考えていることが、悩んでいることが。
手に取るように分かるのに。
なんて私は無力なんだろう。
【08 飛び越える(中編)】
暖かい日差しの中、並んで歩いていると。
静かに、まだ冬の名残を含んだ風が通り過ぎるのを感じた。
それを合図に、隣を歩く樫宮くんの気配が変わる。
最近、彼の様子がおかしいことは気がついていた。
仕事帰りに、待ち合わせて食事に行くときも。
こうして休日に会うときも、電話越しに話すときも。
向かい合って笑っていたのに、ふと視線がそれる感じ。
会話は、日差しが雲に遮られるように、ゆっくりと遠ざかって。
空気が無表情になる。
すると、私の体は途端に冷えて。
…不安になる。
それは、この空虚なもの全てが、彼の迷いそのもののように感じられるから。
頭のどこかで、分かっていた。
彼が背負っている大きな後悔。
樫宮くんは、それに悩んでいるんだってこと。
昔から、彼のことは知っていた。
真面目で冷静で。
人一倍責任感の強い人。
でも本当は、すごく弱いところもあるし、迷いだってたくさん抱えていて。
彼は、それを隠す努力する人。
強がりが上手な人。
そんな樫宮くんだから、
5年前に別れの理由になったことは、きっともう一生、拭えない。
彼は拭う気なんてないんだってこと。
彼の迷いが姿を現すと。
私たちは沈黙に包まれる。
その沈黙の中、私は彼の表情を必死に伺って。
彼の背負うものを少しでも減らせるように。
私が持てるものを探してみる。
「樫宮くん」
「うん?」
「私たち…」
私たち、一緒にいないほうがいいかな?
口に出そうとして、つっかえた。
分かっているのに。
彼の考えていることは、手に取るように分かるのに。
どうして、言えないんだろう?
私が持てるもののはずなのに、どうしていつも、つっかえてしまうんだろう。
「明里?」
「…うん」
私は呼吸を整えた。
言葉が通る道を、滑らかにするように。
ゆっくりと深呼吸をする。
「私たち、一緒に、いないほうが……いいかな…?」
「えっ?」
「…言いたいこと、分かる…よね?」
「…」
樫宮くんは、私の目を真っ直ぐと見据えて。
そして、そらした。
迷いをちらつかせながら。
「苦しいなら、いいんだよ?」
「…」
「樫宮くん、責任感じてくれてるんだよね、5年前、私を巻き込んじゃったこと」
「…いや」
「私のこと、幸せにしてくれようとしてるんだよね…?」
心の痛みを感じながら。
凍りかける空気を、必死に溶かした。
私ができること。
今、しなくちゃいけない。
「樫宮くんが愛してくれてるの、すごくよく分かってるよ」
「……明里」
「…だから、一緒にいなくても、大丈夫だよ」
「一緒にいなくても、樫宮くんが愛してくれてるの、絶対に、忘れたりしないから」
…だから、大丈夫。
そう言って、彼の左手を強く握ると。
頬に一筋の涙の道ができた。
涙はとても、暖かい。
「明里」
「…樫宮くん、強がり上手なんだもん」
「……」
「たまには、頼ってよ」
涙を拭って、顔を上げた。
すると、突然。
樫宮くんは私の腕を引いて、ぎゅうぎゅうと抱きしめた。
街中なのに。
人がいっぱいいるのに。
驚いていると、耳元で声が聞こえた。
苦しそうな、声。
「それじゃ、5年前となにも変わらないだろう…?」
凍りかけた空気が、今。
彼の声で動き出す。
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