「ただいま」

家に帰って目に入ったもの。
それはダイニングのテーブルにもたれかかって眠る妻、明里の姿だった。






【目を開くと、そこに】






ネクタイを緩めて、鞄を置いた。
ダイニングテーブルには、まだ手付かずの料理と、その前で眠る明里。

(だいぶ音を立てて入ってきたが…疲れているのか)

1人で夕飯を食べるのもはばかられ、眠る明里の隣に座り、その寝顔に目を向ける。
顔にかかる髪の毛がくすぐったそうに見えたから、耳の後ろに避けてやる。
それでもピクリとも動かないところを見ると、眠りは相当深いのだろう。

ふと、学生時代、同じ教室で授業を受けていたときのことを思い出す。
放課後、夕日の中で机に突っ伏すようにして眠っていた同じクラスの女子。
友達でも待っていたんだろうか、鞄を枕にすやすやと眠るその子は、無防備で幸せそのもの、のような顔をしていた。





あの頃から、好きだった。





真面目ではあったが、決して優等生とは言えなかった明里。
何をしていても目立たなくて、でも、笑った顔がとても印象的だった。
眉尻を下げて、目を眩しそうに細めて。
いつだったろう、笑うときにいつも、やんわりと上げた口角を隠すみたいに手を持ち上げることに気がついた。
それがすごく愛おしくて、いつの間にか、目で追うようになった。

俺たちは、言葉はほとんど交わさなかった。
でも、視線がよく合うような気がしていたのは、俺の願望の現われなんだろうけれど。
それだけ、俺が明里のことを見ていたことは確かで、
それを証拠に、あのころ明里がつけていた時計や、鞄につけていた小さなアヒルのキーホルダーを、俺は今でもはっきりと思い出せる。



こぼれた思い出に、小さく微笑む。

(まさか、結婚するとは思わなかった)

きっと、明里は知らないだろう。
もうずっと前から、明里を好きだったということ。
放課後、眠った明里を見つけたとき、やっぱり顔にかかる髪の毛が邪魔そうで、思わず今俺がしているように避けてしまったこと。
でも、そんなのはきっと口実で、俺はただ明里に触れたかっただけだ、ということ。

叶うなんて微塵も思っていなかった。
ただ、そのときのくすぐったい感触と、ささやかな温もりは、忘れられない思い出、になるんだろうと思っていた。

でも、それから、街中で明里が俺を見つけて。
ゴージャスに入って。
俺を指名して。



いくつもの偶然は、思い出に続きをくれた。



髪に触れたオレの手に、くすぐったそうに身をよじった明里がゆっくりと目を開く。
そして、明里の目は、俺を映す。

「…悪い、起こしたか?」
「あ…おかえりなさい。ごめん、寝ちゃった」
「いや」

俺は、何度でも感じてしまう。
彼女の笑った顔に、穏やかな寝顔に。

過ぎてしまった小さな小さな無数の思い出と、今、ここにある、幸せの奇跡。

あの頃にはまだなかった、薬指の銀の輪を握って。
おはよう、とキスをした。



明里が目を開いたとき、そこに見えるのが。



いつまでも、俺でありますように。






END






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※初期の拍手のリメイクです。
 大筋の流れと雰囲気は変えていないつもりですが、文章は割とがらっと変わっています。
 それにしても、私は相当、カズマの初恋は明里であってほしいと思っているみたいです…そんな話ばかりですみません…。