君の求める僕が。
ありのままの、僕、でありますように。
【13 目隠し】
休日、久しぶりに暇ができたから、彼女を家に呼んだ。
何をするわけでもなく、気に入っているクラシックCDをかけたり、この前買ってきた紅茶を飲んだり。
彼女と僕が本当に恋人だと実感するのは、意外とこういうときなのかもしれない、と思う。
食事をしよう、とか、映画に行こう、とか。
そういう、何か目的のようなものを口実に、誘って一緒に過ごすのも悪くはないけれど、なんだかそれではホストと客の延長のような気がする。
用事もないのに、口実も無いのに。
もっと言えば、自分にとっても、相手にとっても、目に見えるようなメリットなんてなにもないのに。
それでもこうして一緒にいられるようになって初めて、ああ、僕たちは恋人同士なんだ、と思う。
一緒に過ごす無駄な時間というのが、こんなにも幸せだということ。
彼女が、教えてくれた。
心地いい音楽にまどろんでいると。
「だーれだ」
不意に彼女の声が聞こえて、まぶたにひやりとした感触がした。
その響きに、思わず頬が緩む。
彼女はたまにこうして、まるで小さい子のいたずらみたいな目隠しをする。
“だーれだ?”
そんなの、間違えるはずがないのに。
だって、ここには今、君と僕しかいない。
それに、声だって、その手の温度だって。
気配の一つ一つが君のもので、僕がそれを間違えるはずがないのに。
「うーん、誰かな?」
分かっていながら、考えるそぶりをしてみた。
後ろに、くすくすとささやくみたいな彼女の笑い声を聞きながら。
「分かりませんか?」
「もちろん、分かるよ。分かってる」
「じゃあ、はい!だーれだ?」
“明里くん”
答えようとして、ふと思いとどまる。
僕の後ろにいるのは、間違いなく明里くん。
じゃあ、じゃあ君の前にいるのは?
目を覆われている僕は、君にとって誰なんだろう?
彬、なのか。
それとも、仁、なのか。
たまに、思うんだ。
ホストから恋人になって、穏やかな時間を求める僕は、君にとって退屈な存在なんじゃないか、って。
飽きられはしないかと、内心では、いつもヒヤヒヤしている。
こんなこと知られたら、君は笑うかな?
「その前に、明里くん…僕は、だーれだ?」
「え?」
「いつも聞くのは君ばかりじゃないか。たまには立場を変えないと面白くないだろう?」
僕に触れている冷たい手の上に、自分の手を重ねる。
君が求めるのは、彬?仁?
「やだ、私はちゃんと見えてますよ?」
「うん」
「目隠しされてないですよ?」
「うん、だから、さ、君の目には、誰が映ってる?」
冗談めかせて笑って見せたけど、僕の不安を見透かすように、君は柔らかく手を外して、僕の首に巻きつけた。
彼女の少し空気を含んだような声を耳元に感じながら、僕は彼女の髪の毛に手を差し込んで、梳くみたいに撫でる。
「どうしたの?」
「何がだい?」
「まるで、お母さんのお化粧を隣で見てる子どもみたいな顔してる」
「はは、随分突飛なたとえだね。それはつまりどういうことだい?」
「私、子どもの頃、お母さんのお化粧を見るのが少し怖かったんです。置いていかれるような気がして」
「へえ。つまり僕が、置いていかれそうな顔をしているって?」
「うん、ちょっと」
君はするどいね。
くすりと笑った彼女の身体を、抱きしめた。
華奢な彼女の身体に、どのくらい力を入れて良いのか迷いながら。
「ねえ、明里くん。退屈じゃないかい?」
「…なにが?」
「ホストじゃない僕は、ただ穏やかな時間に満足してしまう、こんなにもつまらない男だよ」
「……」
「君を力いっぱい抱きしめるのも怖がるような、そんな下らない男だよ?」
「そんなこと」
「え?」
「何を不安そうにしてるのかと思ったら、そんなことだったの?」
「変なの、“仁”」
呆れたように、笑いを含んだその声に、僕は心底安心した。
仁。
何気なく呼ぶときの名前が、その名前でよかった、と。
「ねえ、そろそろ答えて?」
「うん?」
「“だーれだ”」
「うーん」
「だーれだ!」
「明里」
僕が初めて呼び捨てで呼んだ君の名前に。
彼女は幸せそうに、頬を染めて笑う。
「…退屈なんて、するわけないじゃない」
「え?」
「いつも私は、ドキドキしっぱなしよ?それに…」
「それに?」
「置いていかないし、どんなに力いっぱい抱きしめても壊れたりしないわ」
じゃあ、遠慮なく、と腕に力をこめる。
抱きしめたぶんだけ、ぎゅうぎゅうと抱き返されて、なんだかとても安心した。
やっぱりどうしても、僕は君に臆病だ。
「…だーれだ」
「仁」
「うん、良かった」
「変な、仁」
「変なの、仁」
願わくば、神様。
目隠しのいたずらの答えは、ずっと、“仁”でありますように。
君の求める僕、が。
ありのままの、僕でありますように。
END
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