どうして欲しい、なんて、そんなの決まってる。
私が真咲先輩にして欲しいことなんて、それはずっと前、私が真咲先輩に恋をしたときから変わらない。
願いは1つ。
これから先も、真咲先輩が私を好きでいてくれたら。
この気持ちは、どうしたら伝わるんだろう。
分かってるのに、簡単なことなのに、それでもちっとも形になんかできないんだ。
形になんか、ならないんだ。
【お疲れ様、ありがとう】
私の頭の上で動き回っていた手が、ぴたりと止まる。
泣きながら、視線を上げた。
そこには、櫻井先輩の顔があって、その目は遠くを捉えている。
つられるように顔を動かすと、そこには真咲先輩がいた。
「真咲ー、どした?」
櫻井先輩は、私の頭の上の手を、2度上下にぽんぽんと動かす。
ぶっきらぼうな真咲先輩のそれとは違って、すごく柔らかな動きをする。
それでも、真咲先輩の手に安心するのは、きっと私が真咲先輩に恋をしているからなんだろう。
櫻井先輩は手を離して、真咲先輩の方へ近づいていく。一歩、二歩、と。
「櫻井」
真咲先輩は、ちょっと表情を強張らせていたけれど、すぐに、力を抜くみたいに、ふっと息を吐く。
そして、私を見て、櫻井先輩を見て、口を開いた。
「、なんか変だったから」
「ふうん。さっき背中にいた子は?」
「あっちで座ってる」
私から数歩離れた場所、真咲先輩と櫻井先輩が向かい合っている。
追って来てくれたことに、驚きながらも、内心ほっとしたりして。
そしてその裏側では、意地っ張りな私がしぶとく耳鳴りを鳴らしている。
「櫻井、悪い、頼んでいいか?」
「念のため聞くけど、どっちを?」
「……分かんだろ」
「いいから答えろよ」
真咲先輩は、何て答えるんだろう。
本当は、分かってるのに。
真咲先輩が泣いている私に気づかないことはあったとしても、泣いている私を放っておいたことなんて、
今まで、ただの一度だってなかったんだから。
それでも、私は詰まるような喉にぐっと力を入れて、息を飲んだ。
先輩は、なんて答えるのか。
知りたくて、でも知りたくなかった。怖かった。
先輩が口を開く。
ちょっとだけ、居心地悪そうに。
「、が、心配なんだ」
その返事に、櫻井先輩は笑った。
櫻井先輩があの子のところに向かうのを、ぼんやりとした視界で見送ると。
私と真咲先輩は、2人だけになった。
涙はなんとか押し込めることが出来たけど、それでもこれだけ視界が霞んでいるんだから、もう隠すことなんてできないんだろう。
「」
なんとなく、真咲先輩の方を向けなかった。
「うん」とだけ返事をして、視線は地面に向ける。
「、こっち見ろ」
「なんでですか?」
「いいから」
先輩が、私に近づく。
一歩、二歩。
三歩。
逃げ出したいと思った。
恥ずかしい、嫌だ、見ないで、かっこわるい。
もう、素直に泣き出してしまえばいいのに、私は歯を食いしばる。
私のつま先に、先輩が作った影が落ちる。
目の前にいるのに、私はまだうつむいているのに、
先輩はただ、とがめるように「」と一度名前を呼んだだけで、他には何もしなかった。
例えば、顔を両手で挟まれて、ちょっと力を込められたら、それだけで。
私はすんなり上を向いてしまうんだろうけど、先輩はそれをしなかった。
先輩は、私に望んでいるんだ。
私が私の意志で、顔を上げることを。
待っているんだ。
私が私の決心で、先輩と向き合うことを。
「」
もう一度、名前を呼ばれた。
それでも先輩の影は私の視線を引き付けたまま、私の口はまた、勝手な言葉を拾う。
「……真咲先輩、どうして追いかけてきたりするんですか。私、友達、」
「何言ってんだ、今更」
「あの子、いいんですか?」
「」
「あの子、心配じゃないんですか?」
「!」
強く名前を呼ばれて、顔を上げた。
怒られてるみたい、だったから。
先輩は私を見ていた。多分、最初から。
「、いい加減にしろ」
「だって」
「が心配だ、って言ってんだろ」
「別に私は」
別に私は――なんなんだろう。
別に私は、平気だから? 大丈夫だから?
