伝えたい気持ちは、どんどんふくらむのに。

どんな言葉にしたら、彼に伝わるのだろう?






【色とりどりの世界・3】






「明里ちゃん!あーかーりーちゃん、ごめん、ほんっとにごめん」

鍵のかかった浴室の扉の外から、必死な祥行さんの声がする。

「…祥行さん、私の気持ち全然分かってない」

鍵のかかる浴室に勢いで閉じこもって、私は必死に意地を張る。



本当は、拗ねたってしょうがないって分かってる。
祥行さんはここのところずっと忙しくて、私のことかまってる暇なんてないって…。
そして、祥行さんだって、したくてそうしているんじゃないって、分かってるのに。

でも、この日だけは。
遅く帰ってきても、食事をして帰ってきても、大事な日なんだって覚えてて欲しかった。

だって、今日は私たちが二度目に出会った日で。
…それだけじゃない。
祥行さんの頑張りが、叶った日なのに。

「本当に、ごめん…あのさ…」

聞こえてくるのは、困り切った彼の声。
”もういいよ”
言わなくちゃいけないセリフは頭の中をぐるぐるまわる。
でも、言葉にはならない。

「……」

私の沈黙に、浴室の薄い扉の外が緊張するのが分かる。
…何してるんだろう、私。
小さくため息を吐いたとき、祥行さんの声が聞こえた。

「あのさ、手紙。読んだよ」
「…!」
「明里ちゃん、開けるよ」
「えっ、ちょっ…」

私は、急いで湯船から上がりドアを押さえようとした。
けれど、それよりも早く、がちゃっという鍵の開く音がして。
目の前には、鍵と封筒を持った祥行さん。

「…ごめん」

目が合うなり、彼はものすごく切ないような…でも優しい表情で、私にそう言う。

「べっ、別に…もう、どうでもいいもん…」

気まずくてうつむくと、お湯に濡れた自分の身体が目に入る。
そうだ、私、ハダカ…!?
今度は慌てて湯船に引き返し、思いっきりどぶんと肩までつかった。

しばらく、浴室のドアは開いたまま、祥行さんは立ちつくしていて。
私はそんな祥行さんに背を向けたまま、湯船につかっていた。

先に沈黙を破ったのは、彼。

「…一緒に入っていい?」

私は何も答えなかったけど、背後からは布のこすれる音が聞こえてきて。
そして間もなく、祥行さんは私に向かい合うように、湯船につかった。

「…明里ちゃん、ごめんね」

祥行さんの小さめの声が、浴室に響く。



私たちが暮らす部屋のお風呂は、決して狭くはないけれど。
2人で入るのはやっぱり少し無理があって、どうしても膝がぶつかってしまう。
私は膝を抱えて、思ったよりも近くにある祥行さんの顔からも、少し視線をずらした。

「言い訳にしかならないんだけどさ…最近忙しくて、うっかりしてた。明里ちゃんはこんなに大事に思っててくれたのに、本当にごめん」
「……」
「あの日は、オレにとっても大事な日だよ……もう一回、明里ちゃんに会えた日だから」

同じ事を思っていてくれた…それだけで胸はいっぱいになって。
湯船の中で動いた祥行さんの手が、私の腕に当たる。
瞬間、祥行さんはその手を伸ばし、私の顔に触れて。
私は、濡れている大きな手の感覚に、すごくドキドキする。

「…私こそ…意地になっちゃってごめんなさい」

祥行さんの優しい手つきに、さっきからつかえていた言葉もすんなり出てくる。
おそるおそる顔を上げると、祥行さんは今まで見たことないような、とても優しい顔をしていて。
照れくさいのと恥ずかしいのとで、私はくるりと向きを変え、彼の胸に寄りかかった。

「もう2年かぁ…」

そう呟いた祥行さんの胸から、私の背中に振動が伝わる。
そして、彼の腕がゆっくりと私の前に回され、私は彼の腕の中にすっぽりと収まってしまった。

「早いような気もするけど、思い出すとやっぱ長かったよなぁ」

祥行さんのよく鍛えられた腕を見ながら、私もこの2年間を思い出す。
目の見えない祥行さんのお世話をしながらなんとなく住み着いてしまったこの家を、出て行かなくちゃいけないのかと思ったあの日。
祥行さんは当たり前のように引き止めてくれて、私たちはちゃんと一緒に暮らすようになった。
あの頃、私たちは一緒にいられる時間をとても大切に思っていて。
疲れてても、嫌なことがあっても、ケンカをしていても。
ちゃんと意識して向かい合っていたような気がする。

最近は、馴れ合いが多くなっちゃったけど。
その原因は、祥行さんのお仕事だけじゃない。
私だって、心の中で不満を思うばっかりで、彼の気持ちを理解しようとする努力をしていなかった。



ごめんね、とか、ありがとう、とか。
伝えたい言葉はいっぱいあるのに、やっぱりうまく言葉にはできなくて。
私はそっと、彼の腕に頬を寄せる。

それに気づいた彼は、私の首筋に、そっとキスをして。

「こんなオレだけど、これからも、側にいて?オレの世界に色があるのは、明里ちゃんがいるからだよ」

耳元で、そう囁いた。



「あ〜…夕飯、せっかく作ってくれたのに、冷ましちゃってごめんね?」

お風呂から上がり、髪の毛をごしごしと拭く祥行さんが言う。

「いいの!また作ればいいし」

私はそう答えて、お料理を片づけようとする。
すると、祥行さんは慌てて私の隣まで来て、私を止める。

「あっ、明里ちゃん、待って!食べるから」
「えっ、い、今からですか?!」
「当たり前じゃん、明里ちゃんの料理は別腹」

祥行さんは椅子に座り、いただきます、と箸を持つ。
無理しなくていいのに、と思いながら、私はどんどん頬が緩むのを感じて。
祥行さんの向かいの席に座って、箸を持った。

「こんな時間に食べたら、太っちゃうかな…」
「少しくらい太っても好きだよ?」

苦笑いをする私を見て、祥行さんは笑う。



目が見えること、一緒にいられること―。
これからも、私たちはどんどん当たり前のことが増えていくのかもしれないけど。



それでも。



色とりどりの世界で、彼が笑っていますように。





END





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