彼は、冬でもないのに白い息を吐く。
そして、いつだって同じ香りを漂わせて。
まるで、人生を早送りするみたいに。
彼の手にいつも引っかかっているのは。
…煙草。
【命を削るに似た行為】
ヘビースモーカ。
…なんて、一言で片付けられるものじゃないのかもしれない。
彼のそれは、もっと度を越している。
彼の姿を思い出せば、必ずついて回るもの。
それは、指につままれていたり、口にくわえられていたり、色々だけど。
「姫条さん、毎日どのくらい吸うんですか?」
「え、何が?」
「…煙草」
出会った初日、聞かずにはいられなかったくらい。
そのくらい、煙草を吸う彼。
「どのくらいやと思う?」
「ううん…2箱、くらい?」
「残念、不正解」
姫条さんは、さも面白そうに笑って。
「ま、オレの給料は全部煙草代やと思ってくれてええよ」
そう言うと、ふうっと白い息を吐き出した。
正解は結局、教えてもらえないまま。
だから、2年経った今でも、彼がどれだけの煙草を吸っているのかは知らない。
ただ、彼の使うゴミ箱を片付けながら、いつも思う。
彼の給料のほとんどが煙草代というのは、あながち嘘じゃないんじゃないかって。
姫条さんは、私の働くバーの店長で。
正確な歳は聞いたことがないけれど、見た限り結構若い。
「そんなに若くして店長になるなんて、すごいですね」
私がそう言ったら、姫条さんは笑った。
「雇われ店長やから」
そして、その後に、「それに、オレ、あんま若くないで?」と付け足した。
姫条さんの年齢が気になって。
気になって、もう長いバイトの子や、常連のお客さんにそれとなく聞いてみたりもしたけれど。
20歳そこそこという人もいれば、実は30代だと言う人もいた。
「君はいくつくらいだと思ってるの?」
「ううん…30手前だと思います」
「どうして?」
「確かに若いんですけど、なんか、貫禄があるっていうか」
本人は、“雇われ店長”だと謙遜していたけれど。
姫条さんは、十分一つのお店を切り盛りできる器も中身も持っているような気がした。
軽そうな見た目とは裏腹の、妙な“貫禄”。
「喰えない人、だと思うんですよ」
常連さんにそう話すと。
「分かるよ、それ」と、何人かが頷いた。
でも、このバーがオープンしたときからのお客さんが呟く。「俺はもっと若いと思うよ」
「え…?」
「スモーカズフェイス。知ってるかい?」
私が首を振ると、その中年のお客さんは言った。
煙草を吸う人は、肌の黒ずみやしわが、同じような様子で現れて。
年齢より、少し歳をとった顔になるという。
「それに、マスターの場合」
「…?」
「単純に歳を重ねたんじゃなくて、若いうちに何かを知っちまったんだろうなって感じもするし」
「…確かに」
「吸った煙草の量だけ、人生を知ってきたのかもしれないよ?」
カウンターにいる姫条さんを見れば。
やっぱり煙草をくゆらせながら。
上品な中年の女のお客さんの、話し相手になっているようだった。
人より多くの煙草を吸うように。
姫条さんは、人より多く、人生を知ってきたのだろうか。
中年の女性を見る、彼の目じりに刻まれつつあるしわを見て思う。
なんだか、それは少し。
切ないような、苦しいような気がして、私の胸はきゅっとした。
姫条さんは、ミステリアスな人だ。
毎日の煙草の量も、年齢も。
私は何も知らない。
彼のことで知っていることと言えば。
バーの店長をしていて、背がものすごく高くて。
髪の毛は猫っ毛で長く、仕事の時には一つにくくる。
体のラインはとても細いけど、骨格はとてもしっかりしていて。
すごく美しい、肩を持っているということ。
ただ、それだけ。
私は姫条さんを、何も知らない。
でも、もっと、知りたいと思ってる。
その、煙草の香りが染み付いた体も、心も。
全て。
私は煙草が大嫌いだけど。
彼のにおいが煙草のにおいなら。
それを、肺の奥に、できる限り吸い込んで。
まみれてみたい、と思う。
むせ返るような、その香りは。
私の呼吸を乱すだろうか。
きっと。
それは煙草に溺れるのに似ていると思う。
身を、心を、命を。
削ると分かっていて、望んでしまう。
彼の全てが知りたくて。
私は、問いかける。
「…姫条さん」
「うん?」
人間は、呼吸をしなければ、生きていけない。
でもきっと、彼の呼吸は。
1回ごとに、命を削る。
作られる白は、削った命の破片なのかもしれない。
なんで、どうして。
そんなにも、人生を早送りするかのように。
漂うように。流れるように。先を見据えるように。
煙草を、吸うの?
「姫条さんは、死にたがり、ですか?」
恐々と、質問すると。
姫条さんは首を右側にちょっと傾けて――それは私が知っている中で、彼の見せる一番セクシーな仕草だ――、答えた。
「かもしれんな」
私は怖くなって。
姫条さんの手から、煙草を取り上げた。
彼は苦笑して。
私の手の煙草を抜き取り、もみ消した。
「なあ、もしかして…」
「ジブン、もしかして、オレんこと好きか?」
ふうっと、彼の吐き出した白い息が、目の前を漂う。
私は咄嗟に。
彼の息を、思い切り、吸い込んだ。
その苦さに、むせそうになったけど。
全てを消化しようと、私は必死で息を飲み込んだ。
私の命も、今。
少し、削られたのだろうか。
彼が煙草に溺れるように。
私は今。
彼に溺れている。
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お題お借りしました。「リライト」様