確かに、私が好きになったのは、優しい真咲先輩だけど。
誰にでも優しい先輩を見ると、なんだか嫌で、不安になる。
真咲先輩を好きになってから、私の気持ちは矛盾だらけだ。
【…少しばかり、優しすぎる】
今まで気づかなかったのはきっと、共有する世界がアンネリーだけだったからなのだろう。
有沢先輩の歳はわりと近いけど、他にいる女の人はみんな、ずっとずっと年上の人だったから。
こんな風にヤキモキして、嫌な気持ちで先輩を見たりしなかった。
最近、悩んでいる。
真咲先輩の優しさについて。
大学に入って1ヶ月、新しくできた友達にそのことを打ち明けたら、「なにそれー、ノロケ?」と笑われた。
ノロケなら、どんなに楽だったろう。
そうあって欲しいのに、どう頑張ったって、この感情が思うように形を変えてくれることはない。
ことの発端は、今から3週間ほど前にさかのぼる。
それは入学してすぐ、仲良くなった子たちが大学に入ったら何かサークルに入ろうと思ってたんだよねと口をそろえて、
真咲先輩の友達の櫻井先輩が、卒業前に何かをしでかしたいと思いついてサークルを立ち上げたときのこと。
考えてみれば、私と真咲先輩は、嵐というか祭りの人ごみというか、とにかく圧倒的な外的要因でそれに巻き込まれただけ、の話なんだけど。
そう、そのサークルに真咲先輩と私は当たり前のように引っ張りこまれて(私の友達は喜んで足を踏み入れた)、
まあ、なんだかんだで小規模な、でもおかしな団体が誕生したのがきっかけだった。
舞台は、新歓コンパ。
そこにいたのは、サークル長を務める櫻井先輩と、副長を押し付けられた真咲先輩。
私と私の友達3人と、櫻井先輩の友達数人と、その人たちが声をかけて集めてきたやっぱり新入生の女の子4人。
全部で15人にも満たなかったと思う。
別に居酒屋でいいんじゃん?と櫻井先輩は言ったけど、新入生は未成年だからと真咲先輩が頑なに阻止したから、
小さなイタリアンレストランの奥の一部を借り切ってやることになった。
「それじゃあ、櫻井の会発足と、新入生の入学を祝って、かんぱーい」
「かんぱーい!」
コンパは、何事もなく、とても楽しく進んでいた。
櫻井先輩が話題を振ってその場を盛り上げて、
ノリに着いていけない子がいると、真咲先輩がさりげなくフォローする、という絶妙なコンビネーションがあったからだと思う。
私の友達もすごく楽しそうにしていたし、もちろん私も、楽しんでいた。
……途中までは。
「おい、大丈夫か?」
私の席の、左斜め前の位置。
そこからふと聞こえた声に、私はそのとき食べていたきのこのパスタから視線を上げた。
そこは、真咲先輩の席だった。
パスタをつつく手を止めずに、意識だけそっちにやっていると「なんか気持ち悪くて……」という声が聞こえた。
「げ、酒飲んだのかよ。未成年は飲むなっつったろ?」
「え、飲んでないですよー」
「……って、それ、櫻井のグラスだっての」
「あれ? ウソ、でもこれ、ジュースでしたよ」
「カクテルだよ」
手を伸ばして、飽きれたようにグラスを取り上げて、真咲先輩は立ち上がる。
その先には、櫻井先輩の友達が連れてきた、私も今日が初対面の新入生の女の子がいた。
「確かに甘いけど、アルコール入ってんだぞ。おい、大丈夫か?」
「うー……吐くかもしれないです」
「うわ、おい、ちょっとこっち来い」
見ていると、2人は立ち上がり、席を離れていく。
トイレに行くんだろうな、と思った。
口元を押さえて、よろよろと歩く女の子の背中を見ながら、大丈夫かな?と思った。
そして、その心配の隅っこから、もう1つ。違う感情が顔を出す。
その背中を支えるみたいに、伸ばされた真咲先輩の手に。
ちくり、と胸が痛んだ。
それは、嫉妬だった。
よく考えてみれば、たまに、違和感はあったんだ。
例えば、付き合う前、先輩が学園祭に来たときだとか。
一緒に廊下を歩いたとき、大きな荷物を持った子が走ってきて先輩にぶつかった。
そのとき先輩は、大丈夫か?とぶちまけた荷物を全部拾って、結局その荷物を目的の場所まで運んだ。
数分だったと思う。それなのに、その子と先輩の会話はすごく弾んでいて、帰り間際、お詫びにと出し物に使っていた飴を大量にもらった。
アンネリーでもそういうことがあった。
中学生くらいのお客さんだったと思う。1週間くらい毎日やってきて、必ずガーベラをじっと見ているお客さんが来ていたときのこと。
私と有沢さんが、「プレゼントですか?」と聞いたら逃げるように帰ってしまったのに、
その翌日、私がエプロンをつけて店頭に出ると、真咲先輩とその子が笑いながら話していた。
子どもにもよくモテる。
先輩が大きな背中をぐっとかがめて、「大丈夫かー?」と笑うと、泣き止んだ子どももいた。
先輩はぶっきらぼうだけど優しくて、そう、イメージとしては、近所のお兄ちゃん、みたいな。
すごく困っている人の張り詰めた何かを、ふっと解いてしまう人。
無意識なのだと思う。
だって、狙ってできることじゃないし、下心を持ってそういうことを器用にやってこなす人じゃないことは、私がよく知っている。
私がバイトで失敗して落ち込んでいると、「気にすんな」って、痛いくらいにバンバン叩くくせに、
初めてキスをしたとき、私の腕を掴んだ先輩の手の力は信じられないくらい繊細だったんだ。
分かっている。
先輩にそんな気がないことくらい、分かっているのに。
無意識の、飾り気のない優しさは、先輩にしかない素敵なところで、私はそんなところが大好きなのに。
「おい、櫻井」
「ん? どした?」
仕切りの外、人が戻ってきた気配に、私は耳をそばだてる。
姿勢をずらして視線を向けると、真咲先輩が一人だけ、そこに立っていた。
「あの子、間違って酒飲んじまったみたいでよ」
「げ、マジ?」
「おー。先、ちょっと送ってくるわ。30分くらいで戻ってくるから」
「悪い、頼む」
会話はそこで途切れて、櫻井先輩が席に戻ってくる。
櫻井先輩の影、真咲先輩の背中が遠ざかっていくのが見えた。
「あ、ちゃん」
視線に気づいたんだろう、櫻井先輩が私に声をかけた。
そして、ちょっと困ったように、笑う。
「ごめん、今日車で来てるの、真咲だけでさ」
「はい、大丈夫ですよ」
私も笑った。
だって、真咲先輩に変な気がないことくらい知っている。
困っている人を、放っておけない人。頼りがいがあって、人に気を使わせない人。
分かってる、知ってる――だから、大丈夫。
でも、本当は不安で、嫌でたまらなかったんだ。
だって、そういうときの先輩は、すごく魅力的なのもよく知っている。
困っているときに、弱っているときに優しくされたら、どういう気持ちになるかも分かってる。
もしかしたら、あの子も―――
最近、悩んでいる。
真咲先輩の優しさについて。
私は、優しい真咲先輩が大好きだけど。
彼は、ちょっと優しすぎる、のかもしれない。
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