誰にだって不得手なものはある。
そしてそれは、努力で克服できるとも限らない。

でも、報われない努力だったとしても。



オレは絶対、笑ったりしない。






【彼女の憂鬱・3】






体育の前の休み時間。
いつものように人であふれる廊下を、教室の中からぼんやりと眺めていた。

今日から、試合形式一色の授業になる。
オレは、そんなことは全く気にしねえけど、を思うとなんだか憂鬱な気分になる。

は今日も、さえない気分で体育館に向かっているんだろうか。
あの腕だ。まさか無理はできないだろう。
でも、あいつは嫌だとか辛いとか痛いとか、そういうことをあまり口にしないから。
なんだか心配で、オレはいつもより少し早く教室を出た。



体育館に入ると、すでに円になってパス練習を始めている人の姿が目に入る。
そして、その中に見つけたの姿。
近くにいる奴と何か話して笑いあっているけれど、やっぱり笑顔は少し曇っている気がする。

しばらく見ていると、にボールが飛んでいく。
はそれをアンダーで受けたけれど、ボールはあらぬ方向に飛んで、 入り口付近のオレの足元に転がってくる。

「……よう」

ボールと一緒に転がるように走ってきたにそう声をかけると、彼女は慌てて顔を上げる。

「あ、志波くん。おはよ」

オレに気づくと、はそう言う。
彼女は、朝じゃなくても会うと決まってこの挨拶をする。
声色は少し暗いけど、いつもの様子に少しほっとした。

「どんまい。無理するなよ。手首」
「うん、ありがとう」

へへ、と少し笑いながら、首をかしげる仕草。
「そう言っても、どうせ無理するんだろうな」と、オレは少し苦笑した。
そんなことないよ、といつもの調子の返事を待ったけど、彼女は曖昧に笑っただけだった。



じゃあ行くね、とがオレに手を振る。
すると、の背後に現れる、一人の影。

「ちょっと、さん」

は振り向き、オレは越しにその声の主を見る。
そこにいたのはすらっと背の高い、見たことのない女だった。
のクラスの奴か?)
邪魔になるかとその場を離れかけたその時だった。

聞こえた言葉にオレは思わず足を止める。

その言葉は、どうしても聞き捨てならないもので。
そして、信じられないような、耳を疑いたくなるような言葉だったから。



「早くして。さっきから、あなたのせいで、練習続かないんだから」



……ああ、これだったのか。
彼女の憂鬱の原因は。

少し離れたところから、の表情を伺うと。
オレが見たどの表情よりも暗くて曇った、落ち込んだ表情。
そして、をそんな表情にした言葉をこぼした奴は驚くほど飄々としていて、まるで悪びれた様子もない。

「あなたは無理に取ろうとしなくていいから。邪魔にならないように避けてくれるだけでいいの」

腹が立った。
確かにのパスは、思うような位置に落ちないかもしれないけど。
見てりゃ分かるだろ、こいつは全然手を抜いてない。必死にやってんのに。
こんな事言われちまったら、失敗どころか練習もできねえじゃねえか。

「……おまえ」

苛立ちに、口を出しかける。
すると、が慌てたようにオレを振り返り、「志波くん」と小さく名前を呼んで制止する。
そして、

「ごめんね、今行く」

そう呟いて、さっき練習をしていた円陣のほうへ戻ってしまった。



一人、取り残されたオレは、行き所を失った憤りに思いっきりため息を吐いた。
手首が腫れ上がるまで、必死に練習していたのも。
悔しい、そう呟いたのも。
そして、憂鬱そうな表情の原因も。
全て、あいつの言葉のせいだったのか。

(いや、違うな。あいつ一人のせいじゃない。)

さっきの言葉との暗い表情に、オレはふと、過去を思い出す。
……あれは小学生の頃だったか。
県大会の出場権をかけた大事な試合。
オレの隣を守っていた奴は守備が苦手な奴で。
どうしても勝ちたかったオレは、
「オレが取る!」
そいつの守備範囲に飛んできたボールに、走ってしまった。

