何かがないと生きていけないっちゅーのは、とても寂しくて辛いことやと思う。
例えばそれは友達だったり。他にも、親、兄弟、ペット。
そして、恋人。
どれ一つとってみたって、自分の都合では動かないものやから。
求めすぎたらアカン。
そこまで自分の中で大きな存在にしてしまったら、ホンマに生きていかれんようになってしまう。

だから、タバコはええと思った。
裏切らんし。
オレのこんな薄汚れたちっぽけな手でも、簡単に掴むことができるから。

でも、例えば。
例えば、やで?
タバコが勝手に意思を持ち始めて、俺に寄り付かんくなったら。



オレは生きていけるんやろか?






【口淋しいなんて、馬鹿な】






薄暗い部屋の窓を開けると、少し湿った風が吹き込んできた。
太陽はもう、一日で一番高い位置まで上がっている。
それやのにオレはまだ寝巻きのままで、でっかいあくびを一つした。
店が休みだからって、こんなにゆっくり寝たのは久しぶりかもしれない。
寝癖も付かないほど猫っ毛の自分の髪の毛を後ろによけて、手近にあったタバコを手にとる。
発火したオイルの匂いを感じながら、オレはタバコに火をつける。

気がついたら休日が半分終わっているなんて。
損したなーと言うべきなんやろか。
それとも、寝て過ごせるなんて贅沢と考えるべきなんやろか。
そんなの人それぞれやろうけど、昔好きだったあの子は、もったいない、と言っていた気がする。
せっかくの休みなんだからもったいない、と。

思えば、そりゃそうや。オレの時間とあの子の時間は違う。
一緒におることを。少しでも長く、一緒の時間を共有することを。
大切な人に求めて、大切な人に求められるあの子の貴重な時間。
それに引き換え、オレの時間は誰にも求められたりはしないんやから。
あの子にも、世間にも、親にも。
今となっては、オレ自身にも。

まだ一つも灰を落としていない灰皿に、タバコをコツリと叩く。
燃えきった部分が灰になって落ちていった。





「姫条さん、見てください。今落ちた灰の分だけ、姫条さんの人生は縮んでるんですよ」

一昨日、オレがタバコを吸ってるのを見つけたあの子が言っていた言葉を思い出す。
彼女いわく、人生は一本の筋のようなもんで。
人によって、太かったり細かったり、長かったり短かったり。

「なになに、エロい話?」
「ふ、ふざけないで下さい! …なんて想像力をしてるんですか、姫条さんは」
「だって、そうやろ? 人によって、太さも長さも色々」
「ちょ、ちょっと、聞いてます?」
「おまけに、使い方も色々、やろ?」
「そんなことは言ってませんよ!」

…冗談さておき。
彼女いわく、その人生の一本筋は、産まれた瞬間に火がつくらしい。
そして、端からじりじりと燃えて、灰になっていく。

「燃え尽きたところで、人生は終わりです」
「よくあるアレやな? 導火線に尽いた火。最後は爆発して木っ端微塵ってやつ」
「それは人それぞれですよ。筋は爆弾の導火線だったって人もいれば、実は蚊取り線香だったって人もいるでしょうし」
「ナルホド」
「それに、最後までたどり着かないかもしれない。途中で切れてたり、踏まれて火が消えちゃったり」
「つまり、アレやな? この女は美味いと思ったら、実は着痩せするタイプやった、とか」
「……は?」
「今日はええ夜になると思ったら、不発に終わった…うんうん、たしかにアレはきついわ」
「だから何の話ですか」

オレのボケに軽く突っ込みを入れながら、彼女は続けた。
とにかく。

「だから、火遊びは厳禁なんです。飛び火したり、両端から人生を燃やすなんて無茶苦茶なんですから」
「全うな人生は、一つの炎をただじっくり燃やしていくこと?」
「全うな、とはいいませんよ。自分の人生です。どう燃やそうがその人の勝手だし。ただ…」
「ただ?」
「辛いと思うんです。自分で、自分の人生のどこが燃えてるか分からなくなっちゃうのは」

そのあとすぐに、彼女は俺を見て言い換える。
「自分の人生のどこを歩いているのか分からなくなっちゃうのは、本人が一番辛いと思うんです」と。
そして、一呼吸置いて、寂しそうに言った。

「それにやっぱり、短くなっちゃいます。2倍、3倍の速さで筋が燃えちゃうってことですから」

彼女はオレの手からタバコを取った。
そして、いつもより長い。
丁寧なキスで、オレの中に透明な呼吸を注ぎ込む。
もし今、オレの時間を惜しんでくれる人がいるとすれば。
この子だけなのかもしれんなあと、なんとなく頭の中で考えていた。






部屋に吹き込む風のせいで、手元のタバコが赤く燃える。
さっきから減りが早いと思ったら、そういうわけだったんか。
俺は苦笑して窓を閉めた。
すっかり短くなってしまったタバコを、灰皿にもみ消しながら。

あの子がオレに面白い話を持ちかけて数日。
相変わらずタバコはカートン買いやし、空き箱が出るペースも変わらん。
けれど多分、吸う煙の量は変わっているんやないかと思う。
前は、火をつければ相当短くなるまでずっとくわえているような吸い方やったのに、最近は口から離している時間が多い。
それはきっと、タバコに火をつけるたびに、若かった日のことを思い出しているから。
あの子の下手なキスには、オレの思考をそうさせてしまう何かがあるような気がするんや。

