色素の薄い肩までの髪。
薄い桃色の頬。
細い小さな指。頼りない、せまい肩幅。

似たような人を見るたびに、思い出してしまう。会いたくなってしまう。
やっぱり好きだ、と、思ってしまう。

黒須雅也、21歳。
医大の学生になってから、もう3年が過ぎようとしている。
彼には、忘れられない人がいた。
好きで、好きで、大好きで、だからこそ失ってしまった、忘れられない人が。






【面影を追う】






講義の合間、雅也は図書館を目指して大学の構内を歩いていた。
足元には、赤く色づいて枝から落ちた葉が散らばっている。
道の隅のほうには、用務員か誰かが片付けたのだろう、
まるで焼き芋を焼くときのように、こんもりとまとめられた落ち葉もあった。

がさり、がさり。
落ち葉の山の崩れる音が耳に届いて、雅也ははっとする。
あ、また、だ。また、前を向いて歩いていなかった。
数十分前に三限目が始まったから、構内を歩く人はまばらだったけれど、雅也はそのまばらな人波に目を泳がせていたのだ。
いるわけないと分かっているのに。
彼女が、ここにいることなんてありえない、そんなこと、分かっているのに。

(無意識だ、もう、ずっと)

彼女の面影を追う、その行動はもう、癖として体に、心に染み付いていて。
切なさに息苦しさを感じながら、雅也は図書館の入り口をくぐった。






館内に入ると、雅也は窓際の日当たりのいい席にクリアケースを置いた。
その刹那、また思わず窓の外に視線を向けてしまって、ため息をつく。
どこにいたって、何をしたって何を見たって、思い出すのは彼女のことばかり。
軽く頭を振ってみたけれど、その残像を振り切るには勢いは足りなくて。

(忘れたいわけじゃない、そうじゃないけど)

言い訳のように頭の中でそう唱えて、雅也は椅子を引く。
彼女にもう一度会うためには、もう一度思いを伝えるためには、このままではいけない。
あのときの自分では、彼女の隣に立つことができなかったのだから成長しなくては…雅也はそう思っていた、でも。
現状を理解することはたやすくても、それを受け入れることは、案外、難しくて。
とにかく何かをしなくてはという焦りに、無理やりに机に向き直った、そのときだった。

「黒須先輩、あの、ちょっといいですか?」

ふと、頭の上から声がした。
雅也はノートを取り出して、ペンのノックを押したその姿勢のまま、顔だけを上に向ける。
そこにいたのは、同じ学部の後輩だった。
雅也は心の中で、ため息をついた。この彼女が苦手なのだ。
それでも、断る理由なんてなかったし、雅也はその場しのぎの嘘で切り抜けるような、そんな器用な人間じゃなかった。
だから、頷いた。



「…うん、かまわない、よ」



結局、広げたノートとペン、参考書だけを図書館に残して、雅也はまた、来た道を引き返す。
今度は女の子と二人で。

「…あの、先輩」

意を決したように押し出された彼女の声に、雅也は「ん?」と短く返事をする。
彼女はもう一度「あの」と呟いた。
下を向いて歩いてきたから、落ち葉の山には、当たらなかったのに。
今度は彼女のか細い声が秋風に押し流されて、雅也の心をざわつかせる。
雅也は、思った。

(やっぱり苦手、だ…だって、)

だって、なんとなく重なるのだ、と。
色素の薄い白い肌も、肩先で揺れる柔らかそうな髪の毛も。
桃色の頬、細い首筋、小さな指、頼りない小さな肩幅。
消えるようにささやく、声、だとか。
重なるのだ、彼女と。
目の前の彼女が、忘れられない大好きな明里と重なって、思わず錯覚しそうになってしまうのだ。

「先輩」

ざわつきがうるさくて、耳を塞ぎたかった。
辛い。
彼女を思い出すのは、あまりにも辛い。
彼女じゃないのに、彼女に見えてしまうのは、とても。

「私、ずっと、黒須先輩のことが、好きでした」

とても、辛い。
雅也は思った。






秋風が、まるで地面からふきあがるように通り抜けていく。
紅葉した赤が舞う。
隅にまとめられていた落ち葉が、舞い上がっていくのが雅也の視界の隅に入った。

それを、遮るみたいに。
雅也はゆっくり目を閉じた。
浮かぶのは、明里のこと。
今でも忘れられない、大好きな彼女のこと。

違うと言い聞かせた。
似ていても、違う。
本当に大事なものを、本当に手に入れたいものを、間違えてはいけない。
強い風に、乱されては、揺れてはいけない。
好きなのだ、明里が。
もし、この先叶わないのだとしても、好きなのはずっと、明里なのだ。

「…ごめん。好きな人が、いる、んだ」

雅也の一言に、目の前の彼女はうつむいた。
髪の毛が、さらさらと落ちて、表情を隠す。
雅也は、手を伸ばしたい、そんな衝動をぐっと堪え目をそらした。
これだけは、間違えてはいけない。
代わりなんて、どこにもいないのだから。
好きなのは明里で、明里はたった一人しかいない、のだから。

ありがとう、じゃあ、と、雅也は短く会釈をして、踵を返す。
前を向いて歩いた。
まだまだ、思い描く自分にはなれない。
大好きな明里と、対等に向き合う自信は、まだ、ないけれど。

「黒須、先輩!」

振り返る。
彼女は、笑っていた。
ありがとうございました、と、少しだけ切なそうに、そう笑った。
笑顔の儚さが明里に少し重なったけれど。
雅也は口角を少し上げることでその笑顔に答え、すぐに視線を図書館の方へ視線を戻した。
自分が信じる前へ、と、戻した。



舞い上がった落ち葉が、はらはらと落ちて、地面を鮮やかに染めている。
簡単には乱されない。乱れない。
雅也は、葛藤に抗うように、自分の描く未来をたどるように、ゆっくり、ゆっくり前を向いて歩いていく。



――その先に明里がいることを信じて。






END






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