【先天的感情】






「ダビ、また背伸びた?」

帰り道を一緒に歩くが、オレを見上げた。
夕日の時間はもう終わりみたいで、の顔はほのかに白く見える。
さっきまでオレたちの後ろに伸びていた影も、気がつけば薄くなっている。
そろそろ、夜がやってくるらしい。

「最近測ってないから、分からない。でも、伸びたと思う」
「そっか。うん、でも絶対伸びたよね。ほら、」

が、その半袖のセーラーから伸びる腕を、オレの頭に向けてうんっと伸ばした。
何をしてるんだろうと眺めていると、その手が何度もオレの頭を掠める。
ごわごわに固めた髪の毛から振動が伝わって、少しくすぐったい。

「ほら、もう届かなくなった。ダビのつむじ」

は笑う。
昔は見下ろしてる時期もあったのにな、と言うから、オレは下に見えるつむじをぐりっと押した。
やめて、と言ったは、冗談めかして少し目線をきつくした。



例えば、教室に並ぶ椅子に座ると、頭1個飛びぬけるオレのこと。
昔は小さかったんだと言っても、だれも信じないかもしれない。
でも、どちらかといえば、オレは今でもこの高くなった身長に慣れなくて、部屋の入り口や台所の上の棚の扉には、よく頭をぶつける。
は、そんなオレの変化を共有できる、数少ない存在。
オレたちの関係に名前をつけるなら、幼馴染。
ずっと、一緒にいるのが当たり前で、もしかしたら自分のことよりも、相手のことをよく分かっているかもしれない。

「いつか追い抜くって言っただろ」
「うん、そうだね」
「ちゃんと、追い抜いた」
「うん。ダビの言ったとおりだったね」

オレと同い年なのに、サエさんや樹っちゃん、バネさんよりも、成長期を迎えるのが早かったは、
ランドセルが似合わなくなった背中を丸めてよくいじけていた。
「大きい女の子なんて、かわいくない」と、そんなことを涙声でつぶやきながら。(なら、そんなことないのに。)
でも、オレが小さかったことと同じで、が大きかったことなんてもう誰も信じない。
の茶色がかった髪の毛は、オレの目線、はるか下。音もなく、風に揺れている。






夕日はもう見えなくなって、空気はグレーと深い蒼の色になる。
近くの家からは光が漏れ始めて、夕飯の匂いがした。

夕方と夜の間の時間は、いつも少しだけさびしい。
幼い頃、太陽の昇る時間だけじゃ遊び足りなくて、いつも暗くなるのは見ないふりをしていた。
空っぽの腹はぐうぐうとオレを急かしたけど、それでも帰りたくなくて、地球が逆回転すればいいとよく考えていた。
今だって、それは変わらない。
部活の後はいつだってくたくたで、腹ぺこなのに、ずっとずっと、家に着かなければいいと思う。
ただ、理由は昔と違って。
夕日が沈んでも、星が光っても、月がのぼってきても、それでもずっと。
昔は大きかった、でも今はすごく小さいの隣を、歩いていられたらいいのに、と思っている。
やっぱり、今、地球が逆回転すればすごくいいのに。

「ダビが小さかったなんて、きっとみんな信じないね」
「そうだな」
「私が大きかったって言っても、信じないね。笑われちゃうね」
「ああ」

少しずつ、でも確かに変わっていく。
オレたちの後ろに伸びる影の長さの差も、帰りたくない理由も、に向ける目線も。
いつの間にか、幼馴染のはオレにとって、たった一人の大切な女の子になっていて。
その視線に、仕草に、言葉に声に、いちいちオレの心臓はうるさく響く。

「ダビのつむじ、もう、押せないね」

もう一度、オレの頭に伸びて来た小さな手に、オレは全身が心臓になったかと思った。
その腕は、まるで高いところにある何かを、探って掴むみたいに、高く、高く。
オレの目の前を通り越して、上をめがけて伸びていく。

の腕は、暗がりの中で、驚くほど白くかがやいて。
その細さや、他にも、背伸びするつま先、オレを見上げる目線。
愛おしくて、かわいくて、かわいくて。
オレは思わず、を掴んで引き寄せた。
そして、目一杯かがんで、のつむじに唇をあてた。

「だっ、ダビ?!」
「…昔、言った。オレの背が、より高くなったら、に言いたいことがあるって」

は、大きく目を見開いてオレを見ている。
きっとの手のひらにはじんわりと汗が浮かんでいるんだろうな、と頭の隅で思った。
オレだってそうだけど、自分の動揺よりも、の動揺に先に気づいてしまうのは、やっぱり。
オレたちが幼馴染で、オレにとってが大切な女の子だから。
「今、言わせて」と背中を丸めてに視線を合わせれば、オレの心臓はおおきく1回、どくりと響く。



が、好き」



夜の始まりの、群青色の景色の中で。
オレたちは向かい合う。
はこわばったような、緊張したような表情で、オレを見ている。

「…ダビ、急にどうしたの?」
「急じゃない。もうずっと、が好きだ。…は?」
「え?」
「オレのこと、好き?」

好きだけど、でも分からないよ、と。
は真っ赤な頬で、オレに言った。

「ダビのこと、好き。でも、バネさんも、サエさんも、樹っちゃんも剣ちゃんも、みんな好き」
「それでも、いい」

この気持ちはきっと、言葉を覚えるよりも早く。
当たり前にオレに根付いて、もう一生、離す事のないもの。
例えば、に好きな男ができても。
のことを好きになる男が現れても、がその男と並んで歩くようになったとしても。
ずっとオレの中で、確かに存在し続ける、大きな、強い気持ち。

「何があっても、オレは、が好き。…どんなときも、それだけ。忘れないで欲しいっス」

行こう、と、ためらうの手を、そっと引いた。
やっぱりの手には汗がにじんでいて、だけどオレの手にも少し汗がにじんでいた。





例えば、オレが大人になったとき。
今日のこのことを、オレの身長が小さくてが大きかったことをみんなが忘れているみたいに、記憶からこぼれるのだとしても。
そんな未来のことは到底想像もつかなくて、の小さな手の震えが止まればいいとか、笑ってくれたらいいとか。
今は、この一瞬にかけるみたいに、ひたすら願うことしかできない。

でも、もしそのことに、考えが及んだとしても。
オレはやっぱり、この気持ちだけは。
消えてなくなることはないと、自信を持って言いいのけると思うけれど。

夕日と夜のあいだにある、さよならの時間から逃れるように。
地球の回転にさえ、さからうみたいに。
オレはの隣を、ゆっくり、ゆっくり歩く。





願いにも似た、確かな想いを感じながら。





END





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