その試合には勝った。
誰もオレを責めなかったし、オレ自身も間違ったことをしたとは思わなかった。
でも、今になっても、はっきり覚えていることがある。
「任せて!」
オレがボールに走る直前、隣から聞こえた声。
そう、そいつは自分でボールを取るつもりだったんだ。
そしてオレは、その声を聞いたのに、堪えきれずに走ってしまった。

“勝つための協力、助け合い”、そういえば聞こえはいいけど。
誰よりも練習熱心で、にこにこ笑いながらきついトレーニングをこなしていたあいつはどんな気持ちだっただろう。

(オレだって、今の奴と一緒じゃねえか……)

それにきっと、今の奴だけじゃないんだ。
多分、のチーム全体が、“勝つ”ために一生懸命で。
をないがしろにしたいわけじゃない。
仲間はずれにすることが目的じゃないけれど。
結果的に、バレーの苦手なあいつが、輪から追い出されているんだ。



情けねえけど、どうすればいいんだろうと悩んでしまう。
できる限りのことをしてやりたいと思っていた。
憂鬱の原因を話してくれれば、なにか力になれると思った。

でも、原因を知った今、何をすればいいのか分からない。

確かに、さっきのに向けられた言葉はよくなかった。
いくら勝つために一生懸命でも、言い方がある。
でも、それをとがめたくらいで何になるだろう。

『悔しいの』

の言葉を思い出す。
情けをかけられたいんじゃない。
仲間はずれにされたくないんでもない。

は、出来ないことが辛いんだ。

出来るようになること以外、何の慰めにもならねえじゃねえか。
自分の無力さに、腹が立った。



ぼーっとそんな事を考えているうちに、授業は始まっていた。
気がつけばオレはコートの中に立っていて、試合をしている。

サーブをする。
レシーブをする。
アタックをする。

オレはみたいに練習なんてしていないのに、ボールも体も狙ったとおりに動く。
本当に頑張っているのは、オレじゃなくてなのに。
なんで、頑張ってる奴が惨めな思いをしなきゃなんねえんだ。

イライラしながら、ローテーションをする。
その時だった。
急に、背中に感じた衝撃。
そして、それとほぼ同時に飛んできた声。

「ご、ごめん!!」

何かと思いあたりを見回すと、足元に転がっているのはボール。
(ああ、隣のコートから飛んできたのか)
それを拾い上げ、投げ返そうと見た先にいたのは、さっきから頭を離れない

「志波くん、ごめん……」

下を向くだけで、今にも涙がこぼれそうな表情。
(どうすればいいんだ。)
自分の無力さにいらだちながら、軽くボールを投げる。

「ちょっと! サーブくらいちゃんと入れてよ!」

隣のコートから響く声は、さっきと同じ声。
(……こいつだって、入れたいと思ってんだよ!)
頭に血が上るのを感じる。
今にも喉から飛び出しそうな声を押しとどめているのは、目の前のの“大丈夫”という目配せ。
でも、そのタガが外れるのは、実にあっけなかった。

「あはは、さっきからどこ飛ばしてんの?」
「すごいよね、さん。ある意味才能」

の相手チームの奴だろう。
何人かが、声を上げて笑っている。
悪気はないんだろう。
もしかして、気を軽くするために言ってるのかも知れない。

(でも、悪気がなければいいってわけじゃないだろ……?!)

