本当に身動きが取れないのは、きっと僕のほう。






【19 捕縛】






来週の日曜日はどうしても会いたいと、久しぶりのメールで君が言った。
僕はこう見えて単純だから、夜の寝室に光るその文字を見ながら喜んだ。

そう、本当に、久しぶりだったんだ。
こうして君がわがままを言うのも、会えることも、そしてその約束を交わすメールでさえ。

お互いの仕事が忙しく、タイミングが合わない日々が続いていた。
もちろん、それは不本意に。
声が聞きたいと思っても、国をまたげば朝や夜を共有することもできず、電話をするのもはばかられた。
疲れている君に負担をかけたくなくて、会いに押しかけることなんてできなかった。

話したかった、会いたかった、触れたかった。そして、抱きたかった、けれど。
無理だけはさせたくなかったし、僕自身にも余裕がなかった。
もどかしさを感じつつも、そういうことができないこともあるのだ、と、不思議と納得していた部分もある。
四六時中くっついていなくても、僕たちは愛し合っているという自信があったのかもしれない。



「仁、次はあっち。あっちに行ってみたいわ」



でも、こうして、君を目の前にして。話して、触れて、気がつくことがある。
それは、残念ながら、喜ばしいことなんかじゃない。
辛くて、腹が立って、そして切なくて。なにより、怖い、こと。

「噴水の前で、写真を撮りたいわ。2人で」

僕が喜びそうなわがままを、そのかわいい口でありったけ並べながら、貼り付けたような笑顔を浮かべる君。
ねえ、なにを急いでいるの?
まだまだ時間はあるのに。君も、僕も、まだまだ死ぬような歳じゃないのに。
だって、そうだろう? 僕たちの別れは、きっとどちらかの死。
一生かけて愛していくつもりだと、僕はもう、とっくに心に決めているのに。

「すみません、もう1枚、お願いします」

水しぶきが虹色に光る噴水前、シャッターを頼んだ老夫婦に、結局、君は3回笑顔を向けた。






大好きな君を迎えに上がった瞬間、僕は大変なことをしてしまったことに気が付いた。
玄関を開けたそこに立っていたのは、美容室で丁寧にセットしてもらった髪の毛から、華麗な花が描かれた指先、真新しい靴と、
頭のてっぺんからつま先まで、全く隙のない格好をした君。
おめかししてくれたのか、とも思った。
でも、何かが違う。例えば、服もバックも化粧も、全てが淡い色だったこと、とか。

それが確信に代わったのは、あいたかったわ、と、君が笑ったとき。
その表情には、切なさも嬉しさも、愛おしさも親しみも、もしかしたら怒りでさえ含まれていたから。

感情を、あまり表に出さない君。
ねえ、そうなんだろう?
全てを吐き出してしまうかのように、むき出しの素顔を見せたのは、きっと。



(君は、僕に、さよならを言うつもりだね?)



白でもない、黒でもない。
水に落とした水彩絵の具のような、桃色、緑、青。
彼女の服は、僕に、綺麗な残像を残すため、だろう。






今となっては予測にすぎないが、きっと彼女は寂しかったのではないか、と思う。
思い返してみれば、心当たりなんてありすぎるほどで、どうして、もっと早くに気づけなかったのだろう、と思う。
こうなってしまったのは、心から愛し合っているのだから、会えなくてもつながっていられると思った、僕の驕り。
でも、それだけじゃない。
こうなってしまう前に、わがままの一つも言い出せなかった、彼女の弱さ。

甘やかすことは得意だ。
でも、間違えないで欲しい、僕は案外、優しい男じゃない。

ねえ、分かるかな? 僕は、怒っているんだ。
嬉しいも楽しいも、悲しいや腹立たしいだって、全部。
そんな風に、まるで必死に「消化する」みたいに外に出すものじゃない。
愛おしい、なら、なおさらだ。
君は大事な感情の一つ一つをしまいこむだけしまっておいて、一人で覚悟を決めて大放出、かい?

明里、違うだろう。

食事をするでも、一口一口を丹念に楽しむ君が。
景色がもったいないから、散歩のときはできる限りゆっくり歩きたいと言った君が。
こんな過ごし方で、その放出した量に見合った幸せが感じられるとでも?

ばかげている。
僕はこんな風に、君に笑って欲しかったわけじゃない。






どういうつもりなのだろう、狂ったように僕と写真を撮り続ける君。
腹が立った。
記録なんて、いらないじゃないか。
だって、僕はずっと、君の傍にいる。
証拠なんてなくたって、今、顔を見て、手を握って、その一つ一つを感じていれば。
写真のような、切り取った僕じゃない、ありのままの変わり続ける僕が、君の中に生まれていくのに。

「ねえ、仁、もう一枚、」

僕の腕を掴んで、カメラを持ち上げた彼女に、「明里」と名前を呼んで、その続きを遮った。
彼女の顔が、不安に歪む。

「どういうつもりなんだい?」
「…仁?」
「まるで、今日は最後の晩餐のようだね。さっきから、何を焦っているんだい?」

僕の問いかけに、明里はうつむいた。
刹那、目の端に涙が光ったような気がしたけれど、見間違いだったのかもしれない。
勢い良く顔を上げた君は、作ったように、笑っていた。



「別れましょう」



予測していた、でも、やはりどうしたって聞きたくなかった言葉を、彼女は紡いだ。
僕は、笑った。






平気なふりをして、笑って頷くこともできる。
君の望むとおり、綺麗な美しい記録を残して、その残像すらを演出する事だってたやすい。

だけど、しないよ。
君は分かっていない。
僕は、怒っているんだ。

僕を嫌いになったのならいい。
他の人を愛してしまったなら、それも仕方がないだろう。
でも、こうして必死に全てを吐き出して、全てを得ようとする君の瞳から、確かに感じるんだ。

「明里、理由を教えてくれないか」

答えは、分かっている。

「仁を、愛しすぎてしまったから」
「…ずっと、会いたかった、かい?」
「会いたかったわ」
「寂しかった?」
「寂しかったわ。寂しくて、死にそうだった」

じゃあ、なんで。
僕の挑発に、君が乗る。






「じゃあ、じゃなくて、だから、よ」






君が僕を好きである限り、僕はきっと、君を離さないだろう。
君は、僕に縛られている。
だから僕は、君の望みを聞き入れない。

「明里、どちらか、だよ」
「どちら…か?」
「別れるなら写真は没収。綺麗な思い出にされるなんて、たまったもんじゃない」

でも、知ってるかな。
本当に身動きが取れないのは、僕の方。
君が思っている以上に、僕は君の事を愛しているんだ。それはそれは、苦しいほどに。

「でももし、これからも傍にいてくれるなら、写真だけじゃない、僕の全てを君に差し出すよ」

片方にカメラを。
片方は、てのひらを。
差し出された君は、どちらを選ぶ?
すべては、君次第。









やがて、何かに怯えるようにそろそろと伸ばされた君の指先は、緊張で真っ赤に染まっていた。
淡い色々の中、その熱だけが、確かな存在を示していた。







END






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