笑いたかったんじゃなくて、泣きたかったんだ。
手を振りたかったんじゃなくて、手を繋ぎたかったんだ。



大丈夫だ、と思って欲しかったんじゃない。



本当は、大丈夫なふりをしていることに気がついて欲しかったんだ。






【光と隣り合わせの闇】






日向だったその場所が、日陰に変わった。
空に浮かぶ雲は、相変わらずゆったりと漂っているけれど、でも、光の色はだんだんと勢いを弱めている。

(15分どころか、もう1時間以上経っちゃったじゃん)

先輩が来ない。
校舎裏の非常階段で、膝を抱えなおす。
視線を落とすと、さっき見つけた膝の赤が、青く変色してあざに変わっていた。



不安なときや悩んでるときは、一人になっちゃだめなんだ



受験の前だったかな。
放課後、帰り道の途中にある公園で、私がベンチでぼーっと空を眺めていたら、
偶然、アンネリーの配達で通りかかった真咲先輩にそう言われたことがあった。

「不安や悩みってな、考えれば考えるほどでっかくなってくから」

病は気から。
まあ、さすがに病気とは違うけど、似たようなところがあるから。
一人になっちゃだめだ。考えごとに絶好の環境を作っちまうからな。

なるほどなーって頷きながら、それでもうまく笑えなかった私に、真咲先輩は眉尻を下げて笑ってくれたっけ。
あの大きな手は、私の頭の上で、繊細に動いていた。





先輩の言ってたとおり、不安はどんどん膨らんでいく。
15分でくるって言ったのに。
先輩は鬼で、私は姫じゃないけど、それでも15分したら、迎えに来てくれるって。

何かあったんじゃないか。
でもそうだとしたらかくれんぼなんてとっくに中止で、誰かが私の携帯に連絡をくれるはず。
携帯は鳴っていない。じゃあきっと、そんなに深刻なことは起こっていないはずだ。
じゃあなんで、なんで先輩はここに来てくれないんだろう?
忘れちゃったのかな、それとも誰も見けられてないのかな、それとも――

それとも、あの子、と。
何かあったのかな。

本当に先輩の言うことは正しい。
一人で、こんな場所にいるから。
私の不安は、どんどんかさを増していく。

あざのできている膝を、もう一度ぐっと抱えなおして、そこに顔を伏せる。
一人じゃなかったら、ここに、真咲先輩がいたら。
きっと笑うのに、どきどきするのに忙しくて、こんなにちゃんと考え事なんてできなかったはずなのに。





涙の予兆に、すん、と鼻を鳴らしたときだった。

「あ、ちゃん見っけ」

上から聞こえた声に慌てて顔を上げる。
そこには、櫻井先輩の顔があった。

「……櫻井、先輩」

かすれていた。きっと、ずっと声を通していなかったからだ。
櫻井先輩の顔に、心配の色が浮かび始める。
私は慌てて笑顔を作って見せた。

「先輩、まだ見つかってなかったんですか」
「うん、おせーよな。あいつら。探すの下手すぎ。飽きてきた」
「どこにいたんですか?」
「最初は図書館。でも、それも安易ですぐに見つかりそうだなーと思って、その辺ふらふらしてた」
「あはは、確かに。真咲先輩には見つかっちゃいますね」

多分、うまく笑えていたんだろう。
櫻井先輩も私を見て、にへらっと笑う。
そして、私の隣にどかっと座った。

「ってかさ、ちゃん探してたんだよね」

ポケットから缶のカフェオレを取り出しながら、櫻井先輩が言う。
真咲先輩と違って、櫻井先輩はいつも甘い飲み物を飲んでいる。
飲む?と差し出され、私は首を振った。

「え、何で」
ちゃんといれば、罰ゲームは避けられそうだと思って」
「……何でですか(バレてるのかな)」
「真咲、ちゃんのこと愛しちゃってるから」
「え」
「すっげー大事にしてるから、捕まえたりしないだろうな、と思って」

櫻井先輩の言葉に、私はそうだといいんですけど、と照れ隠しみたいに振舞った。
否定なんか、できるはずがない。
だって、真咲先輩は私を大事にしてくれている。本当に捕まえたりしなかった。

