嬉しかった。
本当に欲しいものが目の前にあることが。
オレに向けられた言葉が。
でも、とてつもなく、寂しかった。
返すものが、見つからなかったから。
オレには何も、なかったから。
何を、どう伝えれば。
オレの気持ちがそのまんま、君に伝わるんやろ。
どうすれば、君を失わずに済むんやろ。
【マイ・カラー】
あっという間に、学園祭の日はやってきた。
今朝から学園内はざわついていて、予想通り、オレら実行委員は雑用・雑用・雑用で大忙しだった。
「ちゃん、それ、持つで」
「あ、姫条。大丈夫だよー」
「ええって。仕事ならいくらでもあるし、重いのは任せとき。ちゃんは、こっち」
ちゃんとは、相変わらず。
彼女に対するオレの気持ちはいつだって特別だけど、それをどう言葉にすればいいのか分からなくて。
「あ、ごめんね。ありがとう」
「ええって。ちゃん怪我したら大変やし」
「あはは、そんなか弱くないけどね、私」
結局、いつもと同じ。
さほど欲しくないものに手を伸ばすときのように、オレはありふれた軽い言葉を口にして、
ちゃんは何てことないように笑って、オレも、笑い返して。
お袋の言ったとおり。
こうやって、オレは大事なものを他のものと紛らせてしまう。
“特別”の、伝え方が分からない。“特別”の扱い方が分からない。
これはきっと、なんでもかんでも、欲しいものも欲しくないものも、手に入れてしまった“代償”のようなもの。
誰でもかれでも口説いたり、調子いいことを言ってしまうオレの言葉は、いつだって軽く響いた。
本音が、うまく形作れなかった。
「じゃあ、私、そろそろ担当のステージだから、設置行ってくるね。姫条は……えっと、案内見回りだっけ?」
「おう、そやね。頑張ろうな。ほな、また後で」
「うん、また後でね。ばいばい」
ニコニコと、手を振るちゃんを見て、思う。
時間は、容赦なくさらさらと流れていくなあ、と。
今日が来なければいいと思ったのに、今が過ぎなければいいと思うのに、どんどん、時計の秒針は回って、回って。
(そしたらそろそろ、きっと、さよなら、やな)
残された時間を思う。
似合わない色を持つオレらの、唯一の接点の文化祭。それはもう、残り少ない。
きっと、オレらはこのまんま。
今日の帰りには、さっきの別れ際の挨拶から「また後で」が抜けて、ばいばい、になって。
それっきり。
本当に欲しい、傍にいて欲しい、人、は。
今日っきりできっと、ばいばい、になってしまう。
どうにかしたかったけれど、どうしようもなかった。
どうしていいか、分からなかった。
そのまんま、あれこれと動いているうちに、気がつけば後夜祭が始まっていた。
夕日の当たる体育館に、全校生徒が集合している。
オレは、その壁際。寄りかかって、全体を見渡していた。
赤に染まる時間。
感じるのはやっぱり、オレの気持ちと、現実との距離。何か、空虚な感じ。
こんなに周りに人がいるのに、なぜか孤独で、いつだって、一人ぼっちで。
我ながら、オレは難儀な奴やと思う。
寄ってきてくれる奴がおるのに、受け止めてくれる奴だって、探せばいるだろうに。
ダメ、なんや。
どうせ一時だけやろう、と、そう思ってしまう。チヤホヤして、そのときだけ親身になって、気づけばいなくなっとる。
もちろん、原因のほとんどははオレにある。
小さい頃、買ってもらったものたちと同じ、
次々に新しいものが出てくるもんやから、ついついそっちに目が行って、今持っているもののことは忘れて。
どうでもいいわけやない、そうやないけど、一つのものに、愛着を持つのはなんとなく怖い気もして。
やって、いつかは壊れる。
いつかはさよならをしなきゃいけないものに執着したら、どうなる?
大事なものがなくなったとき、残るのは空しさ、とてつもない寂しさ。
そんなんを耐えるなら、いつも新しいものに囲まれているほうが、きっとええ。
いつだって、代えの効くもので周りを埋めて、寂しさなんて見ないふりをして。
それがええ。きっと、それが。
(でも、どうしようか。見つけてしまった)
大切にしたいもの、ずっとずっと、傍にいて欲しい、人。
あの日、あの絵を見て感じた気持ちが、一目惚れなんちゅう簡単なもんなら良かったのに。
違った。一緒にいればいるほど、話せば話すほど、かけがえのない存在になっていく。
なんてことない、普通の子やのに。
違うんや。誰とも違う、ちゃんやなきゃダメで、ちゃんしか、欲しくなくて。
さよならするときのことを考えると、近づくのは怖い、でも。
近づかなければ、今日でさよなら。今日で、全部、おしまい。
『本当に欲しいもん、紛れてしまうよ』
母の声が浮かぶ。
本当に、このままじゃ紛れてしまう。
何もなかったみたいに、オレはまた新しいものに囲まれて、代わる代わる、出会う人に囲まれて。
どうしよう。
なあ、どうしたらええ?
お袋がここにおったら、何て言うんやろ?
考えてみたけれど、何も言葉は浮かばなかった。
その代わりにぼんやりと現れたのは、何度も、何度もオレに向けてくれたあの笑顔。
母親は、いったいどこで、あんなに柔らかな笑みを覚えたのだろう。
お袋の優しさそのものみたいな、そんな笑顔。
オレは、それをどこにおいてきてしまったんやろ。
本当の笑顔。
相手にそのまんまの気持ちが伝わる、表情だとか、他にも、言葉、だとか。
一番大切なもの。
それをどこに、置いてきてしまったんやろ?