気がつくと、オレは隣のコートまで歩いていた。

「おい。おまえら」

声を荒げたつもりはない。
脅しをかけているつもりもない。
でも、オレの声に辺りは静まり返る。

「言っていいことと、悪いことがある」
「……べ、別に私たち……」
「どんな気で言ったとしても、人の一生懸命を笑うのはやめろ」

重苦しい雰囲気の中、が慌ててオレの元に走ってくる。
そして彼女は、もういいよ、とオレの袖を引っ張る。
でも、オレは最後にもう一度口を開く。

「上手くできなくて、一番悔しいのはこいつだ」

これだけは、どうしても言いたかった。

「こいつは頑張ってんだ。それだけは認めてやれよ」

たとえが求めていなくても。
言わなきゃ、オレの気がすまなかった。



「志波くん!」

授業後、外の水道で水をかぶっていると、が走ってきた。
オレの横まで来ると、淡い黄色のタオルを渡してくれる。

「……さんきゅ」
「ううん」
「さっき、悪かった」
「え?」
「あんなことされちゃ、これからやりにくいだろ?」

オレの言葉に、は慌てて首を振る。
借りたタオルで頭を拭きながら、オレは続ける。

「でも、言ったことに後悔はない。オレが、悔しかったんだ」
「……え?」
「おまえが頑張ってるの、オレは知ってる」
「志波くん……」
「おまえが一生懸命なこと、オレは認めてる。だから腹が立った」
「……」
「オレも、悔しかった」

目の前のをじっと見る。
すると、みるみるうちに目に水滴が盛り上がってきて、ぽろぽろと流れ始める。

「お、おい、? 悪い、やっぱり迷惑だよな」

泣かせちまったことに、オレは慌ててしゃがみこんだ。
そして迷った挙句、借りたタオルの端での涙をぬぐう。

「汗臭いな……悪い」
「ううん」

しゃくりあげながら、なぜかがほんのり笑う。

「どうした?」
「志波くんが、焦ってて必死だから」
「……え?」
「珍しく、慌ててるから」

そう言って、肩を揺らす。

「……笑うな。笑うか泣くか、どっちかにしろ」
「ふふ、ごめん。じゃあ泣くね」
「あ、いや……いい。笑え」
「いいの?」
「ああ。笑ってくれ」

しばらくの間、はしゃくりながら笑い続けて。
その様子に、オレも少しだけ笑った。

「志波くん、ありがとう。すごく、嬉しかった」
「え……?」
「認めてくれて、ありがとう」



1ヵ月後の、一月。
球技大会で見かけたのは、緊張した面持ちでサーブを構える

さん、頑張って!」

響くのは、チームメートの声。
あれからずっと練習を続けたのに、やっぱりのサーブちっともうまくならなくて。
ボールは相手のコートを大きく外れて、の真後ろに飛んで行く。

「どんまい、次、取りかえそう!」

でも、そこにはもう、憂鬱な彼女の表情はなかった。



「前ほど、辛くはなくなったの」

試合に勝ち、仔犬のような笑顔でオレの元に走ってきたは笑う。

「まだ下手だし、できなくて悔しいけど……見ててくれる人がいるから」

あの日のタオルで、汗をぬぐう。

「もっと、頑張る」



オレが、の力になれたかは分からない。
でも、憂鬱な彼女の表情が、笑顔に変わったことは間違いない。

「無理はするなよ」
「分かってる」

いつかオレに、彼女を笑顔にできるような力がつけばいいと思う。
のバレーよりも下手で、見当違いなことしかできないかもしれないけど。
それでも、諦めず、頑張ろうと思う。

「試合、そろそろだよね。頑張ってね?」
「ああ」

声に上がった白い息をたどる。
そこには、悔しいと彼女が呟いた日に見えた夕日の変わりに。



とても、青い。
雲ひとつない、青空が広がっていた。






END






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※引っ張った上に、イマイチ抑揚のないオチですみません! しかも、何が書きたかったか分かりにくいですね。
 ゲームの主人公ちゃんはやればなんでも出来ちゃうスーパーガールですが、そうじゃない主人公ちゃんも愛してほしかったんです。
 私自身、なにやってもダメダメなので(そんな奴の妄想、本当にすみません)。
 お読みくださいましてありがとうございました!