軽い人だと知っていた。
女の子なら誰でも好きだし、彼女がいっぱいいることも知っていた。

それでも好きだった。
誰にでも優しくて、誰にでもへらへら笑って、誰にでも同じことを言えちゃうって分かってるのに。
私はバカみたいに一途に、姫条が大好きだった。






【ペイント・アウト】






4時間目終了のチャイムがあと少しで鳴り終わる。
終礼の号令がもどかしい。私は机の脇に下げた茶色の紙袋に、そっと手を移動した。
早く、早く行かなくちゃ。
着席、と同時にスタートをきった私の隣、鈴鹿くんが呆れた声を上げた。

「……おまえ、ほんっとに姫条バカだよな」

うん、全くその通り。
私の感情から姫条を抜いたらきっとほとんど何も残らない。
嬉しいも楽しいも、好きも愛おしいも私の感情は全部姫条のものだし、だから、そこから生まれる私の一挙一動も全部姫条のものだ。
そんな自分に不満なんかないし、後ろめたさも、惨めさも情けなさも感じない。
むしろ、バスケバカの鈴鹿くんにバカって言われるなんて名誉だ、くらいのもん。

「ありがとう!」

と、そう答えた私を、鈴鹿くんはまるで不思議な生き物でも見るような目で見ていた。
だけど、気にしない。だって早く、行かなくちゃ。
いくつもの教室の前を駆け抜ける。どの教室もまだ整然とした雰囲気で、どうやら授業中らしかった。
姫条のクラスもそうだといい。
昼休みに入ってしまったら、姫条がまた、囲まれてしまう。

「姫条!」

姫条のクラスの後ろの扉を開けて、名前を呼んだ。
私の期待に反して、授業はきちんとチャイム通りにに終わっていたようで、中はもうお昼休みの賑わいだった。
目当ての人は見つからない。私の声にも、反応してくれなかったようで、ああ、やっぱり遅かったなと思った。

はやる気持ちを抑えて視線を姫条の席に急がせた。
人の波をくぐりぬけるようにそこを捉えたら、いた。姫条だ。
嬉しくて、歩み寄ろうとしたけれど、はっと思いとどまって、上げかけた手を下ろした。
女の子が、たくさんいた。こうなったら手遅れ。今は、ダメだ。

ポケットから携帯電話を取り出して、メールを打つ。
何度か打ち直して、“屋上でお弁当食べてるね”とそれだけ送信。
私は来た道を引き返して途中の階段を登り、屋上を目指した。






1年生のときも2年生になった今も違うクラスの姫条を好きになったのは、学園祭の委員会で一緒になったのがきっかけだった。
一目ぼれ、なんてそれこそ世間の姫条に対する評価に負けないくらい軽い単語になってしまうのが悔しいけれど、正にそれ。
よろしゅう、と、手を差し出してくれた姫条の顔がそれはもう極上の笑顔で、私はその笑顔にあっけなく、恋に落ちてしまった。

学祭委員なんてただの雑用係だったけれど、姫条のおかげで毎日が楽しかった。
紙でお花を作るのも、木の板に布を張ってペンキを塗るのも、アンケートを1枚ずつめくりながら“正”の字を書き並べていくのも。
じゃんけんで仕事を押し付けあったり、作業しながらどうでもいい話をしたり、姫条がいればなんでも楽しくて、嬉しかった。
笑いながら、私は姫条が好きだ、と、何度も思った。

学園祭の最終日に、告白した。
どんな返事がくるかは分かっていた。だって、姫条にはこの学園の生徒なら誰でも知っている噂があったから。

「姫条くん、どんな子からの告白でも、断らないらしいよ」

私がそれを聞いたのは、入学して1ヶ月たったころ、体育の時間恒例の、女子の噂話の最中だった。もう1年以上前の話になる。
当時はデマだろうと聞き流していたけれど、あれからずっと訂正の話なんて聞かないし、
それどころか、本当に“告白”して“断られなかった”女の子たちが、
入れ替わり立ち代り姫条と登校したり、下校したりしているのを何度も遠目に目撃した。
何が楽しくてあんなこと、と、思っていたのに、こうして自分が惚れてしまうともう、なんとも言えない。
あの、十把ひとからげの中に、積極的に入りたいわけじゃない。
でも、私の気持ちに対する姫条の答えがそれなら仕方ない。
そう思えてしまうほど、私は姫条にベタ惚れなんだから、しょうがないんだ。

「姫条が、すき」

姫条の人懐こい性格のせいもあって、学祭の短い期間ですっかり“姫条の友達”になってしまった私の告白は、色気なんて全くないものだった。
今更もじもじする自分も気持ち悪いし、募った思いをつらつら聞かせるようなこともしたくなかった。
どれだけ言葉を並べても、私の気持ちの全ては伝わらないと思った。
ならば、これだけで十分だ、と思った。

