12月に入ると、体育の授業の場所はグラウンドから体育館へ変わる。
種目も、長距離からバレーボールに変わる。

自慢じゃねえけど、小さい頃から体は動く方だったから。
場所も種目も、何だって不都合はねえ。
長い距離を黙々と走る秋もよかったけど、勝敗のつくこれはこれで面白いだろ。

だから、想像もつかなかったんだ。
彼女の憂鬱の理由が。






【彼女の憂鬱・1】






それに気がつき始めたのは、バレーボールの2回目の授業前の休み時間。
廊下は移動の人並みでごった返していて、オレは教室でその波が引くのを待っていた。

「あ、志波くん」

ぼっと眺めていた人並みから姿を現したのは、隣のクラスの
オレの姿を見つけるなりそう言って手を振り、教室内のオレの方へ駆け寄ってくる。
その仕草が最近隣の家で飼い始めた仔犬のそれと重なって、オレは思わず笑いを漏らす。

「よう……そうか、のクラスも体育だよな」

頬が緩むのを懸命に隠しながら口を開いたけれど、
はそんなオレの様子に気づかないようで、素直にニコニコと頷いた。

「うん。志波くんは? 見学?」
「オレが体育を見学すると思うか? ゆっくり出ようと思ってただけだ」

少し笑いながらそう答えると、は「そっか」と声を上げて微笑みを返してくれる。
何気なさを装いながら、本当はすごく嬉しかった。
誰かの笑顔を見てこんなに気分が良くなるなんて、少し前までは想像もつかなかった。
惚れるってこういうことなんだろうと、意識をするとまた頬が緩んだ。

! 置いてくよー!」

オレもそろそろ行くかと思い、立ち上がろうとしたときだった。廊下の遠くの方から声が響く。
多分、の友達だろう。
ももちろん気がついたらしく、「今行くー!」と声を上げる。

「じゃあ、私行くね。体育、頑張ろうね」
「ああ」

返事をしながら、オレは心の中で苦笑いをした。
(一緒に行こうかと思ったんだけどな。)
仕方がないと浮かせた腰をまた沈めて、手を振るに「がんばれ」そう声をかける。
すると、は笑って頷いて……そして、小さくため息を吐いた。

このとき、確かにオレは違和感を持ったんだ。
いつも 穏やかな彼女がこんな表情を見せたのは、これが初めてだったから。
(……オレ、もしかして苦笑いが表情に出てたか?)
そう思って教室のドアのガラスに映る自分の顔を見たけれど、
そこにはただ、いつもの仏頂面があるだけだった。



でも、その表情の意味を知るのに、そう時間はかからなかった。
チャイムと同時に入った体育館。
すでに準備運動が始まろうとしているところで、オレは少し小走りで列の最後尾に向かう。

は……)

さっきの表情がひっかかって、つい無意識に彼女の姿を探すと。
オレからちょうど対角線の位置に、その姿はあった。
彼女の顔は、さっきのため息を吐いたときの表情と同じ……いや、更に曇って。

(何か…あったのか?)

気になりだすと止まらなくなって、オレは準備運動が終わってからもを視線で追った。
ネットを張ってボールを出して……どんどん彼女の表情は強張っていく。
そして、パス練習が始まった、そのときだった。
彼女は表情だけでなく、全身を緊張させたように見えた。
そして、その意味にオレはすぐに気づく。

レシーブをすると、妙な方向に飛ぶボール。
トスを受けようと構えると、ボールは顔面に落ちる。

(ああ、苦手なのか……)

ゲームに入ってからも、のプレーはぼろぼろだった。
サーブは数回に1回しか入らないし、相手のアタックがいい具合に入ると反射的によけちまうみたいだ。

正直運動の苦手な奴の気持ちは分からないし、トロイ奴を見るとついイライラしちまうこともあるけど。
でも、を見ていてもオレはイライラしなかった。
それはオレがに対して特別な感情があるせいかもしれないけど、それだけじゃなくて。
が必死に頑張っているように見えたから。

オレも、あんまり勉強は得意じゃねえし。
苦手なことに、一生懸命になるってのはなかなかできることじゃない。





授業が終わり、教室に向かうの姿を見かけ呼び止める。
はオレを見つけて笑顔を見せたけど、やっぱりその笑顔は曇っていて。

「……バレー、苦手なのか?」

相談にくらい乗れるかもしれないと思い、口を開く。
すると、は更に表情を曇らせ、小さく呟いた。

「うん。あはは、かっこ悪いね……」
「いや、そんなことないだろ。誰だって不得手なものくらいある」

オレの言葉に、はほのかに笑ってありがとう、と言ったけれど。
またすぐに表情を強張らせて、言葉を紡ぐ。

「でも、迷惑だよね……団体競技だし。来月、球技大会もあるし」
「球技大会? ああ、そういえばあったかもな……」
「せめてサーブくらい練習しないと……」

その言葉にオレは思いついて、返事をする。

「オレでよければ、見てやるか……?」
「えっ?!」
「経験者じゃねえから、あんまり役に立たないだろうけど。なんかしらアドバイスくらいはできると思う」

は、途端に笑顔になって。

「い、いいの?!」
「ああ。あんまり期待はするなよ?」
「そんなことないよ! よろしくお願いします!」

そして、ぶんぶん首をたてに振って、頷いた。



このとき、オレは彼女の憂鬱の理由を分かったつもりでいたけど。

が、このことをどれだけ本気で悩んでいるか。
そして、何がそこまでを悩ませているのか。

本当は全然、分かっていなかったんだ。





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