【反射】



きらきらと降る明るい日差しに目を細めながら、静かな住宅街を歩く。
私の足音と、隣を歩く大好きな彼の足音が、重なったりずれたりしながらのんびりとリズムを刻むのが心地いい。

「坂、結構キツイけど大丈夫か?」
「大丈夫だよ」

初めて歩く、彼の部屋までの道のり。
彼の自宅の最寄り駅、待ち合わせの改札に現れた魁斗さんはいつもより少しラフな格好で、初めて見るその姿に少し、ドキドキして。

「今日、いいお天気だね」
「だな。どっか出かけた方が良かったかな」

そう言いながら手櫛で髪に触れる彼を見上げると、その大きな掌がわずかに太陽を遮った。
指の間からは眩しい日差しが漏れていて、晴れの日が似合う人だなぁと頭の隅で考える。

「私はこういう日にお家でのんびりするのも好きだな」
「俺もそれはそれで結構好き。……着いた。ここ」

ピタリと歩みを止めて、少し上を向いた彼につられて顔を上げる。
視界に入ったのは、7階建てのマンションの明るいアイボリーの外壁。

「お邪魔します」

空の青とのコントラストの眩しさに目を細めながら呟くと、彼は私を振返り、前髪を揺らしながら「まだ早いって」と笑う。
人懐こくて明るいその表情は私が大好きな彼の顔の一つで、思わずどきりとしたのを悟られたくなくて、私は照れ隠しに情けなくへらっと笑ってみせた。



先週末のデートの帰り道でのことだ。
一緒に夕飯を食べて、いつもどおり「送るから」と言ってくれた彼と一緒に歩いていた時のこと。

いつもなら、仕事のことや実家のプロキオンのこと、この前食べたご飯の話、今日のデートの話と賑やかに話しながら歩くのに、その日の彼は珍しく無口で。
何か考え事でもしてるのだろうか、それとも少し疲れているのだろうかと心配になって「魁斗さん、」と口を開いたのだけれど、同時に彼も「あのさ、」と口を開くから相打ちになってしまって。

「あ、ゴメン。何?」
「ううん、魁斗さんからどうぞ」
「あー………あのさ、嫌だったら断ってくれていいんだけど」

付き合って1ヵ月とちょっと。
手が触れる距離で並んで歩くことも、向かい合ってご飯を食べることも、携帯越しに聴こえる声も少しずつ慣れてきて、だから、こんな風に言い淀む彼は少し、懐かしくて。

「……あのさ、来週。俺んち来ない?」

少しだけ、目を細めて。
緊張した面持ちで私を見下ろす視線に思わず固まったのだけれど、悩む理由もない私は二つ返事で頷いた。

「うん。行きたい」



彼の後ろについてエレベーターを降りて、部屋の前まで歩みを進める。

「ごめん、ちょっと待ってて」

濃紺の扉の前で足を止めた彼は、そう言って後ろに回していたボディバッグを手繰って中からカギを取り出す。
ここが彼の部屋なんだと思うとなんとなく人目をはばかるような心持になって、視線だけで頷いていると彼はガチャリと鍵を開けた。

「ん」
「お邪魔します」

人一人分、扉を開いてくれた彼の前をくぐって部屋の中へ入る。
瞬間、抱きしめられた時に感じる彼の香りと同じ香りが鼻先をかすめて鼓動がわずかに早くなった。

「どした? 早く入れって」

立ち尽くしていると、私のすぐ背後、耳元より少し高い位置から彼の声が聞こえて思わず飛びのきそうになる。
「うん」と慌てて靴に手をかけると、今度は前のめりにバランスを崩す。
咄嗟に出した右手が床に着地する寸前、背後から伸びてきた彼の手が私の左腕を引き上げた。

「あっ……ぶね」
「あ、ありがとう」
「大丈夫か?」

大丈夫大丈夫と笑いながら、微かに震える指先で靴を脱いで室内に上がる。
ふとした瞬間に近づく彼との距離にはまだ慣れないなと落ち着かない気持ちで視線をさまよわせていると、すぐ左手にあるキッチンスペースが目に入った。

