ごめんな、と。
メールを打って、送信ボタンに指をかける。
でも、それを押す気にはなれなくて。
未送信のまま、携帯を閉じた。
メールも電話も、嫌いじゃねえけど。
でもやっぱり、そんなんで何かを済ますことはあんまり好きじゃなくて。
どんなに忙しくたって、肝心なことはいつだって口で伝えたいと思う。
だから、こうして明里が、怒って帰っちまったとき。
思うんだ。
なんで俺は芸能人なんだろう、って。
追いかけることも、会いに行くことも簡単にできない俺は。
なんて不自由なんだろう。
「あー…どーすっかなぁー」
裏口で携帯をパタパタやりながら、片手で前髪を握った。
もう30分もたたないうちに、ここの仕事は終わりだけど。
でも、次の仕事が待っている。
明里に会えるのは、あと何時間後だろう?
ため息をつくと、背後から盛大な音が聞こえた。
身を縮めて振り返ると、そこには見知った二人の姿。
「九神さん、いらっしゃいます?!」
そう声を荒げていたのは、絢子ちゃん。
そして、その背後で視線を泳がせているのは。
他でもない、明里だった。
【10 どこでキスをしようか(3)】
開きかけていた携帯が、手元でカチッと硬い音を立てたのが分かった。
壁に寄りかかっていた背中を、驚きに少し起こしながら。
俺は、明里と絢子ちゃんを見た。
二人はなぜか、ぜえぜえと息を切らせていて。
髪まで乱れかけてるところを見ると、走ってきたんだろうなと思った。
それも、かなり必死に。
「いらしたわ!明里さん、九神さんよ」
絢子ちゃんは、俺に気づくなりそう言って、後ろにいる明里を引っ張り出す。
明里は、戸惑ったような、少し嫌がるようなそぶりを見せながら、少しだけ前に出た。
「あ、明里…?と、絢子ちゃん。どうした?」
突然の出来事に、俺がそう尋ねると。
絢子ちゃんは盛大にため息を吐いて、明里は斜め右下に目を伏せた。
「明里さんが、ウジウジ悩んでいらしたから」
「ちょっと、あ、絢子さん?!」
「連れてきて差し上げたわ」
呆気に取られていると。
…だって、絢子さんが無理やり引っ張ってくるから。
でも、明里さんは仲直りしたそうだったじゃない。
…だって、絢子さんが無理やり話を進めるから。
でも、明里さん、相当暗いお顔をなさっていたわよ。
二人はそんな、小競り合いを繰り広げる。
話を聞くうちに、俺もことの次第を大体理解した。
「あー…つまり、明里、借りてもいいってこと?」
「もちろんですわ。そのつもりでお伺いしたのよ」
「絢子さん!!」
「んじゃ、ちょっと借りるわ」
イヤイヤと、少し後ずさる明里の腕を捕らえて。
すぐ隣にあった、控え室のドアノブに手をかける。
扉を開くと、明里は少し腕を突っ張って見せて。
その姿を見た絢子ちゃんが、俺に耳打ちする。
「たまには、明里さんにも合わせて差し上げて…?」
「え?」
「庶民に合わせるのは、さぞ辛いでしょうけれど」
「またこの子を泣かせるようなことがあれば、次は明里さんをお貸しできないわ」
それだけ言うと、じゃあまた、と、絢子ちゃんはあっさり去っていった。
その後には、俺と明里が二人。
ゴージャスの狭い裏通路に、ぽつんと立っていた。
ゆっくり話すなら、やっぱりソファのある控え室か、最悪店内でもいいかと思ったけど。
引いても押しても明里が嫌そうに首をふるから。
仕方なく、ここで立ったまま、話を始めることにした。
「…明里、さっきはごめん」
雑然とした空間に、俺の少し渇き気味の声が浮かぶ。
明里は、さっきからずっとうつむいたままで、俺と目を合わせないようにしているみたいだった。
「イヤだったんだよな?キスすんの」
「………」
「ごめんな?まさかそんなに嫌がってるとは思わなくてよ」
振り払われないように。
そっと、手を握る。
華奢な手が、俺よりも熱いのは、やっぱり走ってきたせいなんだろうか。
「ごめんな…?」
相変わらず、明里の反応はなくて、俺もそれ以上何を言っていいのか分からなくなって。
目を合わせるわけでも、向かい合うでもなく、俺たちは手を繋いだまま、並んで立っていた。
『たまには、明里さんにも合わせて差し上げて…?』
遠くに聞こえるシャンパンコールに、なんとなく耳を傾けながら。
俺は、さっきの絢子ちゃんの言葉を思い出していた。
思えばずっと、明里のことを振り回しっぱなしだ。
会う時間だって、場所だって。
食べる飯の種類、電話をするタイミング。
それに、こうして仲直りをするきっかけだって。
それは全部俺の都合で、何一つ、明里の希望を考えることができてない。
色々、してやりたいとは思っているんだ。
わがままがあったら叶えてやりたいし、
どんなときだって明里が楽しいように、したいようにしてやりたい。
でも、こんなの言い訳だって分かってるけど、仕事が忙しくて。