「えーと……おおきに」

姫条はやっぱり、困った顔一つせずに、そうお礼を言ってくれて、笑い返してくれた。
この後に、付き合って、と続ける予定だった。そう言うつもりだったのに。
姫条を目の前にしたら怖気づいて言えなかった。
だって、気づいてしまったんだ。こうして告白して、私だけ断られたら、という、恐怖に。
こちらこそありがとう、と、かろうじて笑えたから、もうなんだかこれでいいや、このままここを立ち去ろうと思ったときだった。
姫条が私の腕を掴んだ。そして、言った。

「オレも、ちゃんのこと、好きやで?」

バカみたいに、嬉しかった。すき、という一言で、こんなにも感情が高ぶるなんて、私は知らなかった。
涙がこぼれた。でも、それでも笑った。うれしいときは、笑うものだと思ったから。

「ありがとう」

でも、やっぱり、それだけ。
それだけで、私はそれ以上のことも、以下のことも言えなかった。

だから私と姫条は、付き合ってる、とは言えないのかもしれない。
登下校の姫条の隣にいる女の子も、休み時間、さっきみたいに姫条の周りを囲っている女の子も、
みんなきっと、「付き合ってください」、「ええよ」って、ちゃんと約束を交わした女の子たち。
私はそれでもいい、なんて思いながら結局それすらできなくて、
だからと言って、これで姫条を綺麗な思い出にして忘れようと思えるはずもなくて、
きっと恋愛対象として見れば十把ひとからげ以下なんだ。

私に許されていることはただ一つ。
毎日姫条にお弁当を作ってきて、それを一緒に食べること。
お昼休み、購買にいた姫条が「毎日弁当作るのもきついけど、買うのもきつい」とこぼしていたから、
「じゃあ作ってあげようか?」と、冗談めかせて言ったら、姫条が嬉しそうに頷いてくれたから。
私は姫条にとって学祭のときのまま、きっと友達でそれ以上でも以下でもないと思うけれど、それでもいいんだ。
だって私は姫条バカで、私の気持ちに姫条が出した答えがそれなら、それでいいんだ、と思うから。
例えば姫条が私を好きと言ってくれたのが、私と違う意味でも、なんでも。






一人でお弁当を開く。
作ってあげようか、なんて大口をたたいたくせに、私は料理があまり得意じゃない。
中身は卵焼きとか野菜炒めとかそんなのばっかりだ。バリエーションも少ない。
でも、こんなんでもちょっとでも姫条に喜んでもらえたらって、練習してやっとのことで作れるようになったもの。
だから、一人で食べるのはいつもちょっとだけ切ない。

もっと早く、姫条の教室に行けばよかった。
姫条のクラスの授業が終わる前に行って教室の前で待ってれば、いつも姫条は気が付いて、囲まれる前に出てきてくれる。
こうしてメールをして待っていても必ず来てくれるけど、でも、とても遅くなることが多い。
場合によっては他の子からもらったパンだとかおかずだとかをつまんでくるから、後でちゃんと食うから、とお弁当はお持ち帰りになることもある。
一緒に食べたくて作ってきたのに、と思うけれど、私はいつだって、それを口に出すことはできない。
臆病だと思う。鬱陶しがられて、そばにいられなくなることが怖い、なんて。

卵焼きを一つ、箸でつまんで口に入れる。
ところどころに黒い焦げ目がついてしまった自分用のそれは、わずかに苦味を残して私の喉元を下りていく。
姫条のは、焦げなかったやつを入れたから、大丈夫。おいしいはず。
だから、だから姫条、早く――

祈るような気持ちで、顔を上げて空を見たとき。
がちゃり、という重い音とともに、ここへとの続くグレーの扉が開いた。
咄嗟に振り返る。
そこには苦い卵焼きを飲み下したみたいに苦笑した、姫条がいた。

「ごめん、待たしたな」
「ううん、ぜんぜん!」

笑うことにしている。
何があっても、何を考えていても、それでも姫条が目の前にいるときは、とにかく笑うことにしている。
つまらないことや、辛いこと、そういうのは一人でいるときにゆっくり考えればいいから。
姫条がここにいてくれれば、うれしいから。
うれしいときは、笑うものだと思うから。

「お弁当、食べる?」

青い包みを差し出した私に、姫条がにかっと笑って頷く。
この瞬間が、一番好き。
笑った私に、笑い返してくれる姫条が、一番好き。
だから、何も考えない。



「もちろん! 腹ぺこぺこやし」
「じゃあ、一緒に食べよう」



何も考えなければ、幸せでいられるから。






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