「優しいよね、真咲」
「……はい」

ぐっと、カフェオレに口をつけて、櫻井先輩が缶を足元に置く。
コンクリートの地面にぶつかって、からん、と空洞に音が響いた。
最後の一口だったらしい。
その音に促されるみたいに、櫻井先輩に視線を持っていく。
目が、合った。
おかしい、だって、櫻井先輩は真咲先輩より少し背が低くて、骨太だけどかなり細身なのに。
さっき、隣にいるのが真咲先輩だったときは、すごく穏やかな気分になれたのに、今は、少し圧迫感がある。
真咲先輩より小さい櫻井先輩に、圧迫と緊張を、感じる。
真咲先輩じゃないだけで。こんなに違和感を持つほど、私は真咲先輩に慣れていたのかな。

「優しいけどさ、でも、本当は捕まえて欲しいんじゃない?ちゃん」
「……あの?」
「だって、すごく寂しそうな顔してる」

おかしいな。
私は、笑っているはずだ。
笑えている、はずだ。

「やだな、寂しくなんか」
「ほんと?」

ほんと?
ほんとに私は、笑ってるの? 笑えてるの?
笑いたい、の?

「……」

ぐっと、押し黙った私の隣。
櫻井先輩が、困ったみたいに、ふっと笑う。

「あー、腹減った。終わり終わり」

櫻井先輩は携帯を取り出して、通話ボタンを、押した。






かくれんぼは、あっけなく幕を閉じた。
櫻井先輩がみんなに電話をかけるとほとんどの人は掴まっていて、櫻井先輩は「俺らが隠れ上手?」と首をかしげていた。
真咲先輩がどうしているか、櫻井先輩は何も言わなかった。
短い電話だったから、そんな話にはならなかったのかもしれない。
だから私も、聞かなかった。



集合場所に戻ると、みんながいた。
私の友達、櫻井先輩と真咲先輩の友達、新入生の女の子――

――真咲先輩、と、その背中の上の、あの子。

どくり、と心臓が音を立てる。
女の子を背中にしょった真咲先輩は私を見つけて、(ごめん)と、左手を小さく顔の前に当てた。



どうしたんですか、と、聞きたいなと思ったときだった。
櫻井先輩が私の横を通り抜けて、真咲先輩のところへ一直線に向かっていく。

「おせーと思ったら真咲、どうしたんだよ。君も」
「土手んとこ探してて、転げちまったんだよ」
「すみません……」
「うっわー、大丈夫?」
「はい……その、本当にごめんなさい」
「や、大丈夫ならいいけど」
「足、ちょっと捻ってるけど、まあ大丈夫だろ」

ああそうなんだ。だから先輩は来なくて、ああ、そっか、そういうことだったんだ。
遠くからそのやり取りを見ていたら、友達に肩を叩かれた。

、お疲れ」
「あ……うん」
「今ちょっと前ね、あの子派手に転んじゃって、グラウンド側大騒ぎだったのよ。誰も掴まってなかったのに、みんな何事かー、って出てきちゃって」
「そうだったんだ」
と櫻井先輩だけ裏側にいたから、今、中止だよって電話しようって話てたとこ」

あの子を見た。
真咲先輩の前のほう、まくったジーンズから膝が見えている。
血がでていた。痛そう、だった。

「すみません、なんだか雰囲気壊しちゃって」

しきりにあの子の謝る声が聞こえる。
いいんだよ、そもそも櫻井のバカ企画なんだから。
真咲先輩はぶっきらぼうに、そんなことを言いながら笑っている。

「じゃあ、今日は解散だな。飯はまた今度、ってことで」

櫻井先輩の一言で、みんなが声を掛け合いながら、ぱらぱらと散っていく。
私も、じゃあまたね、と手を振られたから、振り返した。
隣の友達が、一度、心配そうに「大丈夫?」と私の顔を覗き込んだ。
「何が?」と笑って見せたら、ほっとしたような笑顔が返ってきた。
その子にも手を振った。
向こう側、あの子を背負った真咲先輩が、こっちに向かってくるのを気にしながら。