明里が好きで、好きすぎる俺は、
やっと会えた時間は、いつだって思ったままにしか動けないほどはしゃいじまう。
いつだって、余裕がなくて、自分でも何をやってるのか分からない。
全部、好きだから。
だから明里も分かってくれていると思ってたし、それは仕方がないことだと思ってたんだ。
「なあ、明里、話そうぜ?」
「…なに、を?」
「明里がして欲しいこととか、して欲しくないこととか」
「俺、バカだから、言ってくれねえと分かんねえんだ」
「……」
「ちゃんと聞くから。だから、話そう?」
明里が、遠慮がちに、でも確かにうなずいたのを見て。
俺はほっと息を吐いた。
「イヤだったんだよな、キス」
「…だって、あんなに人がいるのに」
「でもよ、別にキスくらいいいんじゃねえか?別に裸になってるわけじゃねえんだし」
「そんな…!そ、そりゃ、要さんはそういうの慣れてるかもしれないけど」
「や、慣れちゃいないけど」
「それに、カメラだって回ってるのに…」
「大丈夫だぜ?ちゃんとカットしてくれるから」
「そうじゃなくて、記録に残るのが恥ずかしいんです!」
俺が質問をすると、明里は小さく、でもはっきりと答えてくれる。
そしてだんだん、分かってきた。
俺は、周りがどんな状況だろうと、明里と会えるわずかな時間は、
とにかく明里を見ていたくて、明里に触れていたくて、明里を感じたくてたまらなかったけど、明里はそうじゃなかったということ。
特に、カメラ慣れしていない明里は、ゴージャスの撮影中にそういうことをされるのがイヤだったということ。
(や、俺だって、やたらめったらカメラの前でキスして回ってるわけじゃないぜ?)
イヤよイヤよも好きのうち、なんていうけど。
今回のは、そうじゃなかったっていうこと。
「そっか。ごめんな、気づいてやれなくて」
「…もう、やめてくださいね」
「ああ、気をつける」
謝りながら、でも、どうやって抑えりゃいいんだろうな?
抑えるなんて無理なんじゃねえかな?と、考えていると。
「でも、どうして要さんは、人前でも、その…キ、キスしたりするんですか?」
明里がふと、口をひらく。
俺は、その質問に驚いた。
そんなの、考えるまでもなく、分かりきってることじゃねえのか?
「好きだからに決まってんだろ?」
「…は?」
「好きだから。触れたくなるし、キスしたくなんだろ」
俺がそう言うと、明里は間の抜けた顔をした。
そして、「でも、我慢くらいできますよ」とちょっと笑う。
「できねえよ。言ったろ?本気になったら、周りなんて見てる暇ねえんだよ」
やっと、顔を上げた明里の顔を覗き込む。
そして周りを見渡してから、そっと、唇を合わせた。
明里は一瞬、肩を揺らして、後ろに引いたけど。
「…誰も、いねえから」
少し唇を離してそう伝えると、ゆっくり目を閉じてくれた。
そっと、隠れるように。
優しく合わせた仲直りのキスは、なんだかすごく、暖かかった。
好きだから。
だから許されると思ってたけれど。
でも、明里の嫌がることは知っておきたいし、したくないと思う。
これもまた、好きだから。
やっぱり理由は、いつまでたっても単純なのかもしれない。
…でもやっぱり、衝動を抑えるなんて、俺にはムリなわけであって。
手だけを控えめに繋いだまま、そろそろラストの店内に戻って、席についたとき。
「……でも、私だって、要さんも、要さんとキスするのも、好きですからね?」
明里がそんなかわいいことを言うから。
「あー、やっぱり抑え効かねえって…」
「ダメですよ!」
…じゃあ、どこでキスしようか?
耳打ちしてから、俺たちはカメラに隠れるように、そっと席を立った。
END
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※かわいい話にしたかったのですが、あんまりならなかったですね。
炎樹は基本的に王様体質だと思うのですが、明里ちゃんにだけは、ペースを乱されたらいい。
明里ちゃんには飼いならされたらいいと思うのです。明里ちゃんはさぞ大変でしょうが!
〜ちょっと後日談〜
「絢子ちゃん、あの日はホントにありがとな」
「仲直りはできたのかしら?」
「おお、バッチリ!」
「また困ったことがあったら、いつでもおっしゃって下さいね」
「さんきゅー(いい子だな、絢子ちゃん…)」
「また、明里さんとケンカしたら、そのときは…」
「…そのときは、責任を持って、明里さんを引き取ってさしあげるわ」
「…え、そっちなのか!?(敵!?)」
〜END…?〜
絢ちゃんは、絶対に明里ちゃんを溺愛してますよねー。
当サイトは、ツンデレ絢子を応援しています。(年中無休でキャンペーン実施中)
お読みくださいましてありがとうございました!