きっかり30分、戻ってきた真咲先輩に、私は何も聞かなかった。
先輩も何も、言わなかった。

何も、あるはずがない。
不安になるのは、私が嫉妬なんかしてるからだ。
何もない、何も、変わらない。



きっと、大丈夫。






【束の間の休息】






「かくれんぼしよう」
「……は?」
「かくれんぼ。あれ、知らねえ?」

いえ、もちろん、かくれんぼくらい知ってますが。
昼休みのキャンパス、中庭のベンチで真咲先輩と櫻井先輩とお昼ご飯を食べていたら、急に櫻井先輩が突拍子もないことを言い出した。
かくれんぼ? なぜ大学生になった今、かくれんぼ?
頬張っていたベーグルサンドは見事に喉に詰まって、私は手元にあった真咲先輩のコーヒーで慌てて流し込んだ。

「サークル作ったのにさ、新歓コンパ以来何もやってねーじゃん」
「それは櫻井がロクに活動内容も考えないで適当に作ったからだろ? そもそも、なんなんだよ“櫻井の会”って」
「俺が作った会だから、櫻井の会。妥当じゃん」
「どこがだよ」

呆気にとられて櫻井先輩を見ながら、今度は自分のウーロン茶を鞄から取り出して一口飲んだ。
本当は甘党なくせに、 真咲先輩が普段飲むコーヒーはなぜかブラックだから、私にはちょっと苦すぎる。
やっとのことで喉元を落ち着かせると、真咲先輩が私を振り返った。

もなんか言ってやれよ」
「あー……ええと、かくれんぼ、ですか」
「そう、かくれんぼ! 楽しそうじゃない?」
「バーカ。ふざけんなっつの」

真咲先輩は冗談じゃない、と手にしているコロッケパンにかじりつく。
私はまさか「バカ」なんて櫻井先輩に言えるわけないし、だからと言って無視を決め込むこともできないから、
なんとなく焦った気持ちで櫻井先輩と真咲先輩を交互に見る。
かくれんぼ。
まあ、すっごく楽しそう、というわけじゃないけど、別に嫌でもない。
本音を言えば、別にいいですよ、というところだけど、真咲先輩が本気で嫌そうなところを見ると、そう簡単に賛成するわけにもいかない。
でも、結局どうなるかはなんとなく分かっていた。
入学して1ヶ月、この2人のやりとりは、面白いほどワンパターンだ。

「ってことで、次の日曜、午後3時。西講義棟前集合で」
「え、おい、何勝手に決めてんだよ。オレは行かねーからな!」
ちゃん、来るよね? ってか、来て。先輩命令」
「は、はあ」

言い出したら絶対に曲げないのが櫻井先輩。
そして結局いつもイヤイヤながらも付き合っちゃうのが真咲先輩。
そんな2人を見て、結構いいコンビだなーと思ってしまうのが、私。

「……マジかよ」

ひらひらと手を振って日課の図書館通いに行く櫻井先輩を見送りながら、真咲先輩がため息をつく。
どうやら今回も、今までのパターンに漏れない、らしい。










というわけで、日曜日。
午前中は真咲先輩のアパートでなんとなくぼーっと過ごして、お昼が過ぎた頃、渋々2人で講義棟前に向かった。
着いたのは、2時45分。一番乗りだった。

「ったくアイツは、呼び出しておいてまさか遅刻なんてしねーよな」
「分かんないですよ、結構いつも遅刻気味ですし」
「だーよなあ……」

無視して帰っちまおうかとか、もしかしたら他の奴は誰もこないんじゃないかとか、
そんなことをグチグチ言い合っているうちに、ちらちらと人が集まってくる。
櫻井先輩の友達の何人かは就活が忙しいらしくて来られないと言っていたけれど、他の人は来ると聞いている。
時計が3時を差す頃には、ほぼ、この前のコンパのときのメンバーが顔を見せていた。
その中にはもちろん、あの子、もいた。



あのコンパの日以来、私は日ごとに、あの子の様子が気になるようになってしまった。



櫻井先輩に言っていたとおり、ぴったり30分で帰ってきた真咲先輩に、私は何も聞かなかったし、
おかえりと笑った私に、真咲先輩は参るよなと一言、そう言っただけだった。
そのやり取りはとても自然で、いつもどおりで、だから何も変わらないと思ったけれど、それでも。
なんだか嫌な感じがして(第六感、というヤツだろうか)、落ち着くことができずにいた。

例えばあの日の帰り、先輩の車の助手席に座ったときに感じた、微妙なシートの位置の違いだとか。
(ああ、あの子は助手席に乗ったんだ)
翌日、先輩と一緒にアンネリーで仕事をしていたらあの子がやってきて、
「昨日はごめんなさい、ありがとうございました」と、手作りクッキーの差し入れをくれたこととか。
(先輩が今日、ここでバイトをしているってなんで知ってるんだろう)
そのとき、あの子のクッキーの箱を持った手が、少し、震えていたこととか。
(ちょっと染まった頬が、私から見てもすごく可愛かった)

