お酒のせいで少しぼんやりしていた私の頭に響く、樫宮くんの声。
「明里」
不機嫌な態度を取りながら、本当は少し嬉しかった。

樫宮くんの声の調子が、いつもと少し違うことが。
みんなの前で、下の名前で呼んでくれたことが。



ねぇ、樫宮くん?
繋ぎとめて、なんてずるいことを考えてしまったわたしを。

あなたは許してくれるのかな。



【12 繋ぎとめて(3)】



部屋から出たところに、樫宮くんは立っていた。
(どうやって話しかけよう…。)
まだ昨日の意地を引っ張ったまま、わたしは少し躊躇する。
(でも、ここまで来ちゃったんだから…。)
意を決して、樫宮くんの元に歩みを進める。
かしみやくん、と声をかけようとしたとき。
「最低だな…」
近づいて聞こえた第一声は、意外なものだった。

誰が最低なんだろう?
私?樫宮くん?それとも他の誰か?
樫宮くんの一言に、一瞬思いを巡らせる。
だけど、顔を上げてしっかり樫宮くんを見ると、彼の態度は明らかだった。
(落ち込んで…る?)
そう、彼は。
何かを悔やんでいるような、せつない表情をしていた。
彼の言葉はおそらく、彼自身に向けられたものなのだろう。

もう、許してしまおうか。
そんな思いが頭をかすめたけど、わたしはあわてて首を振る。
・・・だめ、ここで折れたら、またいつもと同じ。
わたしばっかり樫宮くんを好きな現状を、何も変えられない。
そう思ったわたしの口から、出た言葉に、
「そうね、最低ね」
自分でも驚いた。
(いくら怒ってても、もっと他にも言い方はあったわ・・・。)
後悔と同時に樫宮くんの表情を伺う。
「明里…」
ゆっくりと上げられた顔は。
さっきのまま・・・少し切なげだった。

「わたし、怒ってるのよ?」
なんだかもう、終わらせたくなってきて。
祈るような気持ちで樫宮くんに問いただす。
ねえ、お願い。
わたしの表情を伺って、機嫌をとってよ。
昨日は悪かったって、謝ってよ。
もっと、必死になって…
わたしを。
わたしを、繋ぎとめて?

ずるいな、かわいくないな、と思いながら。
募った不安のシグナルを、必死に送る。
お願い。
お願いだから、樫宮くんも…樫宮くんも、わたしが樫宮くんを好きなくらい。

私を好きになって。

じっと目を見たまま、わたしは動かなかった。
樫宮くんもまた、わたしを見たまま動かない。
すごく長い時間のような気がしたけど、それはほんの一瞬の沈黙だったのだと思う。
やがて、樫宮くんはその長い腕を伸ばして。
私の手首を強くつかむ。



「明里…ごめん」
樫宮くんの口から、意外なほど簡単に謝罪の言葉が出る。
彼も意地になっていると思いこんでいたわたしは、拍子抜けする。
「…お、怒ってるのよ」
「ごめん、昨日の態度は俺が悪かった」
いざ謝られてみると。
それはそれでどうしていいか分からない。
わたしはすっかり、意地を引っ込めるタイミングを逃してしまった。
こういうとき、すごく後悔する。
頑なに怒っていた自分の態度を。
どうせいつか仲直りしたいって思ってるなら、あんな態度、とらなければよかったのに。
(なんて思っても、後の祭りよね。)
頭の中は徐々に冷静になってくるけど、やっぱり意地が引っ込まない。
「…は、反省するくらいなら最初からあんな態度取らないでよ」
「ごめん」
樫宮くんの目は、やっぱりまっすぐにわたしに向けられている。
その視線に耐えきれなくなって、わたしは顔をそらして必死に言葉を紡ぐ。

「それなら…なんで昨日電話くれなかったの?」
「あのタイミングで電話したら、余計にこじれると思ったんだ。でも…かけるべきだったな、ごめん」
「追いかけてきてもくれなかったじゃない」
「それも悪かった。お前が余計に意地になる気がしてできなかった。…俺も意地になったのも確かだ」
「さ、さっきだってそうよ!」
「…さっき?」
「あ、あんな風に…みんなの前で呼び出さなくたって、は、恥ずかしいでしょ」
「あぁ…悪い、嫉妬した」
「し、嫉妬?」
「明里が他の男と話しているから」
「…えっ?」
「他の男に、触れられてるから」

樫宮くんの言葉に驚いて、目を見開く。
樫宮くんが…嫉妬?

「う、うそ…」
「嘘じゃない」
「だって、樫宮くんが嫉妬なんて…」
「知らなかったか?俺は元々嫉妬深い」
「うそ…」
「嘘じゃない。そうじゃなかったら、こんな風に呼び出さない。違うか?」
「………」

嬉しいのに。
どうしても素直に受け入れられなくて、わたしは更に言葉を探してしまう。

「ち、ちがうよ…だって」
「なんだ?」
「だって、樫宮くんはいつでも余裕で」
「……」
「電話も、メールだって、いつもわたしからで」
「……」
「わたしの方が、樫宮くんのことが好きで」
「……」
「いつも、わたしの気持ちばっかり大きくて…」

お酒のせいだ、なんて、言い訳は浮かぶけど。
本当はただ、甘えたいだけなんだって、分かっている。
わたしの目からは、一筋、二筋。
涙がこぼれる。

「そんなことないだろう」
「うそ…」
「本当だ。第一な、俺が残業を増やしたのは…」
「…?」
「残業を増やしたのは、少しでも早く」
「……??」

「少しでも早く、明里を俺のものにしたいからだ」

つかまれていた手首がぐんっと引かれて、気が付くと樫宮くんの胸の中。
言われたことは、咄嗟に理解できなかったけど、すぐに。
なんとなく分かって、驚きに顔を上げる。
目の前にいた樫宮くんは、困ったような、照れたような顔をしていた。

「言わせるなよ…」
「…え……」
「準備ができたら、はっきり伝えるから」
「………」
「今は勘弁してくれ。とにかく、俺が悪かった」

「俺だって、明里に負けないくらい、明里が好きだ」

その言葉に、わたしの意地は一気に崩れ落ちる。
繋ぎとめて、だなんて。
試していた自分が、ものすごく情けない。
樫宮くんが一生懸命将来を考えてくれているときに、拗ねていた自分が恥ずかしくて…
そして、申し訳なかった。

こんなわたしを、許してくれるかな?

伺うように、少し高い所にある樫宮くんの顔に目をやると。
驚くほど優しい視線で、わたしを見ていた。

「ごめんね…」
「は?何がだ」
「1人で怒って、わめいて…バカみたい。ごめんね」
「そんなことない。嬉しかった」
「えっ?」
「明里が俺の事で必死になってくれるのは、嬉しいんだ。それがどんなことでも」

わたしたちは顔を見合わせて、どちらからともなく少し笑った。



――ケンカ、終了――



涙が落ち着いたころ、樫宮くんに手を引かれてみんなの所へ戻る。
手を繋いだわたしたちは、みんなからひやかされたけど。

恥ずかしいって言うよりは。
少しいつもと違う照れたような顔をして、それに答える樫宮くんが、嬉しかった。



繋ぎとめて、なんて、もう思わないから。

(この先もずっと一緒にいて下さい。)

そっと、心の中で願った。



END





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