「キッチン、キレイだね。ちゃんと整理されてて使いやすそう」
「そうか? ちょっと狭くてさ」
「でもコンロ2口ある。さすが魁斗さん」

綺麗に整頓された調理器具と調味料。
ふきんや水切りかごも手入れが行き届いているのが彼らしい。

「お前何飲みたい? ……とりあえずお湯沸かすか」

俺もすぐ行くから部屋入っててと促されて、突き当たりのドアを開ける。
正面の大きな窓からの光が眩しいその部屋には、深い茶色のセンターテーブルとロータイプの二人掛けソファーがそれぞれ1つ。
ソファの真正面にはテレビがあって、部屋の隅にはパソコンデスクとギター。

「あ、これ」

テレビ台の端に、見覚えのあるものを見つけて思わず歩み寄る。
まだ付き合う前、魁斗さんと一緒に集めたドリンクのおまけのボトルキャップだった。
最後の1種類がなかなか出なくて、「さすがにこれ飲むの飽きてきたね」と苦笑しながらコンビニに通ったのを思い出す。

「ん? ああ、それか」

眺めていると、開いた扉から彼がひょっこりと顔を出した。

「飾ってるんだね! 懐かしいなあ」
「最後の1種類、引いたのお前だったよな」

そうそう!と頷きながら、嬉しさに頬が緩むのを感じる。
彼の部屋に、私が関わった物がある。
これから先、付き合いが長くなれば、こういう物が増えていったりするのだろうか。
増えたらいいなと思う。

「ソファ座ってろよ。俺、お湯沸いたら何か淹れてくし。お前何がいい?」

魁斗さんはそう言いながら部屋に入ると、さっきカギを取り出したボディバッグを部屋の隅のポールハンガーにかけて私を振返った。
私やろうか?と聞いたけれど、「任せとけって」とさらりと言われてしまったので、素直に飲みたいものを伝えてキッチンに向かう彼を見送った。



ソファに座って彼を待っていると、ほどなくして赤と薄い桃色のマグカップを持った彼が部屋に戻ってきた。
目の前のテーブルに、コトンと小さく音を立ててカップが置かれる。

「お前、ピンクのほうな」

呟いた彼にありがとうと答えながら、隣に座るだろうかと少し端に体をよけたのだけれど、彼はと言えばソファのあるこちら側に回りこむことなく、そのままラグの上に腰を降ろしてしまった。

「……? 魁斗さん、こっち座らないの?」

二人掛けなのにどうしてだろうと声をかけると、彼は私を見て少しだけ目を見開く。
そして、視線をカップと私に2、3度往復させてから、眼差しだけでこちらを覗き込むようにした。

「……座っていいのか?」
「いいも何も魁斗さんの部屋だよ」

私だけソファに座ってるのも気が引けるよと伝えると、彼は小さく息を吐いてから腰を上げる。
並んで座るのなんて初めてのことじゃないし、何を今更そんなに迷っているのだろうと彼の真意を測りかねて、少し不思議な気持ちになりながら私ももう一度きっちり片側に寄って座り直す。
一人分空いた私の左側に彼の体が収まると、この部屋に入った時に感じた彼の香りが再び鼻先をかすめて、心臓がまたドキドキと音を立てた。

「部屋、きれいだね」
「サンキュ……って言いたいところだけど、お前が来るから片付けた」
「気にしなくていいのに」

近くで聴く彼の声は私の体に微かに振動を伝えて、いつもより少しだけ低く響く。
ドキドキするけど、心地いいと思う。
声だけじゃない、近くで見るとよく分かる大きな手とか、意外に広い肩幅。前触れなく近づくことにはまだ慣れないけれど、こうして座る彼の隣は私にとって日に日に居心地がいい場所になっていく。

