明るい色、暗い色。
淡い色、濃い色、澄んだ色、にごった色。

オレのおる場所は、いつだって隙間なく、ひしめき合うように、たくさんの色がごちゃごちゃしとった。
そこはにぎやかで、楽しくて。
でも、ちょっとめまいがするような、そんな場所やった。






【カラフル】






天気は快晴。
オレの上には、近いんか遠いんか分からないほど、青に青を重ねた色した空が広がり、
そこには、ふわふわ、まるでちぎった綿菓子のような雲が漂っている。
なんてことのない、どこまでも平和な日。
黙って寝ころがっとれば、きっと穏やかに1日が終わるんやろ。
でも、どうしてやろ、オレの周りは穏やかとは程遠い。
授業中は近くの席のヤローがやいやい言うし、休み時間は女の子がきゃいきゃい言うし。
全部、オレが求めたこと、なんやけど。

「好きなの。付き合って」

放課後になって、校舎うら。目の前には一人の女の子。
友達づてのありきたりな呼び出しに来て見れば、ああやっぱり、な状況で。

(すき、ねえ…)

その言葉に、心の中で首をかしげて、そして顔は笑顔を作る。
自慢にもならないが、慣れとる、こんなの。
今更慌てるようなんでもないし、照れるのも違う。
「ああ、そう」、なんて言ったら、それこそオレを呼び出したこの子の友達がめっちゃ怒って噛み付いてくるんやろうけど、
なんちゅーか、すんません、本音はそんなもん。

(すき、すき、すき)

唱えてみる。なんとも不思議な言葉。
特別な言葉には違いないが、こうやって聞いてみるとその重さに反比例するみたいにどうでもええ言葉に思えたり、して。

「ナニちゃん、やっけ?」

にこっ、と。
笑ったオレに、目の前の真っ赤な顔がありふれた名前を呟く。
オウム返しにそれを呼べば、その赤がますます色味を増した。

「オレら、はじめまして、やんね?」
「うん、そう、だけど」
「ええの?」
「なにが?」
「はじめましての奴と急に付き合うなんて、ジブン、後悔せえへんの?」
「だって……好き、なんだもん。しょうがないじゃない」

理屈が、よう分からん。
けど、言うてることはよう分かる。
やって、みんなこんなもん。こんなの、なんぼでも経験してきた。

「……一緒に帰ったり、休みの日、遊んだり」
「え?」
「そんなんでええんやったら、なんぼでも付き合ったるよ」
「ほ、んと…?」
「ほんまほんま」

ありがとう、と、笑った目の前の女の子の頬は桃色グラデーション。

(……なんか、違う)

全部オレが求めたことやけど、なんか、なんか違う。
沸き立つ違和感は、とてつもない空しさを呼ぶけれど。
そんなの気づかないふりをして、オレはまた、にっこりと笑った。



(やって、癖になっとるもん、簡単に治らへん、し)



昔から、オレは欲張りやった。
オレの家は裕福やったから欲しいモンはなんでも買うてもらえたし、欲しくないもんだって、部屋中に溢れていて。
おもちゃだとか、洋服だとか。
マウンテンバイク、野球のグローブ、オーディオコンポにゲーム機。
手当たり次第、「欲しい」と指差して、飽きたらポイ。
罪悪感なんて、かけらもなかった。
そういうんが当たり前の環境やったし、使い古しでも欲しがる奴なんてなんぼでもおったから。
周りの大人も、一人除いてはオレをとがめたりせえへんかった。
そう、たった一人。その人、を除いては。

『まどか、なんでそれが欲しいん?』

ふと、懐かしい声が思い浮かんだ。
その声の持ち主はもうこの世にはおらへん、大好きだった、オレの、母親のもの。

『まどか?』
『やって、な?』
『うん』
『カッコエエやん』
『うん、そうやね。でも、今まどかのお部屋にあるのやって、カッコエエやんか』
『えー? 古いやん』
『使われへんの? 動かなくなってしもた?』
『ちゃう、けど……』
『じゃあ、いらんやろ。欲しがりはアカンよ、まどか』