そう、例えるなら、昼休みの屋上でする幼いキス。
逃げも隠れもできない場所で、さらし者のキスをするような感覚。

恥ずかしげもなく、明るい場所でいちゃこくなんて、若い頃にしかできないことで。
懐かしくも、だけど気恥ずかしくも切なくも、そしてちょっと幸せな感じもする。
結局、高校生だったオレは、大好きな子とキス一つしなかったくせに、こんな気分になるのはおかしいけれど。
オレの人生の頂点だったあの頃を、思い出さずにいられない。
タバコの煙を吸い込むのを忘れるほどに。



不意に、携帯電話がなった。
ディスプレイに目をやれば、あの子の名前。
通話ボタンを押して耳に当てると、うるさすぎる雑音が聞こえてくる。
外におるんやろか。

『姫条さん?』
「おお、なんや」
『タバコ、吸ってませんか?』
「おー、吸っとんで。残念ながら」
『あ、コラ!』

素直に答えれば彼女は素直に怒ってみせる。
人生が短くなりますよ?灰だらけになっちゃいますよ?と、いつもの小言。
目の前に彼女の膨れ面が浮かんで、やっぱりちょっと恥ずかしいような、でも幸せな気分になってしまう。
ちょっと浮かれた気分になって、オレは彼女に聞いてみる。「なあ、寝て過ごす休日って、もったいない?贅沢?」

『贅沢ですよ。』

返事は、間髪いれずに戻ってきた。まるで、当然、とでもいうかのように。
なんや、オレには人生がもったいない、とか吐くくせに。
はは、と声に出して笑うと、電話の向こうでムッとしたのが分かった。
「何笑ってるんですか」彼女は言う。

「や、人生はもったいないのに、時間はもったいなくないんやなあと思って」
『? …おっしゃる意味がよく分からないんですけど』
「早死にするも、ずっと寝て過ごすも、一緒やん」
『やだ、違いますよ! 寝るのも幸せじゃないですか。
 それに、そうだな…例えば。
 死人を目の前にするのと、これから目を覚ます人を目の前にするのは、気分が全然違うでしょう?』

…このお姫さんの例えは、いつでも突飛や。
でも、妙に納得させられてしまうから不思議なもんで。

「まあ、そやね。言われてみれば」
『でしょ? 好きな人と一緒に朝寝坊、なんて、私は最高の贅沢だと思いますけど』
「…そか」

オレがふーっとタバコの煙を吐き出すと、ところで、と、彼女は話を変えた。

『ところで、たまにはデートでもしません?』

ついでみたいに言った一言は、見事に上ずっていて、なんだかかわいかった。
なにがところで、なんやろう。
そっちのが本題の癖に。

「なに、それも毒抜き?」
『まあ、半分は。姫条さんほっとくと、ずーっと吸ってるでしょ?』
「まあな。じゃあもう半分は?」
『もう半分は…』

『口説いてるんです。私、姫条さんに惚れてますから』

直球に、思わずぶっと噴出しながら。
オレはタバコを消して、また窓を開けた。
天気は快晴。
こんな空の下で彼女と向き合うのは、なんだか何かを見透かされそうでちょっと怖いけれど。
まあ、ええかもしれない。
オレのくだらない時間を、こんな風に求めてくれる彼女と過ごすのも。

「ええよ。どこいこか?」
『え、うそ』
「なんや、断ってほしかったみたいやな?」
『ま、まさか! うわ、えっと、どこ行こう』
「なんや、オンナ口説く時には、誘った後も考えとかなアカンやろ。どっちかっちゅーと、そっちが重要なんやから」
『そうですけど…あ、そうだ。動物園行きましょう』
「はぁ?!」
『動物園。サイが見たい』
「はー…まあ、ええけど」

よりによって、おこちゃまか、という突っ込みを胸にしまって。
オレは電話を肩にはさんで、片手間に身支度を始める。

「じゃあ1時間後。駅な」
『分かりました。待ってます』
「おう」

そして、最後に。
ついでみたいに付け足した。

「たまには、お天道様の下でキスすんのもええかもしれんからな…」
「え?」
「ま、ちょうど口淋しいと思ってたところやったって話」

ホンマは、そっちのほうが本題の癖に。





もちろん、溺れちゃいないけど。
それを証拠に、オレのタバコ癖は抜けてないし、彼女のキスはタバコの代わりに程遠い。
でもなんでやろ?
タバコを吸っても、その他に。
彼女の呼吸を求めてしまう瞬間があることに気づく。
タバコを吸っているのに。タバコは常に手元にあるのに。

口淋しいなんて、馬鹿な。

人間と違って、タバコは逃げないから、安心して溺れることができた。
でも、タバコの代わりになって見せるといった彼女は、いつ逃げるかも分からんのに。
…そうなったら、より一層、オレは人生を粗末にしていくに決まってるのに。



オレは、甘くて幼い、淡い幸せを求めて。
髪をくくると、明るい外に続く玄関の扉を押し開ける。
バーの外で彼女に会うのは、これが初めてや。






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お題お借りしました。「リライト」



*関西の方は、馬鹿な、とは言いませんかね。
 冒頭、ちょっと下ネタ混じりですみません。これでも大分柔らかくしたのですが、不快でしたら本当に申し訳ないです…。