明里さんの姿が、おれだけにしか見えなければいいのに。
明里さんの声が、おれだけにしか聞こえなければいいのに。
明里さんが、おれだけの明里さんになればいいのに。
【close】
「明里ちゃん、かわいいよな〜」
「あ、先輩もそう思うっスか?いいっスよねぇ」
ゴージャスの休憩室、おれは明里さんの噂話を耳にした。
噂をしていたのは、結構前からいるらしい先輩ホスト。
明里さんがおれを永久指名するまで、結構しつこく営業かけてた人だ。
今でもたまに、ヘルプで明里さんと話をしている。
前から、あんまり好きじゃないと思っていた人。
…明里さんが、人気なのはよく分かるんだ。
かわいいし、親切だし…。
それに、ここに来る他のお客さんとは違う雰囲気だから。
控え目、っていうのか…とにかく、誰とも違う。
みんなが惹かれるの、分かる。
でも…嫌なんだ。
分かるのと、許せるのは、別。
おれは無意識に、明里さんの話をしていた先輩ホストを睨んでいたらしい。
いつの間にか隣にいた万里さんに、眉間を小突かれて気がつく。
「チヒロ、なんて顔してんだよ。ホレ、笑顔、笑顔」
意外に痛かった眉間を抑えて、万里さんを見る。
「…すみません」
謝ってみたものの、苛立ちは収まらない。
まだ明里さんの話をしているその声に、どうしても耳をそばだててしまう。
「ま、確かに明里ちゃんはお前の担当だけどね。カワイイ明里ちゃんを独占したんだ、このくらい多めに見てやりなさい」
万里さんの言うとおりだ。頭では分かっている。
これ以上、聞かない方がいいと思って、部屋を出ようとした時。
意外な言葉が飛んできて、おれは足を止めた。
「あ、万里さん、おはようございます!そういえば、万里さん、明里ちゃんと海に行ったって言ってたっスよね?」
「えっ、マジですか!水着姿どうでしたか?!」
何をしたのか、覚えていない。
頭の中が、すっと冷えたと思ったら急に熱くなって。
気がついた時には、唇から血を流した万里さんが、痛みに顔を歪めていた。
「ちょっと、雅…チヒロ!万里さんのこと殴ったって本当なの?!」
偶然店に来てくれた明里さんが、慌てておれに尋ねる。
「…よく分からないけど…多分、本当」
「多分って、なによ……何でそんなことしたの?」
明里さんは、怒ったような、慌てたような、呆れたような顔をしていて。
おれはなんて言ったらいいか、言葉を選んでいた。
明里さんは、たたみかけるように質問を続ける。
「それに、お店出てて大丈夫なの?」
「それは、平気。ちゃんと謝ったし…万里さん、許してくれたから」
話していると、口の端に絆創膏を貼った万里さんがおれたちの席の横を通る。
「明里ちゃん、こんばんわ〜」
「あっ、万里さん、こんばんは。だ、大丈夫ですか?チヒロに殴られたって水無月さんが…」
「あぁ、だ〜いじょぶだよ〜。オレ、殴られ慣れてるからね。…っていうか、まぁ、チヒロの気持ちも分かるし…」
万里さんの言葉に、明里さんは不思議そうな顔をしている。
さっき、殴ってしまったおれを、万里さんは落ち着けってなだめてくれたんだ。
万里さんの言うことが、正しいのは分かってる。万里さんが、いい人だってことも。
けど…。
「こら、チヒロ。まぁたオレのことそんな目で睨んで。お前はもうちょい、余裕をモチナサイ」
万里さんはまた、おれの眉間を小突いてなだめてくれたけど。
やっぱり理解することと気持ちを落ち着かせることは別のことで、おれは明里さんの腕をつかむと、気持ちに任せて店を出てしまった。
…遠くに、万里さんや水無月さんの声が聞こえた気がする。
「ちょっと、ヒチ…雅也くん!待ってよ!」
「嫌だ、待てない」
「お願い、どこにもいかないから、ね?腕、離して。痛いのよ」
明里さんの言葉にはっとして、慌てて細い腕をつかんでいた手を離す。
肌はうっすら赤くなっていて、痛々しかった。
「ごめん、明里さん…」
謝って、周りを見る。
もうおれの部屋の近くまで来ていたらしい。すぐそこに、マンションが見える。
「とりあえず、部屋…腕、冷やした方がいいから…」
今度は優しく手を取って、おれは部屋に向かう。
「ねぇ、雅也くん。どうしたの?今日、変よ」
救急箱を出して明里さんの腕に湿布を貼っていると、明里さんは心配そうにそう言っておれの髪の毛を触った。
「…分からない、でも…」
「でも?」
「でも、明里さんが万里さんと海に行ったって聞いて…落ち着いていられなくなった」
その言葉に、明里さんは目を丸くして、呆れたようにため息を吐く。
「そんなこと…だって、何ヶ月も前の話よ?まだ、永久指名する前だもの。今は雅也くんだけ…んっ」
衝動を、抑えられなくて。
おれは、明里さんの口を、塞ぐ。
「…ねえ、水着、着て?おれにも見せて、明里さんの水着姿…」
「む、無理よ!だって今、冬じゃない」
「いいから…着て。見たい…ダメ?」
「…そんな…も、持ってないし、水着…」
「…じゃあ、脱いで。…明里さんの全部、おれだけに見せて……」
恥ずかしがる彼女の目を、じっとのぞき込む。
明里さんの姿が、おれだけにしか見えなければいいのに。
明里さんの声が、おれだけにしか聞こえなければいいのに。
明里さんが、おれだけの明里さんになればいいのに。
大切にしたいと思うのに、反面めちゃくちゃにしたいと思う。
おれの前から逃げられないように、めちゃくちゃに縛ってしまいたい。
「嫌なんだ。明里さんが、他の誰かと話をするの。他の誰かと、何かをするの。…他の誰かに、明里さんを見せるの、嫌なんだ」
「そんなこと言われても困る…無理よ」
「分かってる。…でも、嫌、なんだ…」
どうすれば、明里さんの気持ちを独占できるだろう?
どうすれば、明里さんのすべてを独占できるだろう?
分からなくて、おれは。
明里さんの身体と、おれの身体の隙間を―
―できる限り、埋めた。
END
>おしいれ
>Back to HOME