ねえ、姫条。
私の感情の全ては、やっぱり姫条だった。
自分でも抱えるのが重すぎるこの感情を、知ったらあなたはどう思うかな。
やっぱり重いよって、投げ出されちゃうのかな。
【レイン・レインボー】
最後の昼休み。
怖気づいて出遅れた私が向かった姫条の教室で、姫条はすでに女の子に囲まれていた。
息を吸い込む。
今まで、本気で姫条を振り向かせるつもりで名前を呼んだことはなかった。
姫条の周りを囲む人たちは、姫条にとって私よりもずっと大事な人かもしれないから。
姫条にとってこの時間は、私とお弁当を食べる時間より優先したい時間かもしれないから。
邪魔してはいけないと思っていた。
付き合ってください、と。
自分の願いを伝えることもできなかった臆病な私には、姫条と彼女たちの時間に割って入る権利なんて、ないと思っていたから。
「……き、姫条!」
吸い込んだ息に、大好きな名前を乗せて吐き出した。
震える指先をグッと握りこんで、顔を上げる。
決めたんだ。今日だけは、自分の願いをちゃんと言う。
最後まで、諦めずに言葉にする。
そして。
そしてさよならをするから、最後にするから。
驚いた顔をした姫条が振り返って、そして。
私を見て、にこっと笑う。
その顔に、ああ、やっぱり好きだなあと思う。
周りにいる女の子も、そのまま丸ごと好きになれたら、ずっと幸せでいられたのかな。
どうして私は、自分だけを見て欲しいと思うようになっちゃったんだろう。
姫条の全部が欲しいなんて、そんなことを思わなければ、こんな寂しさも息苦しさもきっと感じなかったのに。
「メシやんな、行こ」
当たり前のように、教室の入り口まで来てくれた姫条の姿にほっとする。
本当は、ずっとこうして出てきて欲しかったんだって、頭の隅にそんな気持ちが浮かんで、消えた。
2人で屋上までの階段を上る。
いつもどおり、なんてことない話をして、笑いながら歩きたいのに。
「ちゃん、どうしたん?」
「何が?」
吐く息が、出てくる声が震える。
あげようとした口角がこわばって、頬が上がらない。
「教室来てくれたときから、雰囲気ちゃうなって」
姫条がそう言いながら、少しだけ眉根を寄せて私を見る。
そんなことないよ、と震える声に力を入れて顔を上げたけれど、視線の先の姫条は変わらず戸惑った顔をしていた。
「寒く、なってきたなと思って」
見当違いな私の返事に、饒舌なはずの姫条が何も言わず困ったように笑う。
その視線が探るように私の目をのぞき込むから、私は少しだけうつむいた。
泣きたくなかった。
泣いてしまったら、きっと最後まで伝えることができないと思うから。
「お腹すいたね」
呟いて、顔を上げた。
少し早めた歩調で屋上に続く階段を上る。
窓から見える景色はとても綺麗な青空で、なんだか他の世界の景色みたいに見えた。
着いちゃったな、と、少し寂しい気持ちで屋上のグレーの扉に手をかける。
押し開けようと力を込めると、私の背後から姫条の腕が伸びてきた。
『一緒におるときくらい、エスコートさせてや』
思い出す。
初めて一緒に屋上に来た日、今日と同じように扉を開けようとした私の背後から、やっぱり姫条は手を伸ばして扉を開けてくれた。
『そんな重くないし、大丈夫だよ』
急に近づいた姫条との距離にドキドキして、目の前で扉を押す姫条の骨ばった大きな手が照れくさくて。
ありがとうより先に、そんな可愛げのないことを言った私に、姫条はいつもみたいにニコッと笑って。
『オレがちゃんのために何かしたいっちゅー自己満やから。気にせず甘えとき』
そんなことをとても柔らかな声音で言うから、私は嬉しくて、やっぱり好きだなってもう何度目か分からない、そんなことを思って。
いつもそうだった。
姫条の言うこと、してくれること、その表情や、しぐさ。
大好きで、大切で。
姫条と一緒にいると、感情があふれる水のように止まらなくて、ほんのちょっと、苦しくて。