「……気にするだろ」

隣から聞こえた少し不機嫌な声音に、ふと視線を上げる。
そこには、むんっと口角を下げて、困ったように眉根を寄せる彼がいた。

「魁斗さん?」

突然どうしたのだろうと呆気にとられてそう呼びかけると、彼は罰が悪そうに少し視線を下にずらした。

「……なんかお前、余裕だよな」
「え、何が?」

表情を覗き込むと、彼はジトッとこちらを見る。

「あのさ、お前、今彼氏の部屋にいるんだけど分かってる?」

何を今更、そんな当たり前のことを言っているんだろう。
少しだけ苛立ちを含んだ声に、私は思わず首を捻る。

「分かってるよ?」
「だったらもうちょっとさぁ……!」

言葉と同時に勢い付けた彼が、ぐんっと私を振り返って、そして。
その大きな手のひらで私の首筋を捉えたかと思うと、鼻先が触れる距離に顔を寄せた。

「魁斗さ……」
「気にするだろ。俺は先週、お前を部屋に誘うって決めた時から、ずっと意識してたし、緊張してた。部屋、汚かったら引かれるかなとか、お前用のマグカップ買ったりとかさ」

急に縮まった距離に戸惑いつつ、横目でテーブルの上のマグカップを見る。
シンプルだけど優しい色合いのそれは私の好みをちゃんと捉えていて、彼がこれを探して買ってきてくれたんだと思うと、ドキドキと忙しく動く鼓動の奥から嬉しさが込み上げた。

「なのにお前はさっきからさ、ボケっとして玄関先で転ぶし、当然のように"こっち座んないの?"とか言うし、挙げ句の果てには気にしなくていいのにとか言うしさ。なんか俺ばっか、」
「魁斗さん、」
「俺ばっかり必死でお前を好きみたいじゃん……」



眼前に迫る熱っぽい瞳に、息苦しさと、痛いくらいの動悸を感じて拳をぎゅっと握る。
付き合う前から、時折こういう拗ね方をする人だった。
そして、その度に私は、彼の言う事が不思議でたまらなかった。

どうして、自分だけ、なんて思うんだろう。

今日の日差しみたいなきらきらした眩しい笑顔、
面白いものを見つけた時に私を振り返るウキウキとした眼差し、
意外と骨太で大きな手、
ギターの弦で硬くなった指先、
思い出したように私をからかうイジワルな声音、
抱きしめられた時に感じる大きな背中。

知り合って、付き合うようになって、次々に見つける彼の色んな一面が大好きで、彼が私に向けてくれる全ての一つ一つが宝物で。
だからいつも、必死で好きなのは私の方で。

「魁斗さん、違うよ」

私の首筋に触れる彼の手を、自分の手のひらでそっと覆う。
緊張で冷えた私の手のひらとは逆に、彼の手は、とても、とても熱い。

「私の鼓動、早いでしょ? 私だって、さっきからもういっぱいいっぱいだよ」

こうして距離を詰めてくる大胆な彼と違って私にできるのはこれくらいだけれど、どうか伝わって欲しいと思う。
大きく早く脈を打つ首筋から、緊張で冷えた体温から、震える指先から。
大好きが伝われば、いいと思う。

「……目、閉じて」

願うような気持ちで見つめていると、彼はそう呟いて、そして。
私が震えるまぶたを降ろしたと同時に、優しく、そっと押し当てるように。
ちゅっと短いキスを、私の唇に落とす。

「魁斗さん、苦しい」
「えっ、や……そ、そんな長くしてないだろ」
「そういう意味じゃないよ……」

俯いて呼吸を整えながらほてった頬に手の甲を押し当てていると、ようやく意味を理解した彼が、満足そうに、少しだけイジワルな顔で笑った。

「……なら、よし」



まるで壊れ物を包むかのように優しく抱きしめてくれる彼の腕の中、視界の端にボトルキャップを見ながらぼんやりと考える。
今は"自分ばっかり"と思っている私たちの心の中にもいつか、お互いから受け取った大切な感情が並んだりするのだろうか。
そうなったらいいなと思う。
私の中が魁斗さんでいっぱいになるのも、魁斗さんの中が私でいっぱいになるのも、とても幸せな事だと思うから。

「お前、顔真っ赤………可愛い」
「……魁斗さんのそういうところすごくイジワルだと思う」
「俺の事でいっぱいになってるお前、可愛い」

そう言いながら、柔らかく笑う彼の笑顔が眩しくて。
火照りを増す頬に気づかれたくない私は、思い切って大好きなその胸に顔を埋めた。



END



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