こんなことになるなら、聞かなきゃよかった。

あの日見つけた、要さんによく似合いそうな深い茶色のコート。
冬しか着てもらえないし、なんて欲張りなこと考えないで、素直に買っとけばよかったんだわ。
そうじゃなければ、あの指輪。
ちょっと高かったけど…ムリすれば買えたのに、なんでやめちゃったんだろう。

「触ってくれよ」

そう呟く今日の主役は、クラクラするほど色っぽい。





【09 触ってみましょう】





時計の音が、耳に痛い。

「誕生日プレゼント、何が欲しい?」

そう聞いたあの日も、この音はずっと続いていたはずなのに、今日はやけに耳に触る。
それもこれも、要さんがあんなこと言うからだわ。

「明里のぬくもりが欲しい」
「………は?」
「たまには、明里から触ってくれよ。俺に」

要さんからそれを仰せつかったのは、ちょうど3日前。
まさか本気だとは思わずに今日まで…誕生日当日まで来てしまったけど。

「どこでもいいぜ?」

お気に入りに革張りのソファに、まるで王様のように身を沈める要さんは、すっかり待ちの姿勢。
そう、どうやら彼は本気らしい。



「…か、要さん、やっぱりこんなのが誕生日プレゼントなんて…」

戸惑うことしかできなくて、私は無駄と分かっていながらも呟いてみる。

「”なんでもいいですよ、私に買えるものなら”…そう言ったのは、明里だったよな?」
「は、はい、そうですけど…」
「だったら問題ねえじゃん」

それともなに、俺に触るのがそんなに嫌なわけ?
そう言われてしまって、私は否定に首を振る。

…もちろん、嫌なわけはなかった。

さらさらの髪も。
筋の通った鼻も。
意外にごつごつした大きな手も、いつも私を包んでくれる力強い腕も。
全部、ぜんぶ。
私の大好きなもので、愛おしくてたまらないもの。
そして、触れたくてたまらないものだから。

「でも…あの」
「ん?」
「…は、恥ずかしいです」

いつも、要さんは私に甘いから。
恥ずかしいけど、かわいく小首をかしげてみれば許してもらえるかな…
なんて、ちょっとした計算を実行してみる。

けど。

「…ダメ」
「え?」
「今日はダメ。明里が触ってくれるまで、絶対あきらめねえ」

どうやらそれも通用しなくて。
覚悟を決めるしかないのかしら…。
私はこぶしをぎゅっと握った。



ソファの上で、私は横を向き、顔だけをこちらに向けている要さんを見た。
やっぱり、キレイ。
パーツの一つ一つがキレイなのはもちろんだけど、その配置がすごく整っていると思う。
正しい位置から、だだの1ミリもずれていないだけで、こんなにキレイになるなんて。
しょうがないと思いつつも、自分の顔を思うと、つい親への恨みごとが浮かぶ。