あの子の気持ちに、何か変化があったらどうしよう。
真咲先輩を、好きになっていたらどうしよう。

私は真咲先輩が好きで、真咲先輩も私を好きだとい言ってくれるけど、それが明日もあさっても、ずっと変わらないなんて保障はどこにもない。
人間の気持ちは、些細なきっかけで、ある日突然変わってしまうんだ。
それは、私が真咲先輩に恋をしたときのように。

(あんなに可愛い子に好きって言われたら、先輩の気持ちだって変わっちゃうかもしれない)

信じる、なんて言葉は薄っぺらいから嫌いだ。
そんなこと宣言したところで、結局何も変わらない。
私の感情なんかお構いなしに人の心は変わっていくのだから、私はそのときの覚悟を常にしておくくらいしか、できることはない。





結局10分遅刻してきた櫻井先輩に、いつもみたいに真咲先輩が「おまえなあ」と怒って、その5分後。
懐かしいホイッスル(どこから持ってきたんだろう)の音と共に、私たちのかくれんぼが始まった。





ということで、ええと、どこに隠れたらいいもんでしょうか。
キャンパス全て、なんてちょと広すぎるんじゃないかと思ったけれど、休日だから講義棟はしまっていて、隠れるなら草むらかどこか、ということになるんだろう。
意外と場所は少ない。
一番に見つかった奴は夕飯おごりな、なんて櫻井先輩が思いつきでものを言うから、結構本気にならないといけなくなってしまった。
ベンチの下、なんてどうだろう。
いや、丸見えな上に、さすがにうら若き乙女が地面にはいつくばって隠れるのは避けたい。
どこにしようかって、草むらをさまよってる時点で、乙女としては失格かなーとも思うけれど。

しかし、運がないときは、とことん運に見放されるもんだな、と思う。
先輩が鬼になってしまった――あの子と、2人で。

校舎裏の非常階段を2階まで上ると踊り場に壁があって、外からは死角になっているのに気づく。
うん、ここなら。ここならきっと、一番には見つからないだろう。
膝を抱えて座ってから、私はゆっくり、考え事を始めた。



今頃2人は、どこで誰を探してるだろう。
鬼は2人、そう言い出したのは櫻井先輩だった。
櫻井先輩はとぼけて見せて、頭の悪い人じゃない。
きっと、新入生の女の子が一人で鬼になったときのことを考えていたんだろう。

結果的に、間違いじゃなかった。
あの子が一人で鬼をやるのはさすがにかわいそうだし、私がなっていたら、と考えても、やっぱりひとりぼっちの鬼は嫌だ。
でも、なんで、先輩とあの子が2人なんだろう?
櫻井先輩とあの子でも、私とあの子でも、櫻井先輩と真咲先輩でも、もちろん他の人でも――組み合わせはいくつもあったはずだ。

各々のじゃんけんの出し手の確率は「同様に確からしい」のだと、高校のとき数学の授業で習った気がする。
“同様に確からしい”――らしい、ってなによ。
どうせなら、「同様に確かだ」にしてくれれば、すっきりするのに。
そんな曖昧な言い方するから、あの子がじゃんけんに負けて、先輩も負ける確率が高くなったのかもしれないじゃない。
単なる偶然と言い切れるならすっきりするのに、もしかして運命、なんて思ってしまう。(私は乙女だ)
ふざけてる、スッキリしない、こんなの。
ふざけてるのは私の思考で、すっきりしないのは私の気持ちなんだろうけれど、
八つ当たりでもしなきゃやっていられないんだから、本当に私はどうしようもない。



抱えた自分の膝小僧から視線を外して、空を見上げた。
快晴。ちぎれ雲は、どこまでも穏やかに流れていく。

「あーあ……」

無意識に、ため息が声になる。
2人が一緒に行動していると思うと、それだけで気分が曇っていく。
さっきまでは、この空みたいに穏やかな気持ちで白い雲を見上げていたのに。
いつから私は、こんなに嫉妬深くなったんだろう。

「お、誰かいんのか?」

人の声に、はっと我に返る。
しまった、今はかくれんぼ中だから、気配は出来る限り消しておきたかったわけで。
いませんよーと心の中で唱えながらも、近づいてくる足音に、ああ、見つかるんだろうな、と思った。
でも、もしかしたら、それでもよかった。
だって聞こえたのが間違いなく先輩の声だ、と、分かってしまったから。
夕飯代くらい。早く私が見つかって、先輩とあの子が2人きりじゃなくなるんだったら、それもいいのかもしれない。

「真咲先輩?」

私が返事をするのとほぼ同時、階段を上ってきた先輩と目が合った。
先輩は「お」と短く声をあげ、そしてその後、眉尻を下げて噴出すみたいに笑った。

見っけ」
「ちぇっ、見つかったか……って、なんで笑ってるんですか? 先輩」
「かくれんぼで、“いますかー”って聞かれて返事する奴、初めて見たから」
「……さようでございますか」

