オレの手が。

もっと、暖かければよかったのに。
もっと、大きければ。
もっと、力強ければ。
もっと、もっと、もっと。

オレの手が。

君を幸せにできる手ならば、良かったのに。





【幸せを掴む手】





そういう気分になるのは、きまって朝だ。
隣では明里ちゃんがかすかな寝息を立てていて、胸の辺りにはかすかな温もり。

幸せな。
本当に幸せな朝だからなのかな。

喉の辺りがぎゅっとしまって、 頭の中が妙に静まり返る。
むき出しになった足先は途端に冷えて、 オレは、君の寝息と温もりに、とても切ない、切ない気分になるんだ。



今も、正にそんな時間だった。
カーテン貫く潔い日差しと、朝が持つ、独特の清潔感と幸福感。
そして、明里ちゃんの寝息、温もり。
彼女を起こさないように、オレはそっと、息さえ潜めながら。
不安で不安でたまらない心を、どうしようかと持て余している。

しかも、今日はいつも以上の不安が押し寄せる。
明里ちゃんの胸の辺りにある、彼女の小さな白い手。
その、薬指に。
シンプルな、銀色の輪がはめられている。

オレたちは昨日、籍を入れたんだ。

そのことは、オレをたまらなく幸せな気分にして。
そして同時に、とてつもなく不安に、そして切ない気分にする。





彼女の寝顔と薬指を見ながら考える。

本当に、オレでいいんだろうか?
ずっと、幸せにするどころか、苦労ばかりかけてきたオレで……?

明里ちゃんは、オレといて幸せになれるのか。
オレは彼女を、どこまで大切にできるんだろうか。
なぜ、オレと?
どうしてオレなんかと……?



オレは、自分の手を見た。
彼女と同じ銀を、薬指にはめた手。

その手は、少し汗ばんでいて。
誰に似たのか、掌がちょっと広めで。
なんだかとても、不恰好に見えた。

なんだかな……。
例えば、オレの手が。

もっと、暖かければよかったのに。
もっと、大きければ。
もっと、力強ければ。
もっと、もっと、もっと。

オレの手が。
君を幸せにできる手ならば、良かったのに。





ため息を1つつくと、彼女が身をよじった。
そして、ゆっくり、ゆっくりと開かれる目。
オレはいつも、彼女の目覚めに、ただひたすら見とれてしまう。
おはよう、と言うことも忘れて。

「ん……祥行さん?」
「……うん?」
「おはよう、起きてたのね」
「うん、おはよう」
「おはよう、祥行さん」

彼女は猫みたいに、幸せなあくびをして。
そしてオレに寄り添うように、姿勢をずらした。



明里ちゃんとオレは、起きることもせずに横になっていた。
そして彼女は、ゆっくりと手を上にかざす。

「……結婚指輪」
「うん、結婚指輪」
「きれい」
「……そうだね」

切ないほど。
……と口をつきそうになって、慌ててオレは言葉を飲み込む。

「祥行さんの手も見せて?」
「うん? ……いや…」
「なんで?」
「オレの手、不恰好だから」
「そんなことないわ」
「いや、不恰好なんだ」

オレが言うと、彼女は眉を寄せた。
もう一度、そんなことないわ、と言いたげに。
でも、オレだって、隠してもしょうがないことくらい分かっている。
どうしたって、これがオレの手だから。



まるで赤点のテストを出すみたいに。
オレはこっそり手を差し出した。

「……すき」
「ん?」

明里ちゃんは、オレの不恰好な手を両手で持って。
そして、ほっぺたに当ててみたり、少し離して眺めたりしている。

「祥行さんの手、大好き」
「不恰好だよ?」
「どこが?」

汗ばんでるし。
拳はつぶれかけてるし。
豆もいっぱいだし。
がさがさだし、硬いし。

「……何より、てのひら」
「てのひら?」
「……クソオヤジに似たんだよね。てのひらが広い」

バランス悪いでしょ?
そう言うと、明里ちゃんは首をかしげた。

「そうかな?」
「ほら、広い」

ぱっと指を広げて、オレたちの上にかざしてみせて。
オレはすぐに、手を引っ込めた。
こんなきれいな結婚指輪は、どう見たって似合わない。





黙ったオレの手を、明里ちゃんはそっと包んだ。
そして、まるで独り言のように。
ぽつり、ぽつりと話し始める。

「ねえ、祥行さん?」
「ん?」



「知ってる? てのひらの広い手ってね、幸せを掴む手なんだよ」



彼女の言葉に、オレは顔を横に向ける。
そこには、真っ直ぐに――天井を突き抜けて、空を見上げるように――前を見る、明里ちゃんの綺麗な横顔。
その口の端は、やんわりと上がっている。

「幸せがこぼれないように。上手にすくえる手なの」
「………」
「だから祥行さんの手は、幸せを掴む手だよ」



空気は、朝の幸福感に満ちている。
だから、苦手なんだ。
その幸せが、いつか逃げてしまったら。
オレは、どうなってしまうんだろう。
不安で、不安でたまらなかったんだ。



「じゃあ、この手で……たくさんの幸せをすくえるかな」
「うん」
「こぼさないかな?」
「うん」

でも、こぼしても、またすくえばいいじゃない。
明里ちゃんは笑う。

「君を、幸せにできるかな……?」
「今更、ですよ」
「え?」





「もう十分、幸せです」





彼女のように、オレも真っ直ぐ前を見た。
天井を突き抜けて、まるで空を見上げるように。

繋いだ手には、確かな幸せが息づいていて。

オレは初めて幸福感を、愛しいと思えた。
そして、初めてオレの手も。
悪くないな、と思った。





「明里ちゃん、ありがとう」





END





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