「…明里?なにぼっとしてんの?」

キレイな形の唇が、私の名前の形に動く。

「あっ、すみません。つい…その、見とれちゃって」
「は?なんだそれ」
「要さん、こうして見ると、すごくかっこいいです」

悔しいくらい。
私のその言葉に、要さんは吹き出した。

「ははっ、まあそれもすげー嬉しいけど。でも、見てるだけじゃなくて…」

――触ってみましょう、姫。

お芝居みたいにそう言って、要さんが手を小さく差し出す。
その台詞回しが、なんだかとても大げさで。
私は少し笑って、おそるおそる手を伸ばした。



初めて私から繋いだ要さんの手は、とても暖かい。
少し戸惑ったけど、いつも要さんがしてくれるのと同じように、指を絡めてぎゅっと握ってみる。

「さ…触りました」

異様な照れくささにうつむくと、要さんが微笑む気配を感じた。

「…それで?」
「え?」
「まさか、これだけで終わりってことはねえよな?」

…やっぱりそうなんですか?
早鐘のような自分の心臓の音を聞きながら、私はそっと繋いだ手と逆の手を出す。

…次は、さらさらの髪の毛に触れる。

思った以上にきめ細かいそれは、触っている私の方が気持ちのいいような感覚だった。
あまりの心地よさに、しばらく髪の毛を撫で続ける。

「…なんか俺、今猫の気持ちが分かった気がする」
「ふふ、なんですか?それ」
「すっげえ気持ちいい」

そうなんですか?
そう笑うと、要さんは目を閉じたまま、小さく微笑んだ。

そして。

「最後にもう一声」

そう、ニヤリと笑う。
ここ、と指が指し示す場所…唇。

「明里からキスされたこと、1回もねえから」

要さんは体ごと私に向けて、座り直した。



…キス。



もちろん、初めてじゃない。
でも…キスってどうやってするんだっけ?

顔は傾けるべき?
目はどのタイミングで閉じるの?
息、止めてたっけ?

目の前でニヤニヤしたまま待つ要さんを見て、私はどんどん焦る。
要さん、いつもどうやってしてたんだっけ…。
顔が熱くなるのを感じる。

「い、いきます…」

戸惑った挙げ句、言わなくてもいい宣言をしてから。

少しだけ、顔を傾けて。
目をぎゅっとつぶって。
息を止めて。

私は、そっと唇を寄せる。

そして、ちゅ、と。

当たったそこは…唇の右端だった。



「す、すみません!ず、ずれちゃいました…」

やっぱり恥ずかしくて、私はしどろもどろになって口を開く。

「そ、その!いつもどうやってたか分からなくて、いきなり私からって言われても、その…」

黙っている要さんの反応が知りたくて、私は少し顔を上げる。

「う、うまく思い出せなく………んっ!!」

スキをついたかのように、要さんが私の頭をぐんっと引き寄せ、キスをした。
そのキスは、何度も、何度も。
まるで私の唇を残さずにに食べていくような、丁寧な熱い口づけ。

離れたときには、意識が朦朧としていて。
…ああ、そうだ。
要さんのキスは、思い出せないんじゃなくて。

考える余裕もないくらい、熱いんだ。

そんなことをぼんやり考えながら、私は要さんの目を見る。

「…思い出せた?」
「…え……?」
「キスの仕方。思い出せただろ?」

ニヤリ、と、不敵に笑う要さん。
その表情はとても色っぽい。

「そ、そんな…ムリです!!」
「ムリ?どして」
「…そんな余裕、ありません…」

それって誘ってんの?
要さんのその言葉に応える前に、またいくつもの口づけが降ってきた。



どのくらいの時間、そうしていたんだろう。
やっとのことで息継ぎを許されて、私は息を乱す。

「…でもまあ、今はとりあえずこのくらいでいいか」

満足げな要さんが、笑う。

「い、今のがこれくらい…?!で、でも、プレゼントは別にあげます!これじゃあんまりですから」

ほっとしつつも、これじゃプレゼントになりませんよ、と、私は言う。

「モチロン。まさかこれじゃ終わらねえよ」
「??」

「誕生日は長いんだぜ?もちろん、一晩中かけて、キスの仕方覚えてもらうかんな」

…!!

とりあえず、中断。
そう言って、要さんはひょいと私を抱き上げて膝の上に乗せた。

「俺もいっぱい触るから。明里も触ってくれよな?」

そしてまた、いつものように、要さんは私を抱きしめる。
…今日の主役の頼みなら、仕方がない。
きっと、何を言っても聞かないだろうし…。

「が、頑張ります…」

ドキドキしすぎて、心臓が壊れちゃうかもしれないけど…。
そんなことを考えながら、私は今日初めての台詞を耳元でささやいた。

大好きです、要さん。
…お誕生日おめでとう。



それを合図に、また要さんのキスが始まる。



長い、長い…誕生日の夜はこれから。




END




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