むしゃくしゃして、オレは寄りかかる壁のわき、体育館の扉をそっと開けて、外に出た。
吹き込む風に、鳥肌をたてる。
秋もそろそろ終わるのだろう、きっともうすぐ、冬が来る。
赤に染まる空気の中で、オレはその空気の冷たさを、ひたすらに感じていた。
今日を連れ去る色の中で、寒さの中で。彼女を思った。
ちゃんを、思った。
間もなくしてのことだった。
足音が遠くから近づいてきて、オレはそろそろ中に入ろうかなと、そんなことを考えて。
でも、聞こえた声に、思考を止めた。
「……あ、姫条、いた」
あれほど考えていた彼女が、なぜか目の前にいたからだ。
変な感じがした。夕日の中、彼女は確かにそこにいたから。
「あ、ちゃんやん。どした?」
「あ、のね。姫条のこと、探してて」
いつもと違う、少し
ぎこちない空気。乾いた風が揺らす木の葉の中、オレたちは向かい合う。
夕日に伸びる長い影が足元に重なるか重ならないか、そんな微妙な距離で。
「なんぞあったか? 人手不足なら、行くで」
「違うの、そうじゃ、なくて。あの、あのね、」
ちゃんは、視線を泳がせる。
らしくない、笑顔なんてちらりとも見せず、緊張した面持ちで。
そのとき、ピンと来てしまった。
これは、まさか。
まさか。
「姫条が、好き」
ああ、来てしまった。
なぜかそんな風に思った。
ありふれた光景。慣れきってしまったシチュエーション。でも、オレは焦っていた。
それは、どういう意味? その好きは、特別な好き? それとも、誰でもいいの、好き?
分からなかった。
やってオレには、自信がない。ちゃんをどこまで知っているのか、そんなん、全然、分からない。
分かるのは、ただ、これは慣れてしまった光景と重なるということ。
どうしたらいいのか、分からなかった。何を言えば? 何をすれば?
嬉しいより、幸せより先に、不安に襲われた。
これは、一体、どういうこと? どういう意味の、好き……?
「えーと……おおきに」
アホ、みたい。
ごちゃごちゃの頭ん中、拾い上げた言葉はどうでもいい言葉で、そんなんやない、そうじゃないと思ったけれど、
でも、やっぱり言葉は出てこなくて、オレは癖になった、笑顔を浮かべて、しまって。
違う、違うこんなん。
そうやない、そうじゃなくて、オレは、ちゃんのことを。
他とは違う、きっと、あの絵を見たときからもう、特別な存在で。
(好き?)
頭の中で、唱えてみる。
好き、好き、好き、好き。
軽く感じていた言葉。ありふれた、言葉。でも、至極、特別な、言葉。
(そう、オレも、好き、や)
でも、分からない。
そんなありふれた好きやない。オレの好きは特別で、代えの効かないものなのに、この二文字でオレの気持ちは伝わる?
伸ばそうとした手を、軽く開いて、そして拳に握りなおした。
嬉しかった。
本当に欲しいものが目の前にあることが。
オレに向けられた言葉が。
でも、とてつもなく、寂しかった。
返すものが、見つからなかったから。
オレには何も、なかったから。
何を、どう伝えれば。
オレの気持ちがそのまんま、君に伝わるんやろ。
どうすれば、君を失わずに済むんやろ。
拳を開くことは、できなかった。
迷って、戸惑った、そのまんま、ちゃんを見ていた。
彼女もまた、戸惑った顔をしていた。その表情に夕日が反射して、いつもより少し、大人びて見えた。
「……こちらこそ、ありがとう」
口を開いたのは、ちゃんのほうやった。
言葉と同時、固まった空気を動かすみたいに、ぎこちなく、笑って。
彼女はオレに、背中を向けた。そして、遠ざかろうとする。
夕日の赤の中で。連れ去る色の、その中で。
「……! オレも、」
焦ったオレは、必死にその腕を掴む。
言葉なんて、準備してない。
笑顔も、優しい力加減も、何も、準備なんて、できてなかった。
「ちゃんのこと、好きやで?」
結局出てきた、その情けなすぎるほど飾り気のない言葉に、オレはオレに失望して。
どうしようもない、と、頭をかいた。
そして、掴んだ腕を視線で手繰るようにして、彼女を見た。
「ありがとう」
驚いた。やって、彼女は泣いて、そして、笑っていた、から。
腰が抜けてしまうかと思った。
なんやろ、これは、一体、何が起こって――。
気がつけば、夕日の時間は終わっていた。
どうやって別れたんやか、覚えていない。
ただ、ちゃんはとても綺麗な涙を流して笑って、オレの言葉にお礼を言ってくれて。
沈みきった太陽が、わずかに残した明るさの中、オレはぼんやりと物思いにふける。
本当に、欲しいもの。傍にいて欲しい人。
咄嗟に伸ばしてしまった、手。力任せに掴んでしまった腕。
これから、どうすれば? 何をすれば……?
オレの言葉は、いったいどれだけ、彼女に伝わったのだろう。
「あ、いた。姫条、片付け」
一番近くの体育館の扉から覗いた、同じ実行委員の奴の声に我に返る。
「……ん、ああ。今行く」
飲み込みきれない気持ちと、形にならない言葉、と。
両方をそのままに、オレは夜の近づく空に背中を向けた。
『まどか、ホンマにそれが欲しいん?』
昔もらった、お袋の言葉に、心の中で答えながら。
(……欲しい。どうしても、欲しいんよ)
>NEXT
>連載メニュー
>GS短編
>Back to HOME