ずるい。
ずるい、ずるい、ずるい。

背も、手も、出会った頃とは比べ物にならないほど大きくなっちゃって。
声だって、あれ以上低くなるなんて思ってなかった。
余裕ないって、そう言いながらよく眉寄せてたのに、なんなの? 最近の、その笑顔。
嫉妬も、わがままも、的外れな悪口も、私ばっかり。

ずるい。
ずるい、雅也くんは、いつだって、本当に、ずるい。

これじゃ、好きなの、が、“私ばっかり”みたいじゃない。






【11 薬指】






視線が、ちょうど45度に交差する。
こたつの辺と辺に、それぞれ座って、正面に、まっすぐに伸ばす視線。
ぶつかることはない。
ただ、静かに、綺麗に、狂いのない直角を作る。

雅也くんとケンカをした。
きっかけはあるけど、きっと理由はない。
最近、私たちのケンカはいつもそうだ。
わざわざ引っ張り出さなくてもいいものを、無理やり引っ張り出すようなケンカ。引っ張り出すのは、私。
まるで、新聞屋さんの勧誘だって分かっていながら、玄関の扉を開けてしまうときみたい。
その先に、いいことなんて一つもないのは分かってる。分かっている、のに。
しつこく押し鳴らされるチャイムの音みたいに、私の胸がざわざわうるさいから、いつも仕方なく、引っ張り出してしまうん、だ。



こたつの真ん中には、みかんが4つ。
手元にはそれぞれ湯飲みがあるけれど、中身はもう、すっかり冷えてしまっている。
そして、その湯飲みと、みかんのだいだいの間。
置かれているのは、けんかのきっかけ。雅也くん宛ての、1枚のはがき。
同窓会のご案内。

視線を下にずらして、もう何度も見たそのはがきに視線をずらす。
“みなさんお元気ですか?”、の後に綴られた簡単な挨拶、そして開催日、時間、場所。
クラス単位、小規模なその会のお知らせは、カラフルに彩られている。
どこにでもある、私も受け取ったことのあるような、当たり前の“ご案内”。
もちろん私だって、これくらいじゃ、わざわざ突っかかったりしない。ケンカを売ったりしない。
引っ張り出したくなるしっぽ、は、最後にあった。
幹事、を冠に並ぶ2つの名前、そのうちの1つ。
女の子の名前の隣、ひっそりと小さく書かれた、モノクロの文字。

“もう一度、雅也くんに会いたいです”

丁寧な、丁寧な綺麗な文字だった。
もっと雑に、飾りみたいに書かれた文字だったら、きっと気にならなかった、なのに。
そんな風に、まるで一番大事なこと、みたいに書かれてしまったら、目が留まっちゃうじゃない。
まるでラブレター、みたい、じゃない。

「何も、なかったよ」
「…うそ」
「うそじゃ、ない。ほとんど喋ったこともない人、だよ」

さっきから繰り返している、終わりのないやりとり。
雅也くんの言うとおり、きっと本当に、何もなかったと思う。
だってこの頃、私はもう雅也くんと出会っていて、付き合って、いて。
2人で迎えた何度目かの朝、私がはじめてだってこっそり教えてくれたことだってもちろん忘れてないし、
そのときの、そして今の雅也くんが、嘘をついているなんて、もちろん全然、思っていない。

「うそ、だよ…」

それでも、こんな思ってもいないこと、可愛くないことを言ってしまうのはやっぱり、私に余裕がないからだ。
信じているのに、何もないってそう分かっているのに、確かめずにはいられない。
私より年下の雅也くんは、信じられないスピードで、信じられないほど大きく、劇的に。
とても、魅力的な人になってしまった、から。






最近、よく思う。
出会った頃、このはがきの先の人たちがまだ、雅也くんにとって思い出なんかじゃなかった頃、
なんで私は、雅也くんの気持ちが重い、だなんて感じていたんだろう。
だって、分かる。分かってしまう。
会えなければ不安で、メールが返ってこない、電話が繋がらない、それだけでも、不安で。

仕事が忙しいのは知っている。
雅也くんの勤める大学病院はもちろん入院も救急外来も受け付けていて、夜勤もあるし、急な呼び出しだってある。
やましいことなんて何一つなくて、本当に一生懸命、必死になって仕事をしているのも分かってる。
でも、だから、不安なんだ。
私がこうして誰もいない部屋で、携帯と玄関ばかりを気にしている間、雅也くんは頑張っている。
雅也くんは私の知らないところで、どんどん知らない人になっていく。
私が出来ることと、雅也くんにできること。その差はいつだって、大きく開いていくばかり、で。

釣り合わないんじゃないか、と思ってしまう。
私なんかを、雅也くんが好きでいてくれる理由なんてどこを探したって見つからないし、
どんなに頑張って背伸びして見せても、追いつこうと走っても、もう、雅也くんには届かないような気さえ、して。
何かをしたくて、なんとか仕事も見つけた。
出来ることを増やしたくて、認めて欲しくて、できる限り、そこで頑張ってきた。でも。
雅也くんに比べれば、私なんてどうしてもちっぽけで、無力、で。
それと反比例するみたい、私の好きって気持ちは、どんどんどんどん重く、大きくなる。

「明里さん」

でもこうして、かろうじて前に進む、みたいな、のろまで格好悪い私を、雅也くんは振り返って、戻ってきて、くれる。
そして、視線を合わせて、とても優しく、暖かく微笑んでくれるから、なんだかいつだって、泣けてしまう。

「…っ」
「行かない、よ?」

みっともなく泣き出した私の隣、なだめるみたいに向けられたその言葉。
違う、そうじゃない、そうじゃなくて。
わがままを許して欲しいわけじゃない。こんな風に、私に合わせてほしいわけでも、ない。
隣を歩きたい。あなたと、同じペースで。
ただ、それだけ、なのに。