オレが母親に物をねだるたびに、そんな同じようなやり取りがされるもんやから。
その度に、訳が分からへんくなって、へそを曲げてた。駄々をこねたこともあった。
母親に隠れて、物を買ってもらったりも、よくした。
やって、アカンなんてそんなん、言いよるのは母親だけ、やったし。

『ホンマに欲しいもん、紛れてしまうよ』

最後に必ず言われる、その言葉の意味だって、分かるはず、なくて。



(アホ、やった、なあ……)



そんな、色あせた記憶をひっくり返す校舎うら。
さっきの女の子は嬉しそうに小さく手を振って、もうとっくにどこかに行ってしまった。
一人きり。
つま先に当たる小石をこつん、と蹴り飛ばす。

(……いや、やった、や、ないか)

とっくに紛れてしまった、“ホンマに欲しいもん”。
厄介なもんや、どんだけあっても満たされない、っちゅーのは。
覚えてしまった欲張りは、簡単には忘れられへん。
癖になって手を伸ばせば、ついてくるのは暇つぶしの代償。ふと襲ってくる、空しさと寂しさ。

  ――まどか、なんでそれが欲しいん?

オレはもうずっと、アホ、のまま。
軽く浮き上がった小石は壁にぶつかって。
からり、という、乾いた音を立てた。






「なあ、姫条。のれんの端、止めてくれねえ? 俺押さえてるからさ」
「あ? ええよ」

なんとなく悶々とした気分になりながらも、こんなんもいつものこと、性分やから仕方ない、と。
校舎に戻ってみれば、そこは後数日後に控えた文化祭の準備で大賑わい。
ウッカリ実行委員になんてなってしまったのは、思いつきで掴んだ箱の中の紙切れに赤の丸印がついていたからだけど、
まあ、たまにはこういうのも悪くないと思う。
バイトに支障が出るんはちょっと痛いけど、たった1ヶ月のことやからさほど気にはならんし。
少なくとも、暇は潰れるから。空しさに埋められる空白がなくなるから。

委員会本部になっている生徒会室の入り口、ふざけた筆文字で「本部」と書かれたのれんを安っぽいテープでべたっと貼り付ける。
賑やかなんは、嫌いじゃない。お祭り騒ぎも、好きなほう。
ただ、頭の隅っこ、つい鼻で笑ってしまうオレがおる。
こんな子どもだまし、と。自分だってまだ、大人になんてなりきれてないくせに。

「だんだん、形になってきたよな」
「ああ、そやな」
「じゃあ、あれだな、」

今日はこんくらいで終わりにしよう、と、そう呟いたそいつにつられるように、窓の外に視線を移した。
夕日が赤い。
その赤に眉をひそめると、口の中に嫌なツバがじわりと湧く。
この世で一番、嫌いな色。
早く、夜が来ればいい、と、そう思った。

「じゃあな」
「ああ、おつかれさん」

ここ最近、昇降口に向かう途中の廊下がやけに寂しい。
文化祭前やから、いつもより人も多いのに、賑やかなのに、や。
それはきっと、距離を感じるから。どこかの楽しい温度と、自分との、距離。

(……なんか、あったな。こんなん)

記憶の引っかかりに、首を捻る。
デジャブ? 違う、そうやなくて、これはもっとリアルな。
どうしてだろう、記憶の箱をひっくり返ってしまうと、余計なもんが次々見つかってしまう。
例えば、今の寂しさが。
幼い日、昼寝から目覚めたらやっぱり外は今みたいに赤くて、
一枚の壁を隔てたリビングから、親父と母親の楽しそうな笑い声が聞こえてきた、あのときの感覚に似ていることとか。
典型的な権力者思考の父親と、生きることすべてがボランティアみたいな母親。
なんでなんやろう、一見合わないように見える二人は、とても、とても暖かく愛し合っていたこと、とか。

(母親取られて寂しい、なんて、オレも大概ガキやった、けど)

赤は、連れ去る色。
アホみたいにはしゃいで見せた今日の終わりも、穏やかな日差しの終わりも。
幼い日、オレの幸せな目覚めを一瞬で無くしたのも、そして、数年前のあの日。
母親を、“生”から連れ去ったのも、赤、やった。
いつもは清潔な白で覆われている病室が、夕日に染まる時間。
母の息は何かに引き寄せられるように、静かに、終わった。