笑う先輩に小さく笑い返してから、その後ろにいるだろう影を探して視線を泳がせる。
でもいくら待っても探しても、その姿は見つからない。

「あれ、先輩一人ですか?」
「おー。まず手分けして探すことにした。んで、ある程度見つけてから、しらみつぶしに2人で、って」
「へえー」

しまった。
ほっとしたのを知られたくなくて、努めて普通に出した声は、意識しすぎて少し上ずってしまった。
慌てて、膝小僧に視線を戻す。
いつできたんだろう、もしかしてさっき場所を探したときかな? 私の右ひざ、一部分が赤くなっている。

私、一番目?
聞いたら、多分な、と返事が返ってきた。
そっか、じゃあ罰ゲームだね。笑ったら、先輩も笑って。
そして、なぜか私の隣にどっかりと腰を下ろした。

「……先輩?」
「ちょっと休憩」
「いいんですか?」
「さあ、いいんじゃねえの? どうせ櫻井も図書館あたりでサボってんだろ」
「でも、鬼が休憩……」
「鬼だって、休むときは休むんだよ、知らねえけど」

先輩は、さっき私がしていたみたいに、空を見上げた。
いい天気だな。
頷いて、もう一度空を見上げると、そこには変わらない、ちぎれ雲が漂っている。
違って見えるのはきっと、隣に先輩がいるからなんだろう。



そうして5分くらい、私たちはただ並んで、空を見上げていた。
会話らしい会話はしなかったけれど、それでもぎこちなさを感じなくなったのは、ごくごく最近のこと。
私たちは、少しでも恋人らしくなっているのかな?
付き合って1ヶ月、どうしても先輩後輩の関係がなんとなく抜けないままで、
とりあえず、今実感できるのは、こういう時間の共有の仕方を出来るようになったことくらいだけれど。

「じゃ、オレそろそろ戻るわ」
「あ、うん、じゃあ私も」
「いいよ、ここにいろ」
「え、でも掴まったのに」

真咲鬼に。
私の一言に先輩は頬を緩めた。

「オレ、休憩中だったから。見逃してやるよ」
「いいの?」
「ああ、図書館行って、先に櫻井捕まえてやんねーと。言いだしっぺなんだから、責任とってもらおうぜ」
「いいのかなあ」
「いいんだって」

浮かした腰をどう落ち着けたらいいか分からなくて、中腰のまま。
首を傾げたら、先輩は私の額にデコピンを1つ。
額を押さえて、睨むふりをしながら頬を膨らませて見せたら、変な顔、と今度は頬をつつかれた。

「誰か見つけて……そうだな、15分くらいしたら、ここに迎えにきてやるよ」
「鬼が? 迎えにくるのは王子様じゃないんですか?」
「……どこに姫がいたかなあ」
「あ、ひどい」
「ひどいのはどっちだ。大人しく待っとけよ」
「はーい」

今度こそ座りなおして、そして手をひらひらと振る。
行かないで、なんて、姫じゃあるまいし、恥ずかしいから言わないけど。
でも、言葉にしなくてもしっかり考えてしまっているのだから、私はどこまでも可愛くない。

先輩が、私に背中を向ける前、ふわり、と笑う。
あ、好き。今の顔、すごく好き。
独占したい。
保障なんてどこにもないけど、いつまでも、この笑顔が私だけのだったらいいのに。
私の独占欲は、どこまで強いんだろう。
知ったら先輩は、呆れるのかな。

目の前の大きな靴のつま先が、私に背を向ける。
やだ、いやだ、行かないで。
咄嗟に掴んでしまった、ジーンズのすそ。

私のわずかな、でも確かな力に、先輩が振り返る。
何気なく向けられた視線すら、愛おしくてたまらない。

「ん、どした?」
「……」

行かないで、ここにいて。

?」
「……」

あの子と2人に、ならないで。
ここに。

「……」
「……」



ここに、いて。



黙って、つまんだすそをじっと見ていた私を、先輩はどう思ったんだろう。
ため息が聞こえた気がした。
でも、顔を上げたら、その視線の先にあったのは、思ったよりずっと近い位置にある、先輩の優しい顔。

ちゅ、と。
口先が触れる。

「……え?」
「は?」

まだ間近にある先輩に、問いかける。

「なんでキス?」
「ダメだったか?」
「え、あの、いえ、別に」
「じゃ、いいじゃん」

顔に血液が集まるのを感じた。
きっと今、私の顔はすごく赤い。

「……その顔は、もっかいして欲しいってことか?」

え、遠慮します。
私の返事に、先輩は私の頭をぐちゃぐちゃにかき回して。
いい子にしてろよ、と、今度こそ背を向けた。






幸せだな、と思う。
こんな風に、どうでもいい時間を一緒にすごして、何てことないやりとりをして。キスをして。
先輩はいつだって優しくて、だから、嬉しくて。

気にしている私がバカなんだ。
本当に何もない、だから、大丈夫。
醜い嫉妬なんて、今度こそ本当に終わりにしよう。



そう、思ったのに。



それから15分が過ぎても、30分が過ぎても。
先輩が私を迎えに来ることはなかった。






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