自慢じゃないど、誕生日だとか、付き合い始めたい日とか、そういう記念日は忘れないほう。
でも、自分以外のこととなると、なぜだか頭に入らない自覚は、なくも、ない。
「はい、志波、これ」
だからなんだ。
練習後、マネージャーがでっかい紙袋から取り出した小箱の意味がわからねえのは。
思わず首をかしげたのは、だから、なんだ。
「なんだ? これ」
「なんだって、今日、バレンタインでしょ。はい、義理チョコ」
鼻をつく甘い匂いに周りを見渡せば、同じ小箱を手にした部員があちこちでチョコレートを口にしている。
ああ、そうか、今日は。
【ハッピー・バレンタイン 1】
すっかり暗くなった大学の構内を歩く。
歩きなれた寮までの道はものの数分だけど、練習後の上り坂はいつも少しだけだるい。
しかも、冬も2月に入ると寒さはひとしおで、小箱を持った右手の指先がぴりりと痛む。
その違和感に促されるように、小箱を持ち上げて、そしてため息を吐いた。
(……だから、あんなこと……)
確かあれは、先週の土曜日だった。
オレの住む寮から電車で2時間弱の場所に住む彼女から、電話がかかってきたのは。
「ねえ、志波くん、来週の土曜日、志波くんのところ行ってもいい?」
大学に入って、高校のときほど頻繁に顔を合わせることはなくなって。
でも、会いたいだとか寂しいだとか、そういうことは滅多に言わない彼女だったから、あの一言には正直とても驚いた。
珍しい申し出だったから、聞いてやりたいと思ってカレンダーを見た。
「あー、悪い、練習入ってる」
「そっか……」
まだ学生のオレたちにとって、バイトで稼ぐわずかな給料は貴重だったから。
夜しか一緒にいられないような日は、なるべく避けて会っていた。
せめて丸1日は時間がとれるように。
「その次の週末なら大丈夫そうなんだけど。ダメか?」
「うん……ね、ちょっとでもいいんだけど、ダメ?」
「ダメじゃねえけど。でも、練習いつ終わるか分からないぞ」
「うん、本当に、ちょっとでいいから」
「ついでに、日曜の午前はバイト入ってるぞ?」
「うん……ダメかな?」
なんでここまでその日にこだわるんだろう。
もっと良く考えれば分かることだったのかもしれないけれど、なぜだかそう言うときに限ってピンとこないもんで。
もし、言い訳をさせてもらえるなら、その日はよりによって監督の虫の居所が悪くて練習がきつくて、
その疲労からくる睡魔と闘っていて思考がうまく働かなかったからだ、とか。
バイトのシフトがいつもと違って、日付の感覚が狂いがちだったからだ、とか。
「いや、ダメじゃねえ。けど……」
その一言とともに、思わず息を漏らしちまったのも、今思えばすごくタイミングが悪かった。
「あっ、ごめん! やっぱりいいや、うん、私も日曜はバイトあるし、今度にしよう」
「……え?」
「なんかごめんね、急に変なこと言って。また、ゆっくり会える日あったら、連絡するね」
「あ、ああ」
オレのうわごとみたいな返事に、「じゃあ」、と、切れた電話は確かに不自然だったけど。
特に気にもとめなかったのは、やっぱり疲れていたから。
そして、オレが鈍感、だから。
(バレンタインか……)
当日になって気づくなんて、今回ばかりは遅すぎた。
せめて電話して謝ろうと考えながら、手に持っていた小箱をポケットに押し込む。
変わりに携帯電話を取り出して、履歴の一番上を呼び出した。
コール音を耳に聞きながら顔を上げる。
白い息越しに、見慣れた寮が見えた。
(ん? 人?)
暗がりに小さな影が見えた気がして、オレはじっと目を凝らした。
近づくにつれて、はっきりとしてくるその姿に。
そして電話をあてた逆の耳に入ってきた、覚えのある電子音に。
オレは反射的に、声を上げた。
「……?」
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