どれも違う、本当は違うのに、私は今確かに、そんなことを言おうとした。
何が平気なんだろう、大丈夫なんだろう。
バカみたい、そんなこともう、とっくにばれてるのに。
だって、私は平気だから、なんて。
こんなとき、こんなタイミングで言ったらそれはもう、かまってください、と言っているようなものだ。
恥ずかしくて、視線を下に戻した。
「……なんなんだよ」
そこに混じったため息に。
先輩の影の上、私の涙が、こぼれた。
さっき、櫻井先輩は、真咲先輩に聞いた。
頼んでいいか?と聞いた真咲先輩に、どっちを?と。
真咲先輩は答えた。私が心配だ、と。
何か選ぶことは、別の何かを切り捨てることだ。
そう言っていたのは誰だっただろう。
もしそれが本当なら、真咲先輩は私を選んで、あの子を切り捨てた。
それでも、さっき私は思ってしまった。
先輩、答えになってないよ――なんて。
切り捨てて欲しかったんじゃない。
あの子を頼む、なんて、そういうことを言ってほしかったんじゃない、でも。
もし先輩がそう言っていたら、私はもっと早く、顔を上げたのかもしれないと思った。
だって、不安なのは、先輩が私を選んでいないんじゃないか、ってことじゃない。
私以外の何かを、切り捨てることができないんじゃないか――だって先輩は、優しいから。
選ぶことと、他のものを切り捨てることは似ているようで少し違うんじゃないかと思う。
だって、選ばれないことよりも、切り捨てられることのほうが辛いはずだ。
そんな、ほんの一つまみの優しささえ、全部私がもらいたかった、だなんて。
思ってしまうのはもしかして、選ばれた自信に、まだ確信が持てていない証拠なのかもしれない。
うつむいて、泣く私のちょっと上。
先輩の視線を感じる。
「、オレにどうして欲しいんだよ」
先輩の声がする。
「あのまま、アイツと2人で帰って欲しかったのか?」
「……」
「それとも、オレといたくなかったのかよ」
「ちが……っ」
「じゃあ、櫻井のがよかったのか? こんな風に、追いかけてこられたら迷惑だったか?」
「ちが! う……そうじゃ、なくて」
自分の声に、嗚咽が混ざるのに腹が立った。
卑怯だ、こんなの。
泣いて、私は大丈夫だから、なんて、健気でもなんでもない。
ずるくて、みっともなくて、情けないだけだ。
「じゃあ、何でこっち見ないんだよ」
見ないんじゃない、見られないんです。
言おうとするのに、素直な言葉は一つだって、上手く出てきてくれない。
私の喉はもう、不恰好なものを通しすぎて、形が変わってしまったのかもしれない。
あきれたみたいな、ため息が聞こえた。
「もう、分かったよ」
慌てて顔を上げたら、先輩の背中が見えた。
待って。
待って、行かないで。
涙だけがぼろぼろこぼれる。
、オレにどうして欲しいんだよ。
どうして欲しい、なんて、そんなの決まってる。
私が真咲先輩にして欲しいことなんて、それはずっと前、私が真咲先輩に恋をしたときから変わらない。
願いは1つ。
これから先も、真咲先輩が私を好きでいてくれたら。
他を切り捨ててほしいんじゃない、選ばれたのが、隣にいていいのが私なんだ、と。
先輩が好きなのは私なんだ、と、そんな些細な、でも確かな自信があれば、私だってもっと優しくなれるはずなのに。
この気持ちは、どうしたら伝わるんだろう。
分かってるのに、簡単なことなのに、それでもちっとも形になんかできないんだ。
形になんか、ならないんだ。
伝えたいことが、涙になって、呼吸になって、全部こぼれてしまう。
でも、きっと、それでも。
――そんな我儘、真咲は笑って受け止めるよ。
形になんかならなくてもいいことくらい、分かってたじゃないか。
多分、先輩を好きになった日から、ずっと。
「やだ! ま、さき……先輩!」
振り返らない背中を、必死に追いかけた。
さっき感じていた膝のあざの痛みなんてもう、全然感じない。
「いや、だ、行かないで、ここにいて」
やっと出せた、その言葉に。
振り返った真咲先輩は、眉尻を下げて。
ばかだなあ、って言うみたいに、あきれたみたいに、でもすごく優しく。
「オレだって、行きたくねえよ。ここにいたいよ」
笑った。
耳鳴りが、遠のいていく。
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