「ごめんな」



たどり着いた真咲先輩が最初に発した一言は、それだった。
私は笑う。

「何謝ってるんですか、緊急事態ですもん。……あの、大丈夫?」

笑って、真咲先輩の背中に声をかける。
夕日の中でも分かるくらい、その子は顔を赤くして、小さく頷く。
そして、私と真咲先輩を交互に見て「ごめんなさい」と言いながら、もう大丈夫です、と身をよじった。

「だめだよ、捻ってるときに無理して歩いちゃ」
「うん、でも……」
「先輩、もちろん、送ってってあげるんですよね?」
「ああ、通り道だしな」
「そんな! 申し訳ないです」
「そんなことねえよ。な、
「うん」

笑顔のまま、私は頷く。
耳鳴りがうるさい。
まるで、私の本心を隠すみたいに、耳のおくのほう、きーんと甲高い音がなる。

私が、真咲先輩の彼女だから。
この子は気を使っているんだろう、さっきから、私と向かいあう真咲先輩の後ろ、居心地悪そうに視線を泳がせる。



「――先輩、私、これから、友達とご飯食べに行くことになっちゃって」



どうしてだか分からない、咄嗟、だった。
そんなウソが、私の口から、簡単にぽろっと出て。
なんで、と思いながら、へへ、と笑った。

「ちゃんと、送ってあげて下さいね」
「え、
「ごめんなさい、待たせてるんで」

じゃ、またね。
手を振る。
なんで、どうして私はこんなこと。

背中を向けて、足を進める。
つきん、と膝が痛んだ。
そうだ、あざができたんだっけ。
私もさっき、多分どこかにぶつけて。



  痛いよ。先輩、私も足、痛い。



まるで駄々っ子みたいな気分になって、今度は目の奥のほう。
耳鳴りに共鳴するみたいに、痛みが走った。
今度こそ、確かな涙の予兆。

急ぐふり、小走りで振り返って、もう一度ぶんぶんと手を振って。
笑った。
角を曲がって、速度を緩めたら、なぜかそこに回り込んでいた櫻井先輩に腕をつかまれた。

「……言ってみたら、真咲に」
「あ、櫻井、先輩」
「捕まえてて、って。優しくするのは私だけにして、って」
「何で――」
「真咲があの子優しくすんのは特別でもなんでもなくて、真咲がああいう奴だからだと思うけど」

大丈夫です、と、下を向いた。
真咲先輩があの子を車の助手席に乗せたのも、アンネリーの話をしたのも、さんきゅってクッキーを受け取ったのも。
今日、ああしておんぶして、大丈夫か、って心配そうに笑うのも。
今櫻井先輩が私にしてくれてることと同じで、全部そういうことで、私が勝手に不安になってるんだ、ってことくらい。
分かってる。
分かってる、だから私は、大丈夫、ってそう言ってるんだ。

「何で、嘘なんかついてんの?」

どっちのことを言ってるんだろう。
大丈夫って言ったことかな。それとも、こうして真咲先輩のところから走ってきたことかな。
――なんで?
なんで私はこんなことをしてるんだろう。
走った後、呼吸は荒い。でも、涙がこぼれそうで、ぐっと唇を噛んだ。



(なんで? ……そんなの、ほんとは分かってる)



笑いたかったんじゃなくて、泣きたかったんだ。
手を振りたかったんじゃなくて、手を繋ぎたかったんだ。
大丈夫だ、と思って欲しかったんじゃない。

本当は、大丈夫なふりをしていることに気がついて欲しかったんだ。

寂しかった、嫌だった、不安だった。
でも、そんなの全部私の我儘で、先輩は本当に優しくて、だから私は私だけ、ダメな女の子になるのが嫌で。
そんな意地汚いこと。言えなかった。
でも結局、こんな平気なふりをして、それに気づいて欲しいなんて、もっとダメな女の子なのかもしれない。

「いいんじゃねーの? 我儘くらい。そんなの笑って受け止めるよ、真咲」

泣き出した私の隣。
櫻井先輩がぐしゃぐしゃと、私の頭をかき回した。



かき回した、から。



真咲先輩が私を追ってきてくれたことに、すぐそばで、真咲先輩が私を見ていることに。
私は気づかなかった。






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