「ちが…っ! そういうつもりじゃな…」
「ずっと、明里さんだけ。信じて、もらいたい、から」
「そう、じゃ、なくて」
「うん、どうしたの?」

まるで、子どもにするみたいに、ゆっくり問いかけられて、そして、抱きしめられて。
情けない、なんでこんなに、私は弱くなってしまったんだろう。
大人になる、と、そう言ったのは彼の方だった。
大人ぶって、離れたほうがいい、そう思っていたのは私だったじゃない。

「すき、なの」
「…うん」
「雅也くん、が、好きなの。自分でも、どうしていいか分からな…っ」

ぎゅ、と、回った腕の力が強くなる。
こんなに近くにいるのに、どうして寂しいと思ってしまうんだろう。
会えないときだけじゃない。
メールが返ってこないときだけでも、電話がつながらないときだけでもない。
こうして、目の前にいて、抱きしめてくれるときでさえ、不安で不安で、たまらないんだ。
雅也くんが、魅力的すぎて。そんな雅也くんが、好き、すぎて。






雅也くんの姿越しに、こたつの上の橙色がにじむ。
その前には、カラフルなはがき。
モノクロの文字だけ、浮かんで、見える。

あまり話したことがない、と雅也くんが言った、雅也くんと同い年の女の子。
きっと、雅也くんのことを好きだった女の子。
どんな子なんだろう。
きっと、私よりずっと、素敵な子だ。
考えたら体が震えて、だから私は雅也くんにぎゅっと抱きついた。

「ごめん、なさい…」

絞り出す、みたいな私の声に、雅也くんが視線を下げる。

「どうして?」
「私、お荷物、だね」
「そんなこと、ないよ」

否定してくれるその言葉さえ、まるで同情、みたい、に聞こえてしまうから。
邪魔になっちゃうね。
重たいね。
次々に皮肉みたいな言葉が浮かんだ。
だけど、かろうじて言葉にはしないように、ぐっ、と、涙と一緒に飲み干す。

「私のほう、が、もう、追いつけなくなっちゃった、ね」

こんな風に、拗ねて泣き散らしたいわけじゃない。
本当は笑って、ずっと隣にいたい、それだけ、なのに。
開いた私たちの差、は、どうやって埋めたら、いいんだろう。
何をすれば、埋まる、んだろう。
涙じゃ流れて、埋まらない。

「…明里、さん」

呼ばれて、顔を上げる。
キスが、降りてきた。
何度も何度も、まるで何かを確認するみたいな、触れるだけのキス、が。
好きで、好きで、やりきれなくて、涙がたくさん出た。
キスの合間、雅也くんは小さく、「泣かないで」、と言った。



そのキスが、止んだとき。
涙で霞んだ視線の先、雅也くんは困ったように笑っていた。
そして、一言。

「…やっと、追いついた、と、思ってたんだけど」

独り言のようなその言葉の意味がわからなくて、私はそのまま、雅也くんを見ていた。
すると雅也くんは、視線を泳がせるように、私を見て、下を見て、そしてまた、私を、見て。
そして私から腕を離して、元の位置に戻っていく。
視線はまた、斜め45度。
綺麗な、狂いのない、直角を作る。

しばらく沈黙が続くから、不安がまた少しずつ、体積を増し始めるから。
私は涙の予兆を感じて、きゅっと唇をかんだ。
すると、こたつのなか、震える何か、と、ぶつかった。

「…な、に?」

ひやり、と、私の手先を何かが掠める。
私の両手を握って、そして、探るみたいに指を、一本ずつ絡めていく。
まずは右手。親指、人差し指、中指、薬指、小指。
右手がぎゅっと繋がると、今度は左手。
親指、人差し指、中指…。

「え…っ」

薬指、に、ぴたっと絡む。
冷たい。雅也くんの手だって冷たいけど、でも、それよりも冷たい、“何か”。
驚いて、顔を上げる。
そこには、顔を赤くする、雅也くんが、いた。

「一緒に、生きて行きたいって、思う、ん、だけど…だめ、かな」
「…で、でも、わたし」
「うん」
「お荷物で、のろまで、全然、釣り合ってなくて」
「そんなこと、ないよ」
「私なんかに合わせてたら、雅也くん…だってすごく、頑張ってるの、に」

左手の薬指と小指だけ、離れたまま。
雅也くんはやっと私と視線を合わせて、そして、真っ赤な顔で、笑ってくれた。

「先に待っててくれたのは、明里さん、だよ」
「え、あ、あの…」
「ゆっくり、でも、いい。早く先に進みたいんじゃ、ない、から」
「……」
「一緒に歩きたいから、だから、頑張っただけ、だから」

最後の二本。
薬指と、小指が、絡まるのを合図に。
斜め45度、今度はぶつかった、視線。
今度は熱く、唇が触れる。



「…結婚して、下さい」



私で、いいの?
雅也くんは笑った。
明里さんが、いい。






火照った顔を下に向けて、こたつからそっと、手を出したとき、
私の左手の薬指には綺麗な銀の輪が、ぴったりとはめられていて。
数秒後、私はまた、きっと泣いてしまうんだろう、と思った。
そのときの雅也くんの困った顔が、はっきりと浮かんで、なんだか、おかしかった。

もう、こたつの上のカラフルも、モノクロも気にしない。気に、ならない。

幸せで泣いてるんだよって、泣きじゃくる私の説明は、あなたに伝わるかな?
こんな涙なら、もしかして広がる隙間も、埋められるような気が、した。






END






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