(……も、これ以上は、ホンマに勘弁)

諦めとも願いともつかない、そんなことを思い浮かべていると。
とても近くで、がたり、と、何かがずれる音がした。
咄嗟に、振り返る。

「……誰かおるん?」

慎重に、ゆっくりと中に入ってみれば、独特の油くささが鼻をついて、ああ、ここは美術室やったなあと思い出す。
文化祭用の展示パネルにはたくさんの絵がかけられている。あふれる、色、色。
音の方へ歩みを進めると、パネル迷路の奥の方、見覚えのあるシルエットが、額縁を不自然な体制で抑えたまま、固まってた。

、ちゃん?」

そこにおったのは、同じ学年、違うクラスの文化祭実行委員、ちゃん。
今回の文化祭をきっかけに知り合って、そして仲良くなった女の子。
「……え、はい?」と、振り返った彼女がオレを見るなり表情を少し情けなく和らげたから、
オレは慌てて近づいて、そして傾いた額縁に手を添えた。意外と重かった。

「わ、姫条。こんなところでどうしたの?」
「会場設置、一段落したから。ちゃん、美術部やったの」

言いながら、フックに紐を掛けなおす。
ありがとう、と笑った彼女に笑い返して、今度は真っ直ぐに収まった額縁に、視線を向けた。



絵を見た、その瞬間。
どくり、と心臓が音を立てた。
ひゅっと吸ったその息が、そのまま止まる、ようで。



(う、わ……)

中心には、大嫌いな赤。
それを支えるように、下には黄色が塗られていて、頂点には茶色が一筋。
交じり合わないその色は、ちぐはぐにのせられているのに、それなのに。

油断したら、涙が出るところやった。
情けない、けど、やって、こんなタイミングで、こんなん。
不器用だった母親。
お見舞いに行くと必ず、枕元にあるいくつかのりんごを手にとって、
「食べなさい」と皮むきを始めるのだけれど、その手つきがどうにもぎこちないから。

(あんときのりんごに、そっくり……参る、わ、これ……)

何度目の「食べなさい」を聞いたときやったろ。
「オレがやったる」と、もどかしさに思わず手を出して、そしてオレは真っ赤な頭から、くるくるとりんごを裸にした。
下にいくにつれて黄色になるそれは一見グラデーションのようだったけれど、そうしてむくとよく分かる、
案外境目ははっきりしとるんやなあと、変なことに感心して、二人で笑った。
そういえば、母親は、よく笑う人だった。

「見ないで。下手だから」

思わず絵を凝視したオレにちゃんはそう口を尖らせて、その声にはっと我に返る。
慌てて作った笑顔はなんだか少し引きつった気がして、口元に手をやった。

「はは、何言うとんの、展示物やろ? 見せるために飾るんやないの」
「……出さなきゃいけないから、飾るだけだよ。本当は、見られたくない」
「なんで?」
「下手、だから。好きだけど、でも、下手だから」

彼女はそう言って、視線を落とした。
よみがえる、記憶が。
ひっくり返ってごちゃごちゃんなった、たくさんのかけらん中。
今、に反応するみたいに、ひとつがきらり、と光る。

『まどか、りんご、むいて』
『ほんま、不器用やなあ……ダメやで、退院したら、オカンも料理せな』
『そうやね。下手やけど、頑張らな。たくさん作って、みんなで一緒に食べような』

叶わないと知りながら交わされる、とても悲しい約束を聞いていた赤いりんご。
やっぱりむいてみるわ、と、母の手に移った途端、なんだか不恰好に見えた。
暖かなもの、に、見えた。


「好きやで、 ちゃんの絵。もちろん、なぐさめ、とかやなくて」


きらりと光る。そして、重なる。
かけがえのないものに。なくしたくなかったもの、に。
デジャブじゃない、それはもっと近くのもの。
直感よりも確かな、でも、輪郭の曖昧な。
言葉にならない感情。もしくは、衝動。

(……ホンマに欲しいもん、見つけた)

世界の境目を、見た気がした。
それは背中合わせ。反転すれば、ころりと一瞬で、変わる。



ちゃんは、優しい絵を描くんやね」



この子の色が、欲しい。
オレの直感と衝動が、そう、激しく全身を熱し始めた。






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