でも、その溢れる水しぶきの中、知らなかった暖かな感情が虹になって色づく感じが、とても心地良くて。
「はい、どうぞ」
今も。
こうして、扉を押し開けてくれる姫条の手も、斜め後ろ、耳元より高い位置で聴こえるその声も。
「……姫条、ありがとう」
きらきら、きらきら。
虹になって、眩しくて。
目を細めれば、泣けてしまいそうなほど、大好きで。
一面の、青空。 二人でその光に下に一歩。
踏み出して、私は振り返る。
泣くもんか。
最後まで、ちゃんと。
「姫条、あのね」
ねえ、姫条。
私の感情の全ては、やっぱり姫条だった。
自分でも抱えるのが重すぎるこの感情を、知ったらあなたはどう思うかな。
やっぱり重いよって、投げ出されちゃうのかな。
「姫条が、すき」
振返って、 じっと姫条を見て。
私がそう呟けば、すっと息を吸った、その表情のまま、姫条は固まった。
「私の好きは、“姫条が欲しい”の好き」
何も言わずに、終わりにしようかとも思った。
だって、私の重すぎるこの感情を知ってしまったら、嫌われるかもしれない。
本当は怖いし、 逃げ出したい。 自分の嫌な独占欲から逃げて、何もなかったことにしてしまいたい。
でも、それとは逆の気持ち。
この感情は全部、姫条からもらった、大事な、大切な私の全て。
投げ出すことなんて、できなかった。
「“私だけ好きでいて欲しい”の好き。“独占したい”の好き」
口角は今もこわばったまま、笑うことなんてできないけれど。
目をそらしたままでさよならなんてしたくない。
私をじっと見たまま表情を動かさない姫条に、私は涙をこらえて話しかける。
この大切な感情がどうか伝わりますようにと、願いながら。
「たった一人、姫条が好き、の、好き」
高い、高い青が、空で光る。
眩しくて、穏やかで、綺麗で、姫条の笑顔みたいな色。
「だから、もう一緒にご飯食べられない。私だけじゃないのが、寂しいし、苦しい」
震える呼吸を吐き出して、手に持ったブルーの包みを姫条に差し出す。
思い出す。
お弁当を差し出すと、いつもとても優しく笑ってくれたこと。
ふたを開ける時、プレゼントの包みを開ける子どもみたいな期待いっぱいの顔をしてくれて、
自信のない私が思わずそっぽを向くと、うまそうやんか、と、その大きな手で私の頭を二回、ぽんぽん、と撫でてくれたこと。
少し焦げた卵焼きを頬張りながら、 ちゃんの作る料理好きやでと、笑ってくれたこと。
お弁当用の少し小さな箸を握る大きな手。あぐらで座る、少し猫背になった大きな背中。
このブルーの包みを渡す度に もらった、いくつもの感情が押し寄せて、虹が降る。
「最後のお弁当。お弁当箱は、返さなくていいから」
勝手でごめんね、ありがとう、じゃあね、と。
焼けるようにぎゅっと締まる喉から、最後の言葉を出して、お弁当箱を姫条に押し付けるように渡した。
こらえていたものが溶け出す感覚に、私は急いで背を向けて扉へ向かう。
何度も姫条に開けてもらった、その扉に手をかけた瞬間。
姫条に名前を呼ばれた気がしたけど、振返ることはできなかった。
扉を開けて校舎に入ると、途端に日差しがさえぎられて目がくらむ。
暗転する視界に思わず目をつぶると、せき止められていた涙が溢れた。
私はちゃんと、伝えられただろうか。
なかったことになんかできない、私の気持ち。
私は料理だけじゃない、何をやっても不器用で、最後まで一方的で、自分勝手だったけれど。
きっと、明日から、私は空っぽになる。
こんなにも鮮やかな毎日は、姫条がいない、それだけで空っぽの黒に覆われる。
でも、 それでも私は、今も、そして多分これからも、姫条のことが好きなんだ。
大好きで、きっと、苦しいんだ。
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