してしまうくらい、驚くしか、なかった。






「……ばれなきゃ、セーフってことで」






会えないと思っていた、バレンタイン。
帰らなきゃいけないと思っていた、彼の住む寮の前。
そんな状況をあっという間に変えてしまった、珍しくお茶目な彼の一言が、おかしくておかしくて。
真っ赤な顔をした大好きな彼に、私は笑いながら背伸びして、小さなキスを贈った。






HAPPY